10-1 緋鬼 A

 竜髄灯の篝火に釣られて、僕はまた荷車に乗る。

 次の興奮への恐れとわずかな期待を抱きながら、僕はこれまでの経緯を頭の中で整理していた。未だに残る頭痛が苦い記憶で強まっていく。

 敵の竜人兵が全滅し勝利を得たと同時、僕は激しく己の拒絶を吐き出して倒れてしまった。倒れる僕をツチノヤと騎士が介抱し、天幕で治療を受けた。竜卵による身体への負担と、精神的な拒絶への看護を受けたが、案の定此方の不安を無理矢理認めさせるやり方だった。でも無意味とはいえない。

 病床には僕と同じようにへたり込んでいた人がいて、その多くが同年代前後だった。戦地で見た顔もいた。ツチノヤが言うには、僕の様子を見て感情が伝播してしまい、同じように倒れたり、泣いたり、あるいは身動きできなくなったりしたらしい。「その責任、お前も取れよ?」とうそぶいた彼の小憎らしい言い草も、ある種の戯けだろう。

 それでまた戦場へ出るに至った理由としては、僕が実戦で一番槍として応えた実績と、自他共に恐怖を知らしめたことへの功績からだった。どちらも嬉しくないし、それでまた命の危険に晒されるのだから堪ったものじゃない。もうこれ以上誰かの無力心を慰める兵士にも、八つ当たりの代理人にもなりたくない。そう望むのだから、僕の力で一刻でも早く終わりを引き寄せるんだ。


 健脚馬の馬車に揺さぶられ、辿り着いた戦場は残雪が残る戦場だった。荷車から出動し、息を切らせて向かう戦場に近づくにつれ、敵味方を問わず放置された遺体が転がっていた。間道から援軍として参上する手筈の魔人兵のために、あるいは彼らを阻むために死力を尽くした人々だ。

 場所は違えど、再び訪れる無彩色の戦場。遺骸の血液と胆汁を吸い尽くしたような漆黒の大地には草一本も見当たらない。文字通りの不毛の大地は、己の土壌で賄えなくなった養分を兵士の亡骸で補うために造られたかのような非情ささえ感じる。

 僕らはこの荒原で急拵えの援軍として派遣された。いつの間にやら僕も自由に扱える駒になっていたらしい。僕の他にもツチノヤと、蒼炎使いの隊長が共に向かった。その際、魔力を最大限に振るうために覆面が支給された。

 僕らの上官であるルーベ隊長は、基本的に無愛想とはいえ、部下を気遣っていないわけではない。でもそれは過剰な情けではなく、騎士達が無理矢理病ませた心を持ちながら、健全な肉体を保っていた方が兵士として合理的という観点でもあった。『病は気から』という、今となってはいくらでも意義を変えられうると感じる言葉があるが、魔人が竜卵を飲み下す前、騎士は巧みな言動で僕らの気分を掌握し、常に精神が肉体を蝕む瀬戸際まで追い詰める。魔人兵にとって最高の状態を維持するためだ。そして僕らと同じ若い魔人兵である以上、体調であっても従わざるを得ない。

 僕の場合、突然鞭で叩かれたり、あえて僕を部下達の模範にして実力を過信させ、彼らに苛立ちを向けさせたりなどで魔力の増幅をさせているようだった。幼さゆえの不安を募らせるのはもちろん、僕自身の能力を認めた上での処置だろう――『認める』。そう思う程の高慢さを暴力のために培われ、搾取されている。

 こんな死地にいるのに変なことばかり考えているのは、卵の副作用だ。竜人の卵ごときに心を震わされ、効能が切れればおぞましい現実にまた六腑を鷲掴みされてしまう。魔人兵は大人になるまでの短い期間を、兵舎と戦地との繰り返しで過ごす。こうして残酷に上書きされた現実こそが、やがて大人になっていく僕らが直面する世界だと教えるように。

 流れていく視界の中、谷を越えた先でついに交戦地帯に辿り着く。あらかじめ霜を纏わせた腕を伸ばし、右手の甲の先へと内側に湾曲した氷の鉤爪を作り出す。同時に左手の爪先から氷柱を尖らせ、腕を一度振るって先端に返しを生やす。

「来たぞ! 魔人だ!」

 軍刀を打ち鳴らす兵士二人の上へ飛び上がると、紺色の味方が喜びに唸り、白と濃赤の敵兵が声を失い顔を引きつらせる。動揺しているそいつはいずれ、交戦中の味方に仕留められる。標的は奴の背後から手助けにひた走る群れ達だ。六人。一人一人に狙いを定め、掲げた左腕で空を薙ぐ。

 氷柱の矢が胴に深く刺さり、喉が裂けるような叫びと共に敵は倒れた。突然の事態に動きを止めざるを得なかった最後の標的の目の前に立ち、懐に腕刀を突き刺す。返り血は見たくなかったから、腕を抜く際に腕を捻り爪を根元からへし折った。角度が変わった氷爪に色彩が増していく。

