11-3 崇暁 C
数日後、僕は言伝したラプラと一緒に彼の『講釈』の場へ足を運んだ。兵舎の片隅の旧書庫、その隣にある事務室が今夜の会場。足がつかないよう、場所は時々変わる。
「へへ、また来たな」
「今夜は『台本』がないね」
「講釈師なんだ、ここに全部入ってるよ」
すっかりその気になったツチノヤが、こめかみに指を当てて得意げな顔をする。夜の静けさから逸れないように、なるべく声は抑えてある。とはいえ、この旧書庫一帯は古臭い建物で、兵舎からも離れている。交代制で見回りに来る仲間達もこの辺りの雰囲気を恐れていて、さっさと見回ってずらかるか、最悪ばっくれる。こんな所なので、やはり怪談話の舞台にもされるようだ。僕らは臆病者ではないので、当然のように出入りするけれど。
「それで、繋がった話って何?」
ラプラが小さく尋ねた。声の弾みがイマイチ抑えきれてなくて、少しそわそわする。どこからか持ち運んだろうそくを机の真ん中に置いて火を灯す様子から、彼女もそれなりに乗り気なんだと伝わってくる。もちろん、僕も彼の話の続きは聞きたい。講談師に視線を合わせると、もはやお馴染みの一呼吸をして、深刻な話にふさわしい目つきをする。
「先日お前が言ってたのことだろ。二人に質問だけど、の名前って知ってるか?」
僕らは同時に首を横に振ると、少し口角を上げて彼は口を開く。
「<シュージャン・ウー>。それがの名前だ。そいつは異界のワタリビトが信仰する神様で、名前はかつてワタリビトと交流した、ある大国の読みに基づいてる」
<シュージャン・ウー>。僕はその名前を小さく反復した。こういった名前は、この世界ではエルフやドワーフといった森人たちに多い。そういえば、最近はドワーフがこの手の名前をつけなくなっているということを、マギとライラックの会話の中で聞いた。そしてエルフとドワーフの仲違いが、名前の変遷と同じ時期に深まっていることも。
「ツチノヤ、ちょっといい?」
僕はそのことを疑問に思い、自分なりの考えを打ち明けた。ツチノヤは感心の声を上げて返答した。
「おお、鋭いね。それもの信者が起こしたことさ。エルフとドワーフの諍いはいつものことだが、どれも今ほどの規模じゃなかった。ドワーフの中にはエルフの魔術も毛嫌いしてる奴もいるが、ドワーフも武器作りの上手い、お互い様なのにな」
「私はそれ、エルフが複数の森林集落でドワーフの居住区を襲撃したって聞いたよ。炎魔法による放火だったり、井戸に腐毒を混ぜたり」
「その情報、僕が聞いたのとは違う。それはドワーフの自作自演って聞いた」
「そうだよね。後から掲示板を確認したけど、その張り紙は<麗しきハーフブルスの絆の団>が書いてたらしいんだ」
「情報が錯綜してるな。でも二人とも違う」
ツチノヤはこれらの噂話を一蹴した。ここで一番信憑性のある話を聞けるのは他ならぬ彼だ。二人で耳を傾ける。
「森林集落に住んでるのは確かにエルフとドワーフだ。だが、エルフが首謀者なのはハナから信用できん。その団体、裏で上方と懇ろにしてるからな。ラプラは分かってたんだな?」
「うん。叔母さんが前々から怪しいって言ってたから」
「だよな。さすが食堂の女将だ、鼻が効く。で、ヘルクの情報なんだが……そもそも出所は?」
その時僕は、自分の無知を悟った。
「……前の母からだ。生きていた母さんの一人がドワーフ嫌いだった」
「それは……」
ラプラが気遣うように、そこで言葉を止めた。察するだけの同情はむしろありがたい。
「刷り込みか。お前の母親が聞いたことに関しては、さっきのラプラの話よりは核心に近づいてる。ワタリビトとドワーフは名前の体裁が似てるからな。そのおかげで結局実行犯は教団に始末された上、名前だけ利用されて架空のドワーフになすりつけた」
