6-4 団欒 D
「まったく、利口なのか偏食なのか分からないね」
皿を洗う隣でおばさんが僕をグチった。
肉や魚の類を絶って十日ほど。身体の調子を確認して、今日の状態が適切と判断した。体内の水は以前のものと全く変わらない。魔法の原理そのものが根本的な問題だが、今更他人が握ったおにぎりや、下味を混ぜ込んだ鶏肉なんかに嫌気が差すほどの潔癖なんて持ち合わせてはいない。それに直接自分の水を入れるわけでもないし。
入浴を済ませた後、夜更けを待つ。彼女が献立を考える時間だ。そこに先回りして、内緒で冷やしておいた牛乳と果糖と卵を用意し、それからパットを用意した。
「おっ、用意できてるみたいだね」
階段をひっそりと降りてきたラプラが現れた。わざと暗くした明かりの中で、慎重にこちらにやってくる。
「さあ、料理の時間だ。僕らにしか出来ない料理を作ろう」
僕はそう言った後に少し照れくさくなったが、彼女は満面の笑みで頷いてくれた。
「じゃあまずは……」
準備を整えた後、僕はラプラに言われた通りの方法で甘味を拵えていく。順序よく料理の工程を進めていき、卵液は完成した。
「それで?この次は?」
ラプラは微笑みを崩さずに僕に尋ねた。その表情に良心が揺らいだ。
「慌てないで」
僕はお盆を卵液の入ったパットの上に乗せ、両手で持ち上げる。隅にあった棚の奥にあった籐籠を見つけると、その隣に卵液を置いて籠を引っ張り出し、水濡れを防ぐ布巾を重ね敷きして入れた。型の前後には、拳二つ分くらいの空きが前後それぞれにあった。
ここで一呼吸置いて、僕はラプラに振り向いた。自分の深呼吸がいつになく重かった。
「ここから先は秘密だよ」
きょとんとする彼女だったが、僕が次の言葉を言うと、あまりにも無垢な戸惑いを一瞬だけ晒した。
「目を閉じて」
ラプラの目は泳いでいた。現実を受け入れられないようにほんの少しだけうなだれると、すぐに目を向けてにこりと笑った。まだ驚きを隠せないような困り眉が前髪の奥に見えた。そして目を閉じる――たった数秒に見せたラプラの表情の目まぐるしい変化に、僕も動揺を隠したくない気持ちを自覚した。それでも呼吸を整え、手の平に意識を集中させる。
頭の中、脳から頭蓋骨の間までが冷え込み、液体のように隙間へ滲み出る。それが首から背中、そして右腕へと流れ、やがて開いた手の平の上で形を成していく。初めは小さく尖った白い霜。それが徐々に大きくなり、歪な形に膨らみ、色が抜けていく。それを念力の刀で彫刻するように形を整えていく。こうして正方形の氷が出来上がった。氷室に蓄えられている氷と形はそっくりだが、大きさはまるで違う。文字通り手の平ぐらいだ。
作り方を詳細に述べたが、実際にかかる時間はこれを文章として読むより遥かに短いと言っていい。これをあと三つ仕上げ、籠に入れた。
「もういいよ」
合図を言うと、ラプラが目を開けた。目線はすぐに籠の中、いつの間にか出来ていた氷に挟まれた籠の中に向けられた。
「……魔法、みたいだね」
微かに笑いながらこぼす彼女の声は少し震えていた。ためらわずに僕は言葉を返した。
「これが魔法だなんて分かるのは、ラプラだけだよ」
少しだけの沈黙。そこでラプラは頷いて、再び本心から笑った。
「うん。その通りだよ」
そして二人で小さく笑い合った。物音がして我に返る。ただの木の軋みだったが、これ以上はバレそうだ。
「明日の夜、またここに集合だね」
「はー! あんたたちいつの間にそんな友情を結んでいたのかい!」
二人の秘密は、仕事を終えた後にあっけなくバレた。所在なさに焦る僕らのおかしさを、おばさんの勘は見逃さなかった。だから魔法以外の全てを話すと、おばさんは笑って受け入れた。
仕事を終えた夜、僕ら三人は躍る心を抑えられなかった。僕は手袋をつけて、恐る恐る中を確認する。良かった、氷は溶けていない。自分で言うのも何だが、僕はこの力を自分の想像よりも強く扱えることがある。例えば溶けない氷を作れるのも、手助けの団の仕事ついでに狩った獲物を保存するうちに偶然発見したものだ。
「これがヘルクが作ったものかい?」
おばさんが籠を指差す。その中には四個の氷塊と、霜を纏って凍りついた卵液が入っていた。
「ううん、二人で作った」
ラプラが背中を叩かれる音を聞きながら、出来上がったそれを慎重に卓に乗せて確認する。極低温で冷やしすぎたのか、少し固そうだ。
