1-2 無垢 B
朝食を済ませて村を出る頃には、大勢の人々が僕らを見送ってくれた。村人の代表がライラックになけなしのお金を渡し、僕らはまた旅に出る。乾いた村を抜けて街道を通り、時折野宿をして、やがて小さな街へと辿り着いた。
「街に出ると、人目が気になって野宿が出来ねぇのが辛いところだな」
門を潜ると同時に、ライラックが愚痴をこぼす。何というか、彼は外が好きなんだ。そしてケチでもある。
「以前は難民キャンプがあったはずなのにね。最近は撤去されて、居場所を失った人が路頭に迷う光景も少なくないわ」
「そういうのが無くなって、文字通りの山賊に身をやつすモンもいる」
「本末転倒ね。どこも街並みばかり綺麗にするような所ばかり。まあ、こういう時こそ私たちの出番って言うんでしょ?」
「お、よく分かってるじゃねえか。まあ、『住めば都』でも貧者が貴族になれる訳じゃねぇ。街を整備すること自体は反対しないが、そいつはいくらなんでも見せかけだ。人を見捨てる限り完全には美しくならない」
難しい話だが――僕らはあくまで旅人だけど、街の中には城壁内の片隅でしか生きられない人や、あるいは壁外でしか暮らせない人もいる。安心できる場所にいられるのは、ほんの少しだ。僕らのやることは、壁の片隅や外にいる危ない状況の人を、何とか支えることだ。
でも、そんな大層なことをたった三人でやらなくちゃいけないし、何より助けられる範囲は世界のごく一部なんだ。ライラックが言うには、僕らは目的を持て余しているらしい。
三人で市場に向かい、食べ物や安い布、野宿用の小道具を買って次の長旅に備えた。街から歓迎されていない僕らは、夕暮れに門が閉じる前に出発する。ただ、その時間までに少し時間があったので、ライラックが靴を買う間――長旅というのもあるが、彼は靴にこだわる――僕はマギに勧められて街角の小さな劇場で演劇を観ることになった。
ライラックにとっての靴と同じくらい、マギは『文化的なもの』が好きらしい。特にマギは『空の向こうの異界』に興味を持っていた。遠い空の向こう側に、僕らの住む世界とは違う未知の世界がある。そこではこことは違う文明の産物が溢れているという。
そして、その産物は竜神様を崇めるある教団によって、転移の力で運ばれてきたんだそうだ。例えば『森人』と呼ばれる<エルフ>や<ドワーフ>は、雰囲気の異なる木造様式の家を持つ。神様の祭壇の入口には赤い特徴的な形の門があり、犬や狐の像が並ぶ。特に『仏像』と呼ばれるいかめしい男の像は、見るだけでたじろいでしまうという。
本当に転移が異界のものを運んだのか、僕もどれだけ信じていいか分からない。でも興味はあるのは確かだ。マギはそこにその……『ロマン』、というものを感じている。
ちょうど今演じられている劇も、その異界の話だった。僕らには噂程度のものでしかない異界の話をやるあたり、この劇の役者はもしかしたら教団の人なのかも。そう思いながら二人で観た劇は、最初の方は難しい話が多くて退屈だった。
でもお話が進むと、見栄えある戦いの場面になった。役者達は異界の兵士になりきり、杖のような物を抱えて何かを放ったり、反りのない刀を振るって敵を斬ったりしていた。ただその役者達の衣装は少し細身で、以前見たようないかめしさはあまり感じられなかった。前はいかにも作り物といった感じの鎧を着ていたのに、今目の前にいる演者は軽装とは思えないほどの迫力がある。
「戦え、戦え! 全ては<我が君>の為に!」
「意に沿わぬ者は全て排除せよ! 我が君の御心とは、反逆者を挫き、同志を助くる為!」
言っていることはイマイチ分からないけど、彼らは恐らく『正義』のために戦っているんだな、と感じる。
『正義』、これは小さい頃の僕にライラックがよく話してくれた言葉だ。誰に後ろ指差されようとも、自分だけの、俺達だけの正義を忘れるなとよく言われた。その言葉が強く胸に焼きついている僕からすれば、兵士たちの姿はとても頷けた。
だけど、僕の隣でじっと演劇を観ていたマギは何だか納得していないようだった。瞳が怯えるように小刻みに揺れている。まるでこの劇を恐れているようだった。そして結んでいた唇から、小さな否定がこぼれ出た。