そこまで聞いて、俄然の教団に腹が立った。ここまで冷血に人を利用するのか。その関係者が目の前にいるが、彼もドワーフである以上は被害者の一人だ。ましてやエルフのように魔法が使えるのだから、きっと今までもこれからも生きづらいのだろう。
「ともかく、これで間違いって分かったわけだ――話を戻すか。結局、両者はどっちも加害してなくて、悪いのは糸を引いてる第三者」
「それが国の偉い人にも関わってるってことなんでしょ? 私、ちょっと怖いな」
「知れば多少は怖くなくなる。単刀直入に言えば、ハーフブルスもワタリビトもグルだ。という組織で結束している」
「知らない。何かの教団なの?」
ラプラが更に顔をしかめた。
「宗教……どうなんだろうな。元ネタは異界の宗教で、ここで広めるために名前を変えた。もっとも、その異界でも宗教と一言で語れるものじゃない。強いて言えば、『宗教を越えた宗教』」
ツチノヤが語るその宗教の名前には心当たりがある。僕にとってはただの新しい宗教だと思ってたが、思ってたよりも話が大きく感じた。しかし劇の内容をよく考えてみれば、鉄杖の先を向けただけで人の命を奪えるほどの機械を作れる世界だ。そんな世界からやってきたワタリビトが教団の一員なら、繋がらざるを得ないだろう。どんな国や世界にとっても、脅威でしかない。
「私の国と崇暁教は、いつから繋がっていたの?」
「七〇年くらい前だよ。一八七〇年あたりだな。面白いことに、あっちも暦の一つが同じだった。デムセイルの平定を皮切りに暦を変えて、今年を二六〇一年にするとか言ってたが」
「それはキリが悪いね」
「ハハ、そうなんだよ。二六〇〇年のキリ番に終わらせられなかったから、お前らを招集するほど躍起になってんだ」
あたかも他人事のように語るツチノヤを前にして、僕は知らないうちに眉間に苛立ちを寄せていた。それはラプラも同じだった。
「ツチノヤ、どうして君はそんなにヘラヘラしてられるの?」
グチをこぼすように口をつくと、ツチノヤは溜息をついて、なおもそのおどけ様をやめようとしなかった。しかし、僕らを改めて見やるその眼差しには、褪せた色彩を宿していた。
「そんなの決まってる。鍛人……ドワーフだからさ。血気盛んですぐ老いて、一生頑固者。そのくせ異界の連中には歓迎の旗を振る奴らだよ。身体が小さけりゃ、頭も小さい」
嫌味を吐き返すような彼の口調は、初対面の怒気に満ちた敵への憎悪を思わせるほどに強くありながら、どうにもならないことに対する卑屈さも混じっていた。僕らはそれに何も言い返せなかった。当事者の苦しみは彼らにしか分からない。そんな神妙な面持ちを二人揃ってしているからか、すぐにツチノヤは小気味よく鼻を鳴らした。
「そんな顔するなよ。言っただろ、俺はあくまで『講釈師』。憎悪なんて仕事道具だ。ドワーフだからって、本心からエルフを拒んじゃいない。俺からすれば、エルフなんて魔法が使えるお前ら二人とおんなじさ。で、俺もそうってわけ」
陽気なドワーフは片目を閉ざし、立てた親指を満足げな顔に向けた。自分なりに話のオチをつけて満足気に笑う姿に、あっけらかんにボケをかますライラックの姿を見た。
これで今日の話は終わりだと言いながら、ツチノヤがろうそくの灯に火消しを被せた。ほのかな橙色の反射光が消え、視界は真っ暗になる。帰り支度を済ませて書庫跡を抜ける頃には雨が降っていた。矢継ぎ早に落ちる雨粒が屋根をしきりに叩いている。軋む木板の床音や、扉の開閉音程度の些細な痕跡は、今夜の雨音によって容易くかき消されていた。
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