7-2 離別 B

 それから毎日、忙しくとも楽しい生活は続いていた。前の晩、「そろそろヘルクに本格的に料理を教えてやろうかね」と叔母さんが言ってきた。

「僕にも料理ができるの? 二人だから美味しい料理を作れると思ってた」

「なんだ、マギの料理は美味しくないって?」

「そういうわけじゃ――でも、僕に作る資格はあるのかなって」

「ああ、なるほどね。別にそんなこと気にする必要ないんだよ、『僕ちゃん』」

 まったくこの人は。ともかく、僕もようやく店の人間として認められたみたいだなと改めて思った。

 明くる日の朝。暖簾を上げて開店に向けて精を出す僕らは、店の外から聞こえる不可解なざわめきを感じ取った。日除けを滑り出しにした窓から差し込む外光と青空は澄み渡っているのに、まるで雷雨のようなざわめきだった。『青天の霹靂』、言い表すならばそれになる。

「叔母さん、さっきから外の音――」

 違和感を恐れて問いかけるラプラの視線には、うなだれた叔母さんの顔が映った。言いたくないことを言わなければならない、その葛藤をひしひしと感じさせる重い表情には、いつになく深く刻まれた眉間の皺があった。

「なあ、二人とも」

 僕らは叔母さんの顔を見やり、そして二人向かい合った。ラプラの目はひどく震えていた。恐怖にかじかむようで、でもそれは僕も同じで、その互いの不安が見えない糸を通して伝わるかのように、怖気付いた顔を向かい合わせた。

 扉が開く。僕は背後を振り向き、来たる相手を精一杯睨みつける。

 現れたのは、黒づくめの外套を身に纏った女性の姿だった。白いズボンを履いた脚から喉元まですっぽりと覆う黒布を羽織っている割に、汗一つかいていない。そして服と同じような黒髪と瞳、それとは対照的な青白い肌が目元まで隠した頭巾から覗く様が不気味だった。彼女はその見た目通り、無機質な声を発して後続を案内した。

「当方の分析通りです。魔人の子が二人。一方の少年は水、もう一方の少女は火」

 唖然とした。外套の女は一目見ただけで、僕らの魔法を正確に当ててみせた。

「どうして分かる?」

 突かれた図星をひた隠すように、反論にもならない返答を絞り出した。直後に叔母さんから名を呼ばれ、たしなめられた。

「ヘルク。言っても無駄だ。あいつらにはお見通しなんだ」

「でも何で」

「流浪の身でも教えられなかったか。『魔眼持ち』だよ、あいつは」

 魔眼持ち……こんな姿だったなんて。

「あれは竜の教団の信徒の姿なんでしょ? でも魔人を嫌ってるって」

「虚仮威しだよ。毒をもって毒を制すように、一般人の常識から外れた理屈で魔人を探してるんだ。全て『異端』。だが奴らはそれを分かりきってやってる」

 僕らが無意識のうちに守っている規則や規範ですら、彼らは容易く破っていくということか。抑えられない感情に思わず歯をきしませてしまう。その様子を見て女はかすかに鼻を鳴らし、平坦な声で返す。

「異端なのはそちらの方でしょう。竜人と同様、道具として使われる以外に益を為さない命です。常に周囲に危害を加える可能性を与えるわけにはいきません。ですが危害の使い道は別にあります」

「……毎日包丁を振るうあたしも危険なはずだが」

「確かに貴方の道具は凶器にもなり得ますが、しかし貴方は『人間』として無力であり、道具・肉体といった予測の可視化される暴力しか振るうことは出来ません。それを抑制し、時に弁明する言葉も理解しているはず。しかし魔人は己の体内から魔法を作り出し、いつでも暴力に転換できるという客観上の不条理が存在します。竜人も同等。彼等は魔法を持てませんが、しかしその内面に多大な暴力性を備え、可視化された暴力の予測から逸脱した暴挙に出ます。それを制する言葉、ひいては言葉を使いこなせぬ理解すら無いのなら尚更。お分かりですか?」

「……ふん」

 叔母さんは苦笑いし、どうしようもなさに頭を抱えた。

「……本当は一緒にいってやりたいけどね」

「確かに、貴方の料理能力なら士気の向上に繋がりますが」

「そういうことを言いたいわけじゃない」

「承知しています。ですが上等な料理に頼らずとも、魔人に相応しい食材を用意しています。故に貴方は必要ありません」

 噛み合わない会話は、魔眼持ちの女がそれだけ頑固な心持ちであると察せた。いや、そもそも心なんて持ってないかもしれない。人間としてのわずかな余裕すら切り捨てて、彼女は自身の目的にひたすら働いているような気さえした。

 その彼女の主人と思しき騎士が、鎧の擦れる音と共に姿を現した。

「お待ちしておりました、我が主」

 遣いの言葉を無視して、彼は部下を引き連れて狭い食堂を占拠した。一分の隙もない鎧甲冑の姿が屋内を埋め尽くし、息が詰まる。そういう風に演出されている。これは『現実』。どんな演劇よりも遥かに張り詰めた臨場感を持った世界だった。隣で小さく息を切らす音がする。ラプラはもう耐えられなさそうだ。でも彼らにとっては知ったことではないんだろう。

 目の前に鉄仮面の騎士がそびえ立つ。鎧は微動だにせず、中の見えざる瞳が僕らを値踏みするように眺めた。魔人であることを確かめると、左右にいる部下の兵士に合図を送る。騎士と同じく彼らも顔を隠していたが、兜と覆面の間から冷たい眼差しが覗いている。

 兵士は僕らの腕を掴み、手錠をはめた。途端に、身体中に緩い金縛りのような気だるい感覚が染み渡る。魔力を制御しているようで、頭の中が生温く湿気ていくのを感じる。もう逃げ場はないと悟った。いや違う、奪われたんだ。

「店主、餞に言い残すことは?」黒づくめの女が叔母さんに問う。

「……ごめんな。あたしじゃどうにもならねえ」

 それだけ言ってそっぽを向いた。別に傷付いてはいない。叔母さんは確かにグチや不満をよく言うが、それはのっぴきならない僕らの事情をごまかすためのものだったのだろう。そして叔母さんの不満の対象は僕らではなく、もっと別の何かだった。その何かの代わりが、きっとこいつらだ。

「行くぞ」

 男が先導し、黒づくめが後に続く。その後ろで手錠を繋がれたまま、僕ら二人は食堂の外へと出て行く。世界から閉ざされた、だけどあたたかなその中を背にすると、鬱蒼とさんざめく人の声とひりつくだけの日光が僕らを出迎えていた。

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