5-2 風雲 B

「そこのお前、ちょっと来い」

 がらんどうの商店を見つけ、食べ物を買おうと店員を呼ぼうとした矢先、僕は見知らぬ男に声をかけられた。大きい目が少し吊り上がっていて、野太い声の割に顔立ちは若く見えた。何故彼が僕をわざわざ呼び止めたのかは知らない。ただここで慌てると二人が危険になることは分かっていた。だから振り向き様に頷いて彼の表情を確認した後、肩から手首へと的を変えた腕に掴まれて店を後にした。

 柵に囲まれた村の片隅、積み上げられた木箱と藁葺きの小さな家の間へ連れられ、角を曲がると少し開けた場所に着く。そこには彼と同じくらい顔つきの悪い奴らが待っていた。

 玉座には遠すぎるボロさの椅子が彼にのしかかられ悲鳴を上げる。片足で座面の角を踏みつけて座るその男が、今にも裂けそうに口角を開く。

「ここの連中じゃないよな? お前。ガキが一人で村をうろつくのは親から捨てられた時だ」

 得意げに持論を述べる椅子の男に、僕は心の先をそっと指先で触れられたような気味悪さが芽生えた。

「悪いけど、勘違いだよ」

 少しトゲのある言い方か。でも引き下がるわけにはいかない。

 彼は鼻で笑うと、いきなり太い腕を振り下ろしてきた。トゲが刺さったらしい。かわせたが予備動作がまるで無かったのは怖いな。

「お? コイツ『マジ』だな」

「兄貴、こいつ弟子入りか?」

 からかう言葉に思わず睨みを効かせると、それが男達の失笑を買った。そして彼らは僕を取り囲み、袋叩きの準備をする。そこで僕は確信した。こいつら、多分僕の力を分かっている。普通の人はまず彼の殴打をかわせない。魔法では生み出せない冷や汗が、こめかみから滲むのを感じる。

「おい、てめぇ名前は?」

  剃った頭の部下が僕にケンカをふっかける。名乗る場合ではない。

「おい、舐めてんのか?」

 今度は丸い帽子を被った奴が僕の肩を揺らしてきた。僕は激情を切り放すように、心を冷静にすることを努めた。

「やめとけやめとけ、コイツがキレたら氷漬けだぞ」

 (……?)

 男は僕に指を差しながら笑っている。その様子はとても気味が悪く、体温がまた勝手に低くなっていく。

「確かに。コイツがやられる前に俺らが『キズモノ』になっちまうよ」

「ああ、ひょっとしたら大事な所がポキッといっちまう。まだ『能無し』になりたくないだろ?」

 折れる……? 能無し……?

 男達の高笑いの中で単純な疑問が浮かぶ。そして僕は深刻な展望を目の当たりにする。

 こいつら、どうして僕のこと知ってるんだ? なぜ僕の魔法を知っているように話してるんだ。氷や冷気による凍結や凍傷は、時として欠損を伴うもの。彼らの『キズモノ』や『折れる』という言葉は、恐らくそういうものだろう。具体的に何を示しているのかは分からないが、確実に言えるのは、僕が水の魔人だと分かっているということ。そして、その水を氷に変えられるような奴だってことを。

「どうした坊や、何戸惑ってるんだ?」

「おい、目ぇ泳いでんの?」

「もしかして『マセガキ』かぁ⁉︎」

 再び高笑いが響く。僕はこの汚らしい笑い声をかき消すために、あえて語気を強めた。

「言ってる意味が分からない」

 予想通り声は止んだ。だが彼らは、沈黙の中でさっきの笑い声よりも醜い笑顔を引きつらせた。

「嘘はついてないみたいっすよ、兄貴」

「ああ。とびきりの上物だ」

 包囲の前方にいる男達のリーダーが、僕の耳元に顔を近づける。まとわりついた汗の匂いが鼻腔の奥を刺激する。

「教えてやるよ。その為に、『お友達』になろうや、坊ちゃん」

 猫撫で声とは程遠い声だった――

「――っ!」

 その時僕は、今まで感じたことのない嫌悪を覚えた。

「うおっ⁉︎」

「兄貴、こりゃあ――『脱糞』か⁈」

 爪先から頭の先までを舐め上げるような、あまりにも穢れた嫌悪。恐怖でも不快でもない、だがその感触は身体の奥底にある本能に直ちに危険を促した。そしてその本能は、本来意識でしか作動しないはずの魔法を強引に解放した。

 まとわりつく冷気は湿り気を帯びず、ただただ乾いた北風のようだった。吹き飛ばされ、壁に打ちつけられた男たちは皆呆気にとられ、ろくでなしの主も例外ではなかった。

 だが目を合わせた途端、そいつは大きく開いたままの目を吊り上げて、歪んだ口元に指を当て、笛を鳴らした。

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