7-1 離別 A

 ここに来て一ヶ月ほど経った。まだ少しだけ続く頭痛と腹痛に気を使いながら料理を客に運んでいると、いつになく忙しない様子で少年が座っていた。

 あいつ、また来たのか。ここでは珍しい色の抜けた乳白色の髪色と、山吹色の自信なさげでいて捻くれ者のような眼差し。鼻の峰を微かに横切るそばかすも目に残るからすぐ分かった。誰に用があるかは分からないけど、あの余裕の無さそうな感じは僕の心を惑わせる。ちょうど昼飯時の常連が一斉に帰り出した頃なので、牛乳の入った椀を差し出しつつ顔を覗く。

「どうしたの。話なら聞くよ」

 両肘をついて考え事をしていたその少年は、僕の顔を見上げて言った。

「別に用は無いよ」

「用が無いなら、わざわざここで何日も考え事しないでしょ」

 向かいの席に腰かけて彼を見やる。我ながら尋問をしてる気分で妙だ。

「今時の大人はここで『思索』に耽るんだよ」

「しさく?」

「さっき言ったじゃん。考え事だって」

 また一つ新しい言葉を覚えたなと思いながら、彼に反論する。

「でも君は子供でしょ」

「それはこっちのセリフ。子供の癖に働いてるじゃないか」

「叔母さんが認めてるからいいんだよ。それに話の方向をズラすのは良くないよ。僕の先輩が教えてくれたこと」

 そう言いながら瓜を切るラプラを指差すと、彼の顔色が変わった。

「何だよそれ――えっ、知り合い?」

「ああ、そうだけど」

 その後、すぐにこの話は途中で切り上げようと判断した。この手の話は黙って見守るべきだ。こういう類に積極的に反応するのは良くないというのも、ラプラはもちろんマギですら言っていたことだ。実際すぐに問い詰めてくるのはライラックや叔母さんといった気配りの浅い人達だったりする。

「ごめん、仕事に戻るよ」

「ああ、待って」

 手を伸ばして僕を止める。最低限の度胸はあるんだな。

「うん、何?」

「お前と彼女ってどういう――ああそうだ、名前は?」

「僕はヘルク。あっちはラプラ」

「そっか。俺はクラプス」

「言いにくい名前だね」

「俺に聞くなよ」

 自分の名前を指摘されてクラプスはむくれた。視線を逸らして牛乳を飲むと――うっかり彼はラプラと目が合った。僕ら二人は同じようにはっとして、しかしその後僕はぼーっとしたまま、隣のクラプスが軽くおじぎする。ラプラは笑って、まるで話を催促するように頷いた。

「……なんというか」クラプスは相変わらず気まずそうな顔だった。それから思考を諦めたようにため息をつくと、「悪い、またな」と言って、代金の小銭を僕に差し出して帰ってしまった。

「……」

 通り雨のような人だなと思いながら、僕は机の上を片付けて手伝いに戻る。その夜、僕達はおばさんが下に降りたのを見計らってクラプスの話をした。

「他人のことがよく分からないって、いつも思う」

 僕がグチると、ラプラは目を細めて答えた。

「ふうん……あいつ、恥ずかしがり屋なんだね」

「そう? 僕より大分しゃんとしてそうに見えたよ。話し方がイカつい」

「それは強がりじゃない? 口調は関係ないと思うよ。ま、君もクラプスって子も、言葉遣いと本心があべこべなんだね」

 物事を見据えているように見えて、こじつけかなとも思える言い方だった。もちろんクラプスが心配していることを話したりはしない。秘密の話の繊細さは少しばかり分かってるつもり。その上でラプラの隠してた秘密を明かしてみせたのも自分だが。

 その秘密を、今度は僕が明かされる晩になるとは。クラプスの件の翌日、閉店一時間前の食堂に顔を出したのは、僕にとって今会いたくない人の一人だった。

「いらっしゃい」

「すみません、こんな時間に」

「ああ、いいよいいよ――どうした、ヘルク」

 マギだ。あの赤い髪も、お節介そうないつもの眼差しも、忘れはしない。だけど、まさかここが分かってやって来るなんて。

 マギの顔は記憶よりも疲れているように見えた。目に光が入ってないし、クマが目の下に出来ている。あの一件の後どんな気持ちで僕のことを考えていたのかが、普段うっとうしく思っていた僕にも分かった。

