12-1 黎明 A

 あれから講釈は聞けていない。戦いはそんなものを必要としないからだ。

 というものを知った今、僕とラプラは以前より神経質になっていた。同じ秘密を持つ人間がこれ以上増えると、その秘密は共有していくうちに秘密でなくなってしまう。それを危惧しながら、僕らは任務を全うしなければならなかった。

 今回の作戦では、先の任務で占領した地点から敵の城砦へと向かう。目標であるアプ・マジマ城砦は、山々を分ける渓谷の四つ辻に建設された、いわゆる交通の要衝だ。ハーフブルス軍、通称は東と南側の二方面から攻めることができ、僕は東側から攻めていく陽動部隊の特殊補佐を任された。斧の騎士に手ひどくやられたものの、敵に向かっていった胆力とこれまでの戦歴は評価されていた。ツチノヤは先に敵の首都を偵察するらしい。

 気にかかるとすれば、ラプラが配属された南方面のことだ。アプ・マジマ砦は南方向の山道が険しく、特に鋭峰の間を抜ける峡谷道は、今時森人の英雄寓話でしか聞かないほどの切り立った桟道を通らされるらしい。高いところは別に怖くないと彼女は言っていた。だがそれ以上に心配しているのは、その急襲作戦で拠点爆破を行うことだった。それも、配属された魔人部隊がラプラ一人という状況で。

 アプ・マジマ砦には人体実験の噂が絶えない。一説によれば被験者の確保や物資の調達のために、敵地に比較的近い交通の要衝に実験の場を置いたとまで言われるほどだ。その物資を破壊した上で延焼を広げるために、ラプラの力を扱おうとしているらしい。確かにラプラは病み上がりだ。それは心がまだ完全に安定していないということで、言い換えればより高い魔力になる。しかし拠点内が火の海になってしまえば、必然的に犠牲者は増える。ラプラは間違いなくあの光景を思い出すだろう。

 一縷の望みと言うべきかは疑問だが、ルーベ隊長で代替する案も上層部から出ているという。けれども隊長は立場が立場であること、加えて何よりも精神的に成熟しているという点で、陽動に回るべきという意見も強かった。僕はそれが歯痒かった。

 確かに斧の騎士は強い。また現れる可能性もあるし、先の敗北も含めてルーベ隊長は僕と同じく陽動を任された。それなのになぜラプラを、急襲部隊のたった一人の魔人として送り出すのだろう。人間の心よりも、兵士の力の方が大事だというのだろうか?

「あいつがあのヘルク? 強そうに見えない」

「陰気っていうか、人としての茶目っ気すらなさそうで笑える」

 兵舎の外にある集合広場を埋め尽くす、兵士の列の体系。彼らの前方には、僕に対して小言を呟く兵士二人を睨みつけるルーベ隊長がいて、その向こうに決まり悪そうな魔人兵たちが横並びしている。僕は自らの隊長の隣に立ち、兵士達を仰ぎ見る。まだあどけない魔人兵とは対照的な、屈強な肉体を持つ若い男女達。

 彼ら兵士の中には、魔人兵を快く思わない者もいた。元々兵士より格上の力を持ちながら、危険と言われ、差別され、迫害されるように徴兵された魔人兵達を、嘲る奴らもわずかにいる。特に彼らの一部は、初陣の魔人兵の阿鼻叫喚は格好の笑いの種にしたそうだ。

 そんな彼らを後日戒めたルーベ隊長を横目に見る。狡人らしい暗清色の青い長髪がうなじの上で留められ、背を伝うように垂れ下がる。瞳の色は浅い空色で、少し彩りのある肌に映えていた。

「あのような人間になってはいけませんよ。あなたがという属性であるならば、なおさら」

 傷の回復を隊長に報告した際、羊皮紙の書簡に目を通していた隊長が此方に顔を向けて放った言葉。戦いに巻き込まれてしまうか弱い者を守る大義を得ながら、その実彼らの不幸を自らの慰めにする者もいる、と隊長は言葉を付け加えた。

 人々を守る役目を、ともすれば兵士たちは負わされている。その役目がいつしか人に対しての憎悪を生むのだろうか。僕は子供で、失敗も敗北も経験した。だから彼らの嫉妬が生み出す憎悪なんて、僕の苦い経験に比べればずいぶん軽いものだと思うけど。

