第二章

8-1 道化 A

 何もすることがない時に一番困るのは、周囲が全然静かじゃないことだ。

 と呼ばれる荷物運びに適した大型の馬が、僕と同じ魔人の子供たちを載せた荷台を引いて街道を歩いている。蹄と車輪の音ならなんてことない環境音。僕が平静を削られているのは、道の脇にいる野次馬どもの空騒ぎだった。

 小さな窓から覗くと、僕より数回り年を食った男女がこちらに向かって何かを言っている。どの声も自己主張が激しくて言っていることは分からない。だが、顔ならよく分かる。彼らは僕らを笑顔で励ましている。哀れんでいる奴もいる。全員<狡人こうじん>だった。オレンジの小さな旗を振っている人も目についた。オレンジはブレスの原色だと思うのは短絡的だが、この街は確かにその色が印象的だった。きっとこの街には同じ色の旗を立てた闘技場があるのだろう。

 簾を閉めて壁にもたれる。隣にいるラプラが眠るようにうずくまっている。僕が来たことでラプラは巻き込まれた。そう考えて生まれる罪悪感とは別に、僕がいなければ一人で戦地に行くことになったのかもしれないと想像する自分がいた。どちらが正しいかは考えない。片方だけを選んだ時点で、僕はこの現状を肯定してしまうことになるから。

 騒ぎはまだ止まない。苛立ちも収まらないままだ。一際甲高い声がして背後の窓を開くと、僕らを応援した小さな女の子が身なりの整った笑顔の男性に金平糖の小袋を渡されていた。ひどく歪んだ顔の強張りで我に返った僕は、慌てて窓から目を離した。心にわだかまる憎しみは消えていなかった。

 信じられなかった。なんであいつらは普段嫌っているはずの僕らを称えるんだ。なんでそんな奴らに僕は褒められなきゃならないんだ。そんな奴らが、どうしてあの子の無自覚な良心を何の疑問もなく利用できるんだ。

「……なあ」

 うなだれて頭を掻きむしる。あいつの目の前で感じた時よりもはるかに大きな無力に押し潰されそうだ。

「なあ、自分を責めるのは今やめとけって」

 その時、ラプラの反対側の隣から僕をたしなめる声がした。その声色にまた後ろめたい気持ちになる。

「ごめん、聞いてなかった」途中で小さくなる声に、呆れたように鼻で笑って彼は口を開いた。「色々あって、疲れてるんだな」

 僕は思わず顔を上げた。

「クラプス?」

 聞き馴染みのある声に、少しだけ自分の声に溌剌さが出る。見覚えのあるその顔は、まるで労わるような苦笑いを浮かべて僕を見ていた。

「しーっ。いくら外が騒がしくても小声でな。みんな疲れてる」

 周囲には僕らを含めて十数人ほどの魔人がうずくまっていた。当たり前のことだが、僕以外は全員家族と引き剥がされた子供たちだと思うと、胸が痛くなる。それに比べてクラプスは随分冷静だった。

「クラプスは平気なの?」

「今の状況か? そうじゃないに決まってるだろ。でも、諦めてたから冷静でいられるのかな」

「それってどういう意味?」

「<魔人>として戦時下に生まれた以上仕方ないのさ。普通の人間は自分から兵士になっていくが、魔人は違う。一般人以上に強くて替えが効かない戦力だ。俺たちに街の住民として生きる『権利』はない」

 彼の背後の窓の景色から住居の姿が消え、草木の緑色に移り変わる。すっかり見慣れた街から遠ざかり、名も知らぬ戦地へと連れていかれることをいよいよ確信した。僕は自分の手の平を見つめながら、ふと湧いた疑問をそのまま口にした。

「僕らって、兵士にしては若すぎやしないかな?」

「気づいたか?」クラプスの声色がわずかに真剣さを増した。「俺たちが使える魔法は、今の年齢くらい――つまり、十代から二十歳になるまでの期間が一番強い時期なんだ。まだ腹の中にいる時に生まれた魔力は、ちょうど子供が大人になる間の時期に大きくなる」

「身体の成長に合わせて、ってことか。でも、二十歳になったら?」

「そこから先は急速に魔力が衰える。ある種の『老化』だ」

「ドワーフ並みに早いね」

「だな。でも魔法は完全には消えない。燻るだけの灯火もいつ炎上の火種になるか分からないし、常に毒を仕込まれるか気が気じゃない」

「年を取った身体の水も、振り撒けば迷惑だしね」

「変質者でもなるつもり? まあ、いずれにせよ魔人は大人になっても避けられる。そういう意味では、俺たち若い魔人が戦場に駆り出されるのは『見せしめ』とも言えるね。街の人にとっても、俺たちにとっても」

 見せしめ。僕らにとっての見せしめとは、それだけ自分が恐ろしい存在だと認めさせるためのものなのだろう。

「それにしても不安だね。俺らって戦力になるのかな?」

「どうだろ。僕はともかく」

「自信あるんだな? でも、それは『大人たち』にとっては不都合かもよ。魔法って、心が乱れるほど強くなるものでもあるんだぜ」

 その言葉を聞いて、僕は常に苛立ちを募らせていたあいつのことを思い出した。

「……ひどいね」

 呆れるように鼻で笑った後、僕ら二人は何も言わず車輪の音を聞いた。家族と一緒なのが当たり前だった人々が突然見知らぬ大人に連れていかれるのだから、渦巻く不安はさぞ大きいものだろう。加えて彼の言うことが本当なら、怯える彼らは格好の大戦力だ。魔力の鍵を握るのが不安ならば、僕らが赴く戦地でどんな訓練や生活を送るのかも、何となく察せてしまう。

 けれどここまで考えて僕の中にも渦巻いた不安が力になり、そして誰かの助けになるならば、それはそれで構わない気もする。料理ができなくても役に立つことはあるんだ。

 ああ、これが『諦め』というやつなんだろう――そう思うと心が怒りで震える。僕が助ける連中とは、そのほとんどが数えきれないほどの騎士でありあの住民なのだから。だけど確かに僕の隣には、助けたい人がいる。

 そのために魔力を使うのなら、騒ぎのない静けさに安心なんてしていられない。二人が戦場でいなくなってしまったら――そういう想像をして、僕は僕の不安を駆り立てた。

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