「ヘルク、ところでこれって何で食べるんだ?」
感心したおばさんが単純な疑問を寄せた。
「匙で食べる。確か金属で」
「スプーン? うちは銀の食器なんてないよ」
「ああえっと、スプーンなら何でもいいから」
あの劇の内容をそっくりそのまま話すところだった。異界のことなんて誰も関心を寄せないだろう。ましてやそれはおとぎ話、物心ついた二人の耳にはきっと届かない。
ラプラはそそくさと食器を用意して、三人で皿に分けた。確か丸い形に整えて食べるんだったはずだが、そんな器用な真似ができるものはあいにく持ち合わせがないらしい(食堂なのに)。大きさの寸法は僕が分かってるので皿に取り分けたが、一通り回ったところでこの容器が妙に大きいことに気がついた。
「これ今日中に食べ切らないとダメかな」
苦笑いしながらおばさんが独り言を呟いた。そしてそのまま匙ですくい、口に運ぶ。一しきり沈黙を味わった後、彼女はうなずいた。
「うん、美味い!」
それを聞いて僕らの顔は晴れた。
「だけど、まだ伸び代があるね」
だがその直後、片目を瞑りながらおばさんは指摘した。
「冷たくてスッキリする。けど香りと甘さは少しキレが無い。あたしが宮廷料理人なら、何が何でも香料を調達するね」
彼女の評価を確かめるためにラプラは一口食べた。口元を膨らませながら僕に目を光らせ、「おいしい!」と叫ぶ。「叔母さん!こんなによく出来てるんだよ、凄いでしょ! 今のままでも十分だよ」
「いいや、こいつはまだ未完成だ。確かに温度も味わいも良い。少し固いけど、食後の一皿としては及第点だ。けどまだ未完成だよ。たらふく飯を食った野郎どもに一服させる為には、やっぱり香りを際立たせるべきだ。あたしは十二分にしたいからね」
「叔母さん……」
ラプラが珍しくおばさんに眉をひそめる。その横で僕は一口運んだ。
身体中に衝撃が走り渡った。こんな感触初めてだ。甘いものは色々口にしてもらったけど、これはそのどれとも違う。確かにラプラの言う通り、これ自体で完璧だ――だけど、やっぱり僕には物足りない。本音はそうだった。言おうと思ったが、あえて黙った。一人で作ったものじゃない以上、こちらから苦言を出すのも気が引ける。
「んー、叔母さんがそう言うんなら……」
諦めたようにラプラが言うと、おばさんは軽く笑いながら、大きめの塊にすくって頬張った。
「けど、まあこの味と量ならこれでちょうど良いかもしれないねえ!」
そして三人は笑い合い、結局半分を残しつつ仲良く食べ合った。そして僕が菓子を仕舞う時、おばさんが急に僕の頭を撫でてくる。
「わっ! 急に何⁉︎」
驚いて振り向くと、いつも勝気に溢れているとは思えないほど優しい顔をしたおばさんがいた。
「これを冷やしたのはお前かい?」
戸惑いながらそうだと言うと、彼女はまじまじとそれを見つめた。
「へぇ……お前もラプラと同じだったんだ。通りで見慣れない氷の塊が出来るわけだよ。しかも、こんな整然とした形でね」
おばさんは籠の氷を一つ取り、しばらく眺めた後元に戻した。
「あたしたちは助けられてばっかだね。あんた達に」
「別にそれほどでもないよ。私はたまたま火が使えただけ」
何も言わない僕をなだめるようにラプラが口を開いた。僕もこの水と冷気は偶然持っていた。いつ持っていたかも分からないくらい前には。
「そりゃそうさ。あたしもたまたま料理の腕と食堂開ける余力があった。でも、ラプラがいなきゃここまで効率的に回らない。何より夜明け前に起きずに済むのがいい。種火が燃えてりゃ少し寝坊したって余裕で店が回るからね。それが出来るのは魔人であるあんたのおかげさ。来てくれてありがとな」
「叔母さん……」
「照れ臭くなったかい? ならいいよ。あたし達は風の吹き回しでここにいるだけなんだ、態々ここまで感謝する必要はなかったね」
二人はここに来て水臭く振る舞う。僕は少し鼻で笑った後、口角を上げて二人に言った。
「いや、ありがとう二人とも。僕を拾ってくれて」
純粋な気持ちだった。温かさに触れると生じる胸の中の違和感に後から気づくくらいには、僕は純然とこの空気を受け入れていたということだ。そんな僕を見て、叔母さんは目を輝かせて抱きしめる。ラプラがあっけらかんに笑っていた。
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