第4話 戦いのあと

 いよいよ今日か……。俺は部屋の座卓に肘をついてスマホのカレンダーを改めて見た。呪いのAVを見たのが12月3日。タイムリミットは1月3日。吉広は一日早い2日か。そして今日は22日。平日なのだが、俺も吉広も有給を取って休んだ。俺はたいして売れない医薬品の営業マンで、何日かいなくても特に問題はない。吉広は、これがまた驚くことに地方公務員。まぁ、勉強はそれなりに出来るのだが、根本的なところで何かが抜けている。今回だって……いや、もう言うまい。今日の主役はあいつだ。俺は吸っていたタバコをぐいぐいと消した。

 予定時刻の30分前に無事俺たちは目指すマンション前にぼろカローラで到着した。吉広はというと、緊張のあまり赤信号を無視して危うく事故るところだった。馬鹿野郎、変われと路肩に止めさせて、俺が運転してここまで来た。今見てもガチガチなのが分かる。

「お前落ち着けよ。大丈夫だ、シミュレーション通りにすればいい。俺も待機してるんだからよ。とにかく女の子を逃がせばいい」

「わ、分かってるよ。でもせめて犯人の男がどんな奴か分かってればなあ」

「普通の体格でセンター分けのメガネ野郎。これで十分だろ」

「ああ……でも俺本当に自信がないよ」

「俺と公園で格闘の練習しただろ、思いだせ」

「投げられたり押さえつけられてばっかだった」

 俺は吉広のみぞおちを裏拳で打った。

「気合入れろ! それと、ゴチャゴチャ言ってる時間は終わったぞ。見ろ、あの子だ、被害に遭う子は」

「あっ! 確かにその後ろから、来る! メガネの男が!」

 燃子が教えてくれた通りだ。大学生の女の子の帰宅をつけてストーカー男が家に押し入り強姦する。持っている凶器は長いナイフだ。

「いけ」

「いく」

 吉広が静かに静かに車のドアを開け、メガネ男と一定の距離を取りながら歩いていく。俺はもうこの時点でかましてもいいよな、と思ったが、吉広はきっと犯行が具体的に行われるその時に止めに入るつもりなのだろう。更に遅れて俺も続く。あくまでも吉広一人で助けさせねばならない。時間は……夜の11時35分。あと一分後だ……。俺は音を立てないように慎重に階段を上がる。二階についた。あっ、やりやがった。女子学生が自宅の扉の鍵を開けて入ろうとした瞬間、メガネ男がナイフを取り出して……て、あれ? 吉広はどこ行った? いかん、男が部屋に入っていく。うぉぉ待たんかい、と俺は全力疾走し、

「おいやめんかぁアホンダラ!!」

 と絶叫して足を閉まりそうなドアに挟んだ。くそっ、催涙スプレーとかは全部吉広が持ってんだ。ドアを力いっぱい全開きにし、体を低く構え、男の足めがけてタックルをかける。勢いで女の子と男と俺の三人が倒れる。ナイフを奪わねば。しかし男も抵抗してくる。左肩に軽く痛みが走った。しかし、同時に俺は両手で男の刃物を持つ右手を取ることが出来た。このまま折ってやる。俺は全ての力を込めて男の手を左側にねじった。ナイフが床に落ちたのが見えたので、俺は手を放し、打撃に切り替えた。十発ぐらい顔面を殴った時点で男は意識を失ったようだ。俺は荒い息のまま立ち上がった。女の子が半泣きになって座り込んでいる。

「もう大丈夫です。今から警察を呼びます」

 と、ここまで言って、少し困ったことになるな、と思った。警察が来ればこのレイプクソメガネを逮捕してくれるだろうが、俺も当然事情聴取を受けるだろう。その時、このマンションで何をしていたのですか、と聞かれるはずだ。まさか事情を全部話すわけにいかない。そこで俺はあと五発ぐらいクソメガネの頭を蹴り上げてナイフを没収したうえで、女の子自身で警察に通報してもらうことにした。

「出来ますね。私はこの後超重大な用事があってとても警察には行っている暇がないのです」

「わ、分かりました。あ、ありがとうございました」

 借りたバスタオルでクソメガネの両手を後ろ手に縛りあげた。女の子がスマホで警察に電話をかけている。後は車の中で警察が来るのを待って去ればいいだろう。何度もお礼を言う女の子に、いやいやと会釈して家から出ると、間抜け面が一人立っている。俺はためらわずボディーブローを入れた。

「どこ行ってたぁ!」

「ぐふぅっ、ごごごめん。どうしても怖くて下の階のフロアにいたの」

 このクソボケ……次の24日は襲う男は二人なんだぞ。今日のメガネはひ弱かったからちょうどよかったのに……。車の運転席に乗り込むと、吉広はほとんど泣いていた。無理もないのか、俺は柔道という格闘技の経験があるし、ガキの頃はケンカもそれなりにしてた。