 唖然とする僕をしばらく見据えながら、わずかに目を逸らす。

「彼に話があるのですが」

 今はどうにもならないか。僕は仕方なくその場を離れた。

「悪いけど、話は聞くよ」

 その間に叔母さんが低い声色で僕に忠告した。厨房の見えるカウンター。手際よく働く叔母さんを眺めるマギの隣に、僕は腰を下ろした。

「……良かった」

 かろうじて聞こえるほどのか細い声で呟いた後、改めてこちらを振り返る。

「本当に良かった。生きてて」

 目の赤みが瞳の外側にまで広がっていた。それがあまりにも痛々しくて、見ていられなかった。

「……ごめん」

 僕は人と目を合わせる礼儀も持ち合わせぬまま、最低限の謝罪だけをした。しばらく気まずい空気が流れていた。この場にいる誰もがそれを切り裂く声を待っていた。

「ねえ」

 耐えきれずに僕が声を放つ。でもその後の言葉は分からなかった。

「いいの。ただ会いたかっただけだから」

 そう、なのか。

 信じる信じないはともかく、僕は彼女の言葉をありのままに受け止めた。また沈黙が来る。このまま次の言葉を待っていても時が過ぎるだけだ。時間が惜しい。だから僕は、思い切ってしまっていた思いを打ち明けた。

「ライラックは?」

 さすがにそのことを聞くのは早かったようで、マギは少しうろたえた。

「……あいつなら元気だよ」

「僕がいなくても?」

「大丈夫。強いって知ってるでしょ」

 それはそうだ。でも、魔人である僕がいなくなって、彼は上手くやっていけているのだろうか?

「確かに、ヘルクの魔法は凄く役に立ったわ」

 言葉を選ぶように、少しずつマギが続ける。赤い目ががしどろもどろに迷っている。話してほしくないことをこれから話さなければならないように見えて、息を呑む。

「でも……他の人達がヘルクをありがたがってたかというと、そういうわけでもないみたい。みんなヘルクがいないことを当たり前のように――最初からいなかったように扱ってる。それか、都合の良い道具として扱ってるから。だから、元気としかいえなくて」

「それは……」

 いつかの村で見た不機嫌な男を思い出した。あの人は正直な態度を取っただけで、本当はみんな嘘をついていたのか。いや、今更そんなことを責めるつもりはない。役立つのは僕じゃなくて魔法の方だとは分かってる。それに心の中のやましさまで全部否定するなんて、人がそれ以上するべきことじゃない。

「……ライラックは僕に何か言ってた?」

 それでも、どうしても焦ってそう尋ねてしまう。

「心配いらないよ。あいつは何も責めてなんかいない。私もそうだし、寧ろ……」

 そこまで言ったところで、叔母さんが声を上げた。

「エルナの失踪事件か。そんなのあったなぁ」

 僕らは驚いて彼女を見やる。少しして、マギは話を続けた。

「寧ろ、私が責任を持つべきかなって……」

「ん?」

 又聞きした叔母さんが振り向いた。「魔人なら仕方ないんじゃないの? 失踪って、騎士でもいたってことかい?」

 問いかける叔母さんに、マギは記憶を振り返りながら答えた。

「確かにいました。けど」

「ならお前じゃなく騎士のせいだ。もっと言えば、騎士が魔人をとっ捕まえる為の理由がそれだ」

「ちょっと待って、叔母さん」

 話が脱線している。僕は洗いざらいあの時起こったことを話した。一通り話した後、叔母さんが鼻を鳴らして僕の言葉をまとめた。

「要はエルフの盗人がいて、そいつも魔人だったってわけか。それで何かあってラプラが助けたと」

 僕の発言を噛み砕きながら、やがて叔母さんが鼻で笑った。

「ま、全部偶然だね。だからあんたが気に病むことないんじゃないのかい?」

 それが叔母さんの見解だった。叔母さんは決して人に深い理由を押し付けたりはしなかった。マギはしばらく呆然としていたが、やがて少しだけ笑って「ありがとうございます」と言った。