「……違う」
劇は終わりに入り、主人公が敵を追い詰める所まで進んだ。そいつは敵国の将軍。序盤では偉そうな態度と、しっかりとした強さを持つ頼もしい人だったのに、今では主役に鉄杖を向けられ、壁際に追い詰められている。
「仕方あるまい……命乞いなどはしない、いっそここで……」
目を閉じた敵の頭へ向けて杖が向けられ、彼の命はいよいよ終わろうとしている。そして、主役は容赦なく弾を放った。
彼の命はその瞬間に吹き飛んだ。僕はそこに思わず静かな興奮を感じてしまった――
「……あれっ?」
だけど、その興奮はすぐに冷めた。将軍はまだ死んでいなかった。予想と違った展開だ。主役の放った杖は確かに、将軍の顔中に血をまき散らせたはずなのに。
顔にまみれた血を手ですくいながら、将軍は納得いかなそうに呟いた。
「『顔料』の弾、か……」
「ガンリョウ?」
「絵の具の弾よ」
僕がこぼした疑問をマギが拾い上げる。そうか、あれは偽物の弾だったんだ。それにあの鉄の杖、機械仕掛けなんだな。いやそれよりも、どうしてここで偽物の弾を放ったんだ? 悪人を生かしておくことなんて無いだろう。
「何故私を殺さなかった?」
僕が抱いた当然の疑問に、主役は機械を戻してこう言う。
「お前は生かすと決めていた。お前の心に映る逡巡――そこに我が君への忠を見た」
「? 何を言って――」
「俺には分かる。孤独に自らの信念が擦り減るのを憂いながら、貴様は誤った価値観を唾棄していた。だが、こうして目の前に、正しき信念を垣間見た」
主役の台詞は続く。それは将軍の悲しみに寄り添いつつ、自分の――自分が思っている正義を語り、彼に『教える』ように見えた。
「――だからお前は一人ではない。俺と、我が君の為に生きるのだ。俺はそれが出来ると信じている。俺と共に我が君の為に命を尽くそう。いや、その先もだ」
そして主役は将軍の手を掴み、二人はすっくと立ち上がった。
「私の迷いは晴れた。これからは、貴殿と我が君の為に!」
二人は繋いだ手を上げ、そこで客席から拍手が湧き起こった。それから先ほどまで出ていた役者たちが次々と現れる……
「行きましょう」
気付くと、マギは音も立てずに立ち上がっていた。
「まだここから役者さんのお話があるよ」
「どの道聞く価値なんてないわ。この劇には」
「えっ、どうして? 面白かったけど」
きょとんする僕に対して、マギの視線が鋭くなる。そして彼女は僕の目線までしゃがみ、口を開いた。
「あの劇は……違ったの。あなたに見せたいものじゃなかった」
その言葉が分からなかった。どういうことだろう。確かにあれは僕が見たかったものだ。その点マギは何か勘違いしている。確かに予想とは違った展開だったけど。
「僕に見せたい劇って、例えばどんな?」
「そうね――少なくともあの劇のように、誰かの思想や言葉で人を支配するためのものじゃない。あなたの心を満たしつつ、共感もさせてくれるようなものよ。鋭い言葉で作られたものじゃないの」
「……僕には、その言葉が僕を満たしてくれるものだと思ってるけど」
僕がそう言い放つと、マギの喉から、言葉が詰まる音が聞こえた。
しばらく僕らの時が止まる。それを再び動かしたのは、マギの軽いハグだった。全身を包んでくるものとは違い、両肩辺りをそっと抱いて、ただまっすぐ僕の目を見つめていた。
僕は知っていた。マギは言葉で伝えられない何かを表現する時、いつも僕の目を見て肩を触ってくる。そうすることで何を得たいのだろう。安心なのか。理解なのか。言葉では何も伝えられないから、せめて別の力で僕をどうにかしたいのだろうか。マギが何の魔法も持っていないことぐらい、誰だって知っているのに。
ハグが終わるころ、僕の喉にも言葉が詰まった。おせっかい。この音が聞こえていないことを、僕は願った。結局、役者たちの話を聞かずにマギは僕を連れて劇場を後にした。
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