百川七海

@wizard-T

西川七海

「見事、総合9位でフィニッシュ!」


 アンカーがゴールテープを切った瞬間、めちゃくちゃにはしゃぎ回った。往路を清水の流れに乗って7位で終え、復路も少し順位を落としたが無事シード圏内で走り切れた。僕自身の区間順位を思うとあまり素直に喜びきれないかもしれないが、それでもチームの勝利は単純に嬉しかった。


「素晴らしい結果だ。だがシード権を失った3校にとっては、いや他の全校にとっては今日から俺たちはターゲットだ。栄光は勝ち取るより守る方が難しい。少しでも気を抜けばまた出雲に行けなくなる。喜ぶのと浮かれるのは違うからな」

 監督の言葉はそれでも厳しい。昨日までは僕たちが追いかける側だった。今度からは僕たちは追われる側になる。それが勝負の世界だ。

「四年生の先輩たちのおかげですよ」

「まあな、俺は何にもできなかったけどな。最後の最後にきっちり結果を残してくれた四人の事は誇りにできるよ」

 そして、橋川先輩は優しい。監督と先輩、この両方に恵まれた僕はとても幸運かもしれない。だが新主将の先輩は先輩とは違ってやや厳しい人で、その点だけは少し不安もあった。




「何か暗いな」

「いえその…」

「まあ俺も少し言い過ぎたかもしれない面はある。情けない事を言えばお前たちは四年間でも俺にとっては二十年目だからな、成績が落ちようもんならば俺が飯を食えなくなる。箱根駅伝ってのは大学にとってもドル箱だからな」


 その夜のシード獲得の祝賀会の時、ようやくジョークを飛ばしながら顔を緩ませる監督に僕たちは安堵した。本当はもっと早くこの顔をしたかっただろうけど、それでも社会人として、監督として仕方がなかったのだろう。本当に、社会人になるってのは大変な事だ。

 そう思うと卒業する橋川先輩たちの笑顔も、どこか不安そうに思えて来る。


「結局、俺は四年間一度も走れなかったな」

「先輩…」

「大丈夫だよ、俺はこれからも市民ランナーぐらいで続けるつもりだ。実業団に進む誰かさんたちのようになれなかったのは残念だけどな。ああ、清水と一緒に走りたかったぜ」

「実業団ってのはそれこそ上澄みの上澄みですよね。優勝したとこの区間賞取った四年生も、大学で陸上をやめるって」

 それほどの存在でも、道はそれぞれ違う。僕が要らない事を言ったせいか先輩の笑顔は曇り出し、二十二歳の特権だと言わんばかりに酒をあおる。十九歳にはできない行い。本当に辛そうだった。


「俺も一度は箱根駅伝を走りたかったよとか言うけどさ、お前は俺らよりずっと近かったじゃないか」

「近かったから余計辛いんだよ」

 橋川先輩の同級生の人たちも言葉を続ける。全くその通りだ、あきらめも付けられないような事ばかりで悔しくないと言ったら大ウソつきだろう。

「清水が俺と似たようなもんだとわかってからさ」

「は?」

「清水、元旦に引いたんだろ?西川七海ちゃんを」

 

 西川七海とか言う、たぶん女性の名前。

 部員だけで五十名以上の男が集う場においていきなり出て来たその名前に心当たりがあるのは、橋川先輩と清水、だけではなく数名いた。


「俺もいっそのこと言いたかったんだよ、好きな女性タレント・西川七海って。でも一度箱根路を走るまでは言えねえなって思ってさ」

「堂々と言えば良かったんじゃないですか」

「そういうとこがお前が成功した理由かもしれねえな。俺はお前にはなれねえよ」

「あの監督、西川七海って誰です?」

 思わず監督に話を振ったが、返答はない。

 まさか二股かと思って目を見開いてしまった僕を見て、橋川先輩は笑い出した。




「知らねえのか、アイドルスターライツに出て来る星空の歌姫・西川七海を。ほれ清水」




 アイドルスターライツとか言う、これまでの人生で聞いた事のない単語。


 そして、意を決したように清水が見せて来たスマホにいるその西川七海と言う存在。


「お前…」

「優勝したとこのエースだって西川七海のファンでね、別に追従したつもりもないけど怖いよなー」


 清水は笑った。あまりにも純粋な僕を笑った。


「まあ、そんなもんだ…………言っとくが清水、とっくのとうにばれてるからな」

 

 監督さえも、笑った。そして今度は、清水が目を見開いた。

 お前も橋川先輩よろしく活躍するまでは秘密にする気で適当な実在のアイドルの名前を答えてたんだろと言われ、清水は苦笑いしながら頭を下げていた。


「俺は別に気にしていないぞ。なんだか古風で少し怖い監督みたいに言われてるが、そんなつもりもないからな」

「えっと……」

「まあ、今日ぐらいは肩の力を抜け。いいな!」


 僕は知らなかったし、知ってもいた。


 これが箱根駅伝の、ある現実だと言う事を。


 でも僕は、その気にはなれない。

 いわゆる二次元には、入り込めない。それならばそれでいいじゃないか。




 僕がお茶を飲みながら、そんな決意を固めたのは僕だけの秘密だ。

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