「心が軽くなりました。こんなこと言われると思ってなかった」

「ハハッ、まあそんな奴に会えて良かったね」

 叔母さんはいつものように軽く笑い飛ばし、そろそろ店終いするか、と気を抜かした。

「最後に一つだけいい?」

 マギが僕に問いかける。その目はいつもの気丈さを取り戻しつつあった。

「何?」

「ヘルクはここにずっといるの?」

 答えたくない質問だったが、僕は考えた末に「ずっとかは分からないけど、当分はいる」と答えた。妥協だ。

「僕が必要とされてないんなら、もう僕は行かなくていいよ」

 自分で言って嫌な台詞だなと思ったが、マギは嫌な顔せずに答えた。

「ならそれでもいいわ。寂しいけどね」

 すこし哀れんだ顔をした後、すぐに目つきが鋭くなる。

「けど覚えていてヘルク。この街も騎士の召集がかけられてるって聞いたの。それもあの件のせいで一層呼びかけが増してるみたい」

「それってやっぱり――」

「あれは確かに気の毒だけど、でもヘルクのせいじゃないわ。ただ結果としてここにいるのが危険になってる。このままいると、近いうちに戦場に連れていかれるわよ」

 戦場。戦いに連れていかれると言うことか。でもマギは言っていた。魔人は昔戦いの『道具』だったことを。昔のやり方通りに扱われるのは筋が通っているような気もする。

「私はヘルクを止めないから。そもそも、この先会うことはないかなと思ってきたし、今更思い通りになれなんて思わない」

「……」

 そうは言っているが、結局強がりだろう。それに従うのもいい。だけど、ここにいる魔人は一人だけじゃない。仮に僕だけ生きるなら、いっそ――

「ごめん。ここに残る」

「……わかった」

 マギは未練を吐き出すように息をつくと、椅子から立ち上がって礼をした。

「ごめんなさい店主。冷やかしになってしまって」

「いいよいいよ。値段以上だよ、その情報」

 冗談を漏らしながら、叔母さんは暖簾を下ろしに外へ向かった。僕も見送るために一緒に向かった。少し丸まった背中が、いまだに燻る未練がましさを伝えていた。

「……どうかしたの?」

 マギの水臭い様子が気になって、僕は口をついた。隣にいたマギが、固く結んでいた口を開けて、溜息をつく。何かの一呼吸のようだった。

「ヘルク――一つだけ、言わせて欲しいことがあるの」

「なんだ、やっぱり言いたいことあるじゃん」

「あはは……ごめんね。ずっと気にしてたんだ……ヘルクの『本当の親』が、次々いなくなってたこと。私たちって、あの時の戦いがあって会ったんだよね」

「……そうだね」

「その戦いが今も続いてて、それで今度は……ヘルクがいなくなると思うと、少し怖くって」

「マギ?」

 徐々に震えていくマギの声を、彼女の名前で制止した。そのたった二文字を尋ねる僕の声も震えていた。

 あの時と同じような沈黙が流れた。でもはっきりと違うことが一つある。僕とマギは初めて、お互いを分かり合えた気がした。母親を失っては拾われてを繰り返し、ついに独りになった僕をライラックが拾って、そしてマギと会った。マギが何度も何度もしてきたおせっかいは、単純に僕を生かそうとしたことだったんだ。ようやく気づいた。それこそ、遅すぎるくらいに。

 僕は今なお続く戦争で何度も親を喪った。そして僕もいつか、その戦いに巻き込まれてしまうのだろう。

「じゃあね、ヘルク」

 目に浮かんだ涙を拭って、本当の別れの前にそっと抱きしめられる。感傷が体温に伝わる。僕が笑顔で頷くと、やがてマギは腕を解き、そしてそっと去っていった。これで何の未練も無いような後ろ姿だった。彼女の未練が、僕の心に移ってしまったから。


 閉店後、いつものように入浴道具を用意して風呂へ向かい、この一日で疲れた身体を洗い流す。マギの言葉に不審さを覚えながら、僕に向かう視線の数々を肌で感じ取った。そいつらを見る限り、入る湯船は間違っていないようだった。