「今の所文句ない成果ですね、<ヨー>。しかし興奮に駆られて前に出過ぎています」

 抑揚のない強く張った声が背中を押す。ルーべ隊長だ。蒼い火の粉を周囲に散らしながら、敵の様子を確認する。霊魂の群れのような蒼炎は、花弁の一片ほどの大きさであっても凄まじい高温を秘めている。隠り世の花吹雪か激しい憎悪を秘めた霊魂を思わせる鬼火は、敵にとってはあまりにもおどろおどろしいものだ。触れるだけで皮膚の溶解を錯覚するような熱さだが、僕らはそれに触れても比較的平気でいられた。卵がもたらす覚醒作用が、戦時の高揚と合わさって気にならないのだ。むしろ降りかかる火の粉の熱がさらに血を滾らせてくれる。

「前方の敵陣は先程よりも前に詰めているようですね。私が魔法で援護します。左右から火炎で挟撃した後、崩れた前線を追撃してください」

 頷いて向き直り、気を鋭く尖らせる。疾走しながら右の手のひらから伸ばした冷気の柱が、凝縮されて剣になる。切先に滑らかな曲線を描いた氷剣を片手に、蒼炎に弄ばれて乱れた戦陣の方へ襲いかかる。一閃で最前線を薙ぎ払い、絶叫と共に崩れていく敵の身体を掻き分け、更に動揺した敵の頬を左手甲の鉤爪で裂き、右手の剣と共に人体を撫で切りにしていく。

 敵の小隊をあらかた壊滅させた所で、ツチノヤが僕の脇に現れる。先の戦線では普通の装備だった彼だが、今回は左腕を覆う腕甲を着用していた。その腕から漂う異臭のせいで、彼が特別な装備を身に纏っていることがすぐにわかった。

「素晴らしい舞だったよ、踊り子さん」

 茶化すツチノヤを尻目に、首元までかかっていた覆面を上げる。そして彼の魔法を吸わないように呼吸を鎮めた。乱戦の際に多少前に出過ぎたからか、百歩ほどの距離を隔ててデムセイルの軍団が包囲しようとしてくる。しかしこの時を待っていたかのようにツチノヤはにたりと笑うと、余裕めいた足取りで敵の方へ向かう。

「何をする気?」

「出しゃばりの尻拭い。隊長に命じられてんだ」

 歩みを止めて振り向かず、鼻で笑った後にそう答えると、彼はいきなり一回り大きくなった腕を振りかぶり、地面に叩き下ろす。その勢いは、彼の拳が丸ごと土に埋まるほどだった。

 ああ、なるほど。僕はこの瞬間に、彼らの戦術を全て理解した。腰を低く落としたまま、ツチノヤは雄叫びに唸った。

「ああ……胆汁が滾るぜ! 黒胆汁がな‼︎」

 ツチノヤの先にある大地が、彼を震源にして前方へ揺れ始める。固い砂泥が詰まった大地が、落礫の水紋のようにうねり、やがて吐泥のようにうごめいた。ツチノヤを中心に前方から放射状の地面が、彼の魔法の結界――腐毒の領域と化したんだ。泥沼に泡が立ち、破れるように、地面から湧き出た腐毒が地上へと拡散していく。

 魔力の活性状態であっても、この景色は酸鼻極まる。生きながらにして腐っていく数十、数百の兵士達。動かない身体に恐怖しながら、眼前の魔人に剥き出しの殺意を向けながら、そしてこんなにも呆気なく果てていく自らを哀れみながら、次々と兵士達が息絶えていく。

 彼らは僕らより一回り大きく、大人であったとしても若い年齢なのだろう。同じ若者同士で潰し合うのが戦争だ。魔人でもない限り個人の意識は剥奪される。どれだけ身体や性格が違っても、『兵士』という一つの単語で包括されれば、代替可能な命に過ぎない。制服さえ身に纏えば、みんな同じなのだから。

「――っ!」

 僕は少し呆けていた。凄惨極まる戦場で憐憫に浸るのを許さない者が、僕の背後に現れた。

「大丈夫か……! あいつ!」

 駆け寄ったツチノヤが襲撃者の正体を見るなり、驚愕に顔を引きつらせた。

 僕には誰なのか分からない。だけど――この上ない覇気を感じた。僕より二回りほど大きな長身に、身軽そうな線に見えてその実一分の隙もなく纏われた銀の胸当てと革の甲冑。頭部は一切を覆い隠した鉄兜で、額には双角、目隠しの下に竜の上顎をあしらった装飾が透徹した荒々しさを感じさせる。その兜の後ろには、厳しさを最大限に強調する緋色の乱髪が膝の辺りまで伸びていた。そして両の腕に握られていたのは、遍く全てを斬り割るような、禍々しく弧を描いた刃を備えた黒鋼の斧。

 お伽話で出てくるような悪魔じゃない。あれは<鬼>だ。異界の地獄に現れる、全てを屠る鬼神。

「逃げなさい<ミイ>、<ヨー>! 彼女はハーフブルスの特別攻撃隊隊長――<緋鬼アカツキ>です!」

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