「皆、揃ったな。今回の両面作戦の前に、わざわざ集まってくれて感謝する」

 ルーベ隊長の左隣に空いている列の隙間に、鎧の騎士が現れた。あの時僕とラプラを連れ去った人とは違う声だった。

「今回君達を集めたのは、我々を助ける頼もしき『力』をついに得たからだ。無論、今回の作戦にも投入する。新たな魔人兵、こちらへ」

 あたかも魔人兵を人扱いしない騎士の言葉に僕は舌を打ちそうになったが、その衝動はすぐに抑えつけられた。

 騎士の傍へと歩み寄った魔人兵――その姿は、紛れもなくクラプスだった。馬車に揺られている時の、不服で強かな様子はどこにもない。それを粉々に打ち砕かれたような、無力で無機質な目だった。だが彼の右腕を包む外套が剥がされた時、僕はそれ以上の衝撃に言葉を失った。

 彼のしなやかな右腕の肘より下が、生気の欠片もない絡繰仕掛けの腕に変わり果てていたんだ。腕の内側を貫く管が、絡繰籠手の骨と筋の間に辛うじて見える。

 咄嗟に伸びるルーベ隊長の手が、僕を思い止まらせる。身を乗り出そうとする僕の動揺を察知していた。

「彼は、体内に眠る『雷』の魔力を携えし奇跡の子。止まぬ雨なき世界にて、太陽を呼ぶ稲妻、天より地を繋ぐ光明。雷昏き罪を裂き、しかして衆生の導となる。地水火風、四元の結に召します、空の具象にして、顕れし虚。彼の者はクラプス。人にして原初の竜髄を宿すことを、暁に許されし者である」

 低い声に揚々と感情を乗せて、騎士は讃頌する。おどけた講釈よりもずっと真に迫った預言のような高らかな賛美は、兵士たちの視線を釘付けにした。そして讃頌が終わる頃、騎士は彼の異形の腕を掴み、徐に掲げて歓びを締め括った。兵士たちも割れるような拍手を鳴らし、ある者が喝采を叫ぶと移るように熱気が増した。僕ら魔人は、その異様甚だしい光景に立ち尽くすことしかできなかった。

「同胞諸君。彼の者は、憎き泥國の橋頭堡、アプ・マジマ攻略における導きの光である。彼の秘めたるいみじき雷光の前では、どんな堅固な砦でも脆き朽ち木に等しい。我々はこの希望の子の力を制御するために時間を費やし、みなに苦渋の時を与えてしまった。どうか、彼の力と、畏れ多くも彼の力を目覚めさせる為に捧げた我等の知恵をもって、贖わせてほしい。

 この両面作戦において、彼の者は南よりの奇襲に加わらせる。紫電一閃、瞬く間に敵地を崩壊させ、来たる首都攻略戦の足掛かりとする。南攻めの兵は必要最小限とし、構成員たる精鋭はこの後より名を告げる。また、同行する魔人兵も彼一人とし、ここにいる残りの魔人兵は全て東攻めの陽動部隊に回す。

 精鋭諸君の行軍路は、険しき道であることは承知してもらいたい。しかし、我々の実験は成功した。科学と魔術の粋の結集である彼と共にあれば、作戦は必ず成功すると確信している。夜明けを求める徒兵達よ、惑い彷徨いて描いた軌跡を稲妻として迸らせ、その最果てを尽滅せよ。止まぬ雨などない。諸君の招雷が、夜明けを呼ぶ」

 兵士の高揚が極まった。侵掠者は雄叫びを上げながら、戦神のごときその騎士に呼ばれるのを待っている。奴の演説に混じった多くの欺瞞と卑下に満ちた言葉は、絶対に忘れない。

 やがて兵士達の選抜が行われたが、その前に僕らは返された。ある意味で不幸中の幸いかもしれない。魔人たちが退出を命令されるその前に、騎士が隣にいるルーベ隊長に告げ口した。

「ヘルク、クラプスがあなたと話したいと。失礼のないように」

 そう言った後、退出を促されて僕は喧騒を後にした。

 歩きながら、この言葉にならない心境に頭を悩ませた。無心に寵愛を受ける彼は、少し卑屈だけど頼り甲斐のあったあの頃とはもう何もかも違っていた。別人の彼に、僕はどうやって接すればいい? 戸惑うことしかできないじゃないか。彼が何をしたっていうんだ。これが奇跡だというのなら、奇跡なんて業罪みたいなものじゃないか。

 崇暁教って、いったい何なんだ? どうしてこの世界に染みついたんだ?

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