 すっきりした体を家路へ歩かせる途中、掠れた声で呼び止められた。

「おい」

 声変わりを終えかけた掠れ声。見るとクラプスだった。

「なんだ。名前で呼んでくれればいいのに」

「一度会っただけのお前に?」

「僕の名前を知ってる人なんてそういないからね」

 その方が警戒しないから、ということを回りくどく言ったつもりだ。僕はさりげない風を装って彼に尋ねる。

「明日も来る?」

「いや、来ないよ。家庭教師がつきっきりなんだ」

「じゃ、次会った時はよろしく。ちょっとしたご馳走を用意してやるから。なるべく早く来てほしいな」

 先の魔人の件もある。いつ彼に会えなくなるか分からないから、そう言っておいた。

「言われなくともそうするよ」

「だよね。ああそれと、もし来る時は前日に手紙を送って」

「何だよそれ、めんどくさいな」

 これも彼にご馳走を用意するためだった。そして約束通り明日は来なかったものの、数日後にしっかり手紙は届いた。手紙には高僧の綴るような滑らかな筆致で約束の旨が書かれており、きっと相当家庭教師に缶詰にされてるんだろうなと思った。翌日の夕方、忙しい合間を縫ってクラプスは来てくれた。

「こいつがヘルクの友達かぁ。ご馳走とは言えないけど、ちょっとしたものは用意しといたよ」

 叔母さん達と作ったのは、ウナギの白身をむかごと共に焼いたものと、ナスの味噌焼き、それから吸い物と一杯の飯だった。ここは働き手がよく来る食堂なので、どうしても大人向けの渋い料理しか出せない。

「こんな料理見たことないな」しぶしぶ見つめるクラプスに対し、僕は「森人料理だよ」と返答したが、教師も家族も教えてやらなかったのだろうか。図々しくも何となく人柄を察してしまう。

「大陸料理以外は見たことないかい? ま、これも勉強のうちと思って食べてくんな」

 叔母さんが自信をもって彼を促した。差し出された料理に軽く礼をして、まず吸い物に手をつける。一口つけた途端彼の顔は驚きに満ち溢れ、それからきらきらと晴れやかな笑顔をした。

「おいしい……」

 それから白飯の椀に手をつける。細長い箸の使い方をうかがいながら、思いのほか器用にそれを使ってみせた。箸の先でつまみ、乗せ上げた白米の塊を口に運び、それから笑顔を隠さずにじっくりとそれぞれの料理を味わっていく。

 僕らは互いに見つめ合い、それぞれの手を重ね合って料理の出来を喜んだ。

 「じゃ、今回の主役を見せてあげる」

 彼が料理を平らげた所で、僕は籠から小さな容器を取り出す。

「今度はちょっと、趣向が違うよ?」

 ラプラが補足しながら、彼に氷菓子を差し出した。うきうきした様子で話しかけるその姿に、クラプスが目を丸くする。僕はそれに少し吹き出し、それから何かに気づいた叔母さんに視線で圧をかけた。

 今回用意した氷菓子は、ただ型に入った甘く冷えた卵液ではない。この時の為にわざわざ底の丸い器を自作したものだ。大陸料理において茹で卵を乗せる食器に似せた木の器には、楕円の卵と違って真球形に作られた卵液の冷球が乗せられている。

 これが僕らのもてなしの最後の仕上げ。『デザート』をクラプスがすくって食べた時、彼の顔は徐々に晴れていった。

 彼が一口一口それを味わう時を、僕らもじっくりと見守った。僕は無意識にラプラの方を向くと、ラプラは笑顔の眼差しをさらに細めて首を縦に振った。僕もその動作を返すと、彼の心情を気づかせないようにしつつ、視線をクラプスの方に向けさせた。

 閉店時間を少し延ばしたこの食堂で、ここにいる全員が心に温もりを抱いた。そこに違和感はない。僕は誰かの助けになっているだろうか、と思うまでは。

 これは独りよがりなのかもしれない。いや、そういうことにしておこう。もしかしたら、別の誰かにとっては今僕らが作った料理よりも大きな助けが必要なのかもしれない。でも今僕がやれる範囲はこれだけでいいんだ。

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