9-1 初陣 A
参戦前夜。夕焼けの茜色が尾を引く時に、僕らは最後の集いをした。
整列する僕らの前に現れたのは、焦げたような色の髪に炎を封じたような瞳の色をした女性。あれが第三部隊の隊長だった。暖かな色合いとは裏腹に目つきも佇まいも凛としていて、あの時の黒づくめのような冷たさがあった。
「間もなく戦場に赴く。各自、自身の魔力の調整は済んだか。その不安、その恐怖、その怯懦が魔人たる貴方達の原動力。恐れは抱いても構わぬ。だが必ず力に変えるのだ。その合理を認めず自身の臆病さに呑まれ、ここで逃げるというならば、今ここで申し出るがいい」
隊長の隣にいた騎士が寒風のような冷たい言葉を投げかけた。騎士が言い終わった後、隊長は右手に火の玉を掲げた。夕日のような朱の炎が、瞬く間に対照的な青色へと変わった。それに照らされた周りの兵士達の顔はひどく悪くなっていた。彼らの表情を観察した彼女は、熱気を凝縮した青い炎を次第にやわらかな光へ変え、それに息を吹きかけて風にたなびかせた。
「各自、列をなして右へ。戦いましょう、<我が君>の為に」
<我が君>。その名を口にした隊長の眉間は、わずかに皺が刻まれているようだった。
僕らは言われるまま、事前に叩き込まれた集団行動の通りに健脚馬の荷車へ向かっていった。我が君、という言葉を頭の中で繰り返しながら窓を見ると、真っ直ぐな刀を眼前に掲げて騎士達が敬礼していた。
荷車の中には携行用のブレス灯、もとい<竜髄灯>が吊るされていて、衣服の様子がおぼろげにわかる。紺色の身体を軽く覆う上着には白の縁取りが設けられ、腰履きはすらりとしてこちらの脚を長く見せる。左胸には赤い紋章があり、その中央に数字が書かれている。僕は<ヨー>。これは「ヨン」ではなく「ヨー」と伸ばして言われる。ヒイ、フー、ミイ、ヨーといった具合だ。
灯りによってかすかに『6』の数字が見える魔人――ラプラの方を向く。拠点に着いてからというもの、ラプラの顔を上げた姿を見たことがなかった。同じ服を着た姿でありながら、他の人よりもか弱く見える。騎士に言わせれば、最も強い者に思えるらしいが。
こちらの視線に気づいたラプラが無理をして口角を上げるので、僕はかぶりを振って止めた。再び目線を下げるのを見ながら、僕は問いかけた。
「悩んでるのって……クラプスのこと?」
思い切って尋ねると、ラプラは渋々頷いた。
おととい、実戦訓練後の食事と洗浄を経て兵舎の廊下から出ると、複数の兵士に連れられてクラプスが連行されるのを見た。その後就寝前にばったり会ったツチノヤから彼の動向を聞き出すことができた。
「ヘルクは優秀だから教えてやるけど、あいつなら『手術』のために連れてこられたんだぜ。どうも特殊な魔人っぽいな」
そういえばクラプスの持つ魔法が何なのかを聞いていなかったが、彼が言うには地水火風のどれにも当てはまらなかったらしい。ツチノヤは情報屋として名うてのようだが、あくまで噂は噂と彼自身に念を押されている。
気になるのは、クラプスがその後どうなったかを聞きそびれたことだ。ツチノヤは昨日の夜明け前に僕らより早く出立した。朝の点呼から始まる集いを終えた後、彼の知己だという兵士から手紙が届けられ、そこには「上方には何も言われてないから気にすんな」とだけ書かれていた。
部隊の違うクラプスのことなんて知る由もない。だからずっと不安を抱えている。その不安がラプラを兵器として強くさせるんだ。何も言えないまま立ち尽くす姿を僕は見ていることしかできなかったが、二人とも生かすために僕は戦う意志を強く持った。
その決意が揺らぎそうになったのは、戦地到着後の糧食として出されたある食品だった。
「なに、これ」
瞳を震わせながらかじかむラプラの手のひらに乗せられたのは、両手に収まる円形の殻だった。
卵だ。しかも生の。僕だって信じられない。
「竜人たちは卵として凝縮されたブレス――『竜髄』の塊を産む。これに含まれる栄養は『生食』の方が、いわゆる調理よりも遥かに効率的に摂取することができる。貴様らはその場でこれを経口するように。
直接経口が困難な場合、此方が瓶の中で掻き混ぜたものを摂取せよ。命の胚子を崩すことに心が痛むようならば、その繊細さを恥じつつ飲み干すのだ」
あの時とは違う声色の騎士が、語気に鋭さを増して命令した。料理のいろはを学んでいた僕にとって、彼らの命令にはさすがに驚きを隠せなかった。異界ではどうなのか知らないが、少なくとも卵は生で食べるものじゃない。しかも鶏卵より一回り大きなものを丸呑みしろと言うのだ。それなら溶けばいいだけの話だが、彼はわざわざ『掻き混ぜる』ことを強調した。このままだと僕らは自らの一挙手一投足に消えない罪悪感を植え付けられてしまうようだ。
一呼吸置いた後、僕は目下の卓で殻を破り、一息に飲み込んだ。滑らかというには後を引く質感に気色悪さを覚えながら決意を実感すると、今度はそれを破るように教鞭で軽く脇を突かれた。
どうして――? その時強い衝動が、僕の胸を内から殴った。それから激しい嫌悪に揺さぶられ、思わずそいつの顔を確認すると、憎たらしい眼差しが深くまで被った兜の奥に見えた。
抑えられなくなりそうな嫌悪を覚えながらも、僕はそれに納得していた――言われたことをしたのにいたぶられる、その手の理不尽は心を不用意に掻き乱す。忠実さをへし折ることで相手に無力感を生ませるやり方だ。呆れた、それくらいのことが分かっているならもう何の乱れもない。自分でわざとらしく恐れを抱く方が強くなれるだろう。もっともそれができるのは僕だけで、大半の魔人は鞭を打たれるか目の前で溶かしたものを飲まされていた。兵士たちは時折笑っている。面白いのだろうか。もしそうだとして、面白さは正義や悪みたいなものを蔑ろにできるのだろうか。だとしたら、面白さなんてものは決していいものではないだろう。面白さの元に全てが粗略にされ、嘲りの対象になるならば――
そこで僕は思考を止めた。思考の停止ができない自分に恐れおののいた。その後もあれを飲んでからというもの、身体も心も熱いままだった。
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