「おいもう落ち込むな。まだチャンスはあるんだからよ。24日だ。あ、もうパトカー来たな。帰るぞ」

「うん……左肩は大丈夫?」

「切れてるけどこれぐらい平気だ」

 二台のパトカーとすれ違いながら、24日まずいかもな、と俺は内心舌打ちせずにいられなかった。自分はおそらくもう助かったのだが、先ほどの襲われかけた女の子の怯えた顔、そして、助かったと分かった時の安堵の顔を思い浮かべると、一人吉広を助けるだけって話じゃないという事が分かった。吉広のマンションの駐車場に車を止めて、肩をバンと叩いて別れた。明日一日、作戦の練り直しか。振り仰いだ寒さの染みる12月の夜空に、一つだけ星が輝いていた。


 翌日、23日も朝から吉広の家に行った。顔を見てみると、案外開き直ったというか、すっきりした顔をしている。

「どう? 勃起するようになってた?」

「おかげさまでな……。俺は助かったみたいだ」

「よかった、本当に」

 と顔をほころばせる。根っからいい奴ではあるんだよな。さて、こいつを救わねばならない。

「昨日夢に朝香さんが出てきてさ」

「朝香さんって誰だよ」

「ああ、燃子さんのことだよ。この呼び方気に入らないらしくて、朝香と呼べとの事。あと、昨日の体たらくを見てたらしくてさ。この腰抜け、ヘタレ、お前のあだ名は生ごみに決まった、とかボロカスに言われた」

 俺は大笑いした。朝香さんね、なるほど。朝香さん美人だよな、というと、吉広も同調する。媚びへつらいではなく本当に美人なのだ、もう40歳ぐらいだろうけど。

「それで明日だけどな……」

 吉広が息を飲む。静かな部屋にエアコンの音だけが小さくブーンと鳴っている。俺たちは何度もシミュレーションし、実際にまた街へ出て、こうでああで、と何度も実演した。晴れ渡る空には雲一つなかった。近くの商店街からはクリスマスソングが聞こえてくる。

「明日は素晴らしいクリスマスプレゼントを手に入れようぜ」

「うん、がんばる」

 人事を尽くして天命を待つ、だな。俺はポケットからタバコを取り出した。 

 

 24日、風吹きすさぶクリスマスイブは、現在夜の九時前。俺たちの家から少し離れた、寂しい国道沿い左に入った脇道にぼろカローラを止めて俺は運転席で待機している。国道脇に立っている電柱の影に吉広が潜んでいる。暗いし歩道を歩く女性には気づかれまい。それに、気づかれてもいい。何をしようと、結果として女性が後ろから走ってくる黒のアルフォードに乗せられるのを阻止すればいいだけだからだ。吉広は催涙スプレー対策として、度の入ってない大きなメガネをかけ、マスクを二重にして、両手に催涙スプレーを持ち、腰には警棒型のスタンガンをぶら下げている。ネットで見つけた超強力な代物で、少しでも触れれば激痛にのたうち回る強力な武器だ。物は試しで吉広にちょっとだけ当ててみたら、いてぇい!! と悶絶していた。何度も練習した、いけるはずだ。ふと視線を感じて横を見ると、助手席にいつの間にか燃子じゃなくて朝香さんが普通に座っているではないか。ブラウンのセーターにグレーのズボンと、いつもと違いシックな感じである。

「あ、こ、こんばんは朝香さん」

「生ゴミ、いい感じよ。今見てきたけど、いい意味で目が据わってた。やれると思うよ」

「あ、あの女の子だ、来た」

 長髪の若い女の子が、何やら手にプレゼントらしきものを持ってリズムよく歩いてくるのが見える。ここから前方約20メートル。吉広は一旦やり過ごす。そして……。

「来るよ。黒のアルフォード」

 後部ガラスから後ろを見ていた朝香がささやく。俺はハンドルを握った。事が終わればすぐに吉広と女の子を乗せて走り去る。頼む、上手く行ってくれっ! 気づけば手の平に汗がにじんでいる。女の子のすぐ横にアルフォードが止まり、一人の男が後ろのドアから降りてくる。いかん、結構な大男だ。女の子がたじろぐ。次の瞬間、女の子と大男の間に吉広が割って入り、両手の催涙スプレーを一気に吹きかける。見事に顔にかかったらしく、男が両手で顔を押さえる。まだだ。運転席の男が降りてくるぞ。吉広は女の子に何か言っているようだ。が、女の子は立ちすくんでその場から動かない。運転席から一人の背の高い男が降りてくる。そして、もう一人……後部座席から……。

「もう一人?!」

「うわー見間違えた!! 三人だったかゴメン!! やっちゃったーー」

 朝香さんやってくれたか。しかしながら、ここまでほぼ正確な情報を霊能力か何か分からないが特殊な力で教えてくれたのだから、何を言うこともできない。吉広は何か大きな声を上げて、勇敢に戦い続けている。もう一人にも上手く催涙スプレーをかけることに成功したが、運転席の男に強烈な右フックを食らってしまった。吹っ飛ぶ吉広。俺は、まずい! と声を上げた。しかし、同時に女の子が意を決したか、こちらに全力で走ってくるではないか。いいぞこっちへ来い!! 気づくと助手席には朝香さんがいない。俺は助手席のドアを開けて、泣きそうな顔で必死に走ってくる女の子に

「大丈夫! 乗って!」

 と叫んだ。女の子は一瞬戸惑いながらも、すぐ飛び込んで来た。ドアを閉めさせる。

「心配しないで。俺たちはキミを助けるよ」

 女の子はまだ状況を完全に把握できず混乱しているようだ。当たり前だ、いきなり拉致られそうになったのだから。俺は吉広に意識を戻した。一体どうなっている……? 俺の目に飛び込んで来たのは三人の男を宙に持ち上げてぐるんぐるん回している腕組みした朝香さんの姿だった。そうだよな、あの人俺らが肝試しに行った時俺ら六人全員レストランから叩き出して表に放り出してたもんな。そのまま三人は近くを走る用水路にゴミのように投げ込まれた。そして……朝香さんは吉広を大事そうに抱きかかえて悠々と戻ってきた。俺は車を降りて後部座席のドアを開け、協力して吉広を押し込む。

「だいぶやられたね。病院に連れて行ったほうがいいね」

 横に座った朝香さんが聞いたこともないような優しい声で言う。メガネとマスクを外した吉広は唇から血を流し、頬も左目も腫れて完全に失神してしまっている。

「吉広も泣いてたんだよ、さつきさんの人生を、最期を知った時」

 女の子が不思議そうな顔で俺を見てくる。そうか、この子には朝香さんは見えないし声も聞こえないのか。俺は深く頷いて、女の子に家はどの辺りですか、送ります、と声をかけて車を発進させた。安全運転でゆっくりと走りながら、先ほどからの一連の流れを思い出す。この子が逃げるまでは吉広一人で頑張ったよな。つまり、レイプから守った。だから、大丈夫だよ、な。バックミラーを見ると朝香さんがいなくなっている。女の子を無事家の前で下ろし、そこでスマホで一番近い救急病院を調べる。……これで終わった、か。俺は窓を開けてタバコに火をつけた。不思議と寒くない。メリークリスマス。俺は無数の星が煌めく夜空に一人言ってみたのだった。


 年が明けた1月4日。快晴の日の昼間に、俺と吉広は再びグレートサンセット蓬生の最上階のスカイレストランアメジストに来た。

「朝香さ~ん」

 と呼んでみるが返事はない。どっかに遊びに行ってるんだろうか。

「お礼を持って来たんですよ~」

 と吉広も声を張るが依然返事はない。まぁ、しょうがないか、と俺は紙袋を出来るだけきれいなテーブルに置く。中身は高級ブランドのカバンと財布だ。

「ちょっとだけ待ってみるか」

 俺は座れそうなレベルの椅子に腰を下ろし、タバコを吸い始める。吉広も向かい側にまともな椅子を持ってきて落ち着く。

「でもさぁ……思ったんだけど、俺らは助かったけど、助からなかった人たちが多分何十人、何百人といるんだよね」

「そしてこれからも増えるいっぽうだろう。あの動画はまだあのサイトに残ってるんだし、僥倖にも一か月以内にレイプを防げる人なんて1%もいないだろうからな」

「供養とか出来ないのかな」

「お墓には入ってるんだろうけど、自殺だし身寄りもないしで、どこかのお寺の無縁仏とかになってるんじゃないか、さつきさん」

「無駄よ、諦めなさい」

 突然話に参加してくる朝香さんに二人とも飛び上がった。

「いきなり登場しないでくださいよ」

 朝香は昼間だからか、半透明な姿で、俺たちの持ってきた紙袋を見る。今日はグレイのパンツスーツ姿のようだ。

「へぇぇ、最新のLoui Vittonかぁ。結構センスあるじゃん。いいね、気に入ったわ」

 というと紙袋が消えた。そして、こう続ける。

「あの女の子の強烈な呪怨はあんたたちの想像を遥かに超えてるよ。あんたら二人が墓参りしたぐらいでどうにかなるレベルじゃないから。もうこれ以上この問題には関わらないほうがいい」

 そう言った後、目を細めてひびの入ったガラス窓の向こうを見つめながらこう言った。

「人間ってのはしぶといよ。天然痘、ペスト、結核、エイズ、そして新型コロナ。山ほど死にながらも、人類を脅かすレベルの病気を全て克服してきた」

 そして二人を代わるがわる見て、にっこり微笑んだ。

「だから大丈夫。それより、これからも何もなくても女の子がレイプとか酷い目に遭ってたら助けるのよ」

 俺たちは声を合わせて、はい、と答えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る