第5章 夕暮れに物語は幕を閉じる

43.現実回帰

☆☆☆


 街を救ったのは、絵画に描かれる金髪のキューピットのような天使ではなかった。三人のごく平凡な少年少女が有翼の獅子グリフィンに仕えることを条件に、街に降りかかる災害を止めてもらったのだ。街を襲った災厄が去った日、人々は夕空に三人の飛行する少年少女をみた。約束を果たすために風の精とともに有翼の獅子グリフィンの宮殿に向かう少年少女たちを。

空を飛びながら1人の少女が他の2人に問いかける。

「ねえ、私たちが犠牲になってまであの街を守る必要あったのかな? 私たちはいったいあの街の誰を救いたくて風の精に差し出されたのかな?」

「僕は犠牲になったなんて思ってないよ。普通に暮らしていたらできない体験ができるんだから。これからのことだって楽しみで仕方ないよ」

「私も。このまま退屈な日常を繰り返すよりずっといい」

 あの冬の日、私を呼んでくれてありがとう、と心の中で猫の妖精ケット・シーに語りかけた。街のどこかで猫の妖精の子供が「にゃあ」と鳴いた。


☆☆☆


 うーん、やっぱりこういうファンタジーっていうのかラノベっていうのか、このジャンルの面白さは分からない。でも面白さは理解できなくても、退屈を嫌う主人公の女の子の気持ちは共感できた。これもしかしたら私をモデルにしてないだろうか。それはちょっと自意識過剰か。

 怪猫事件の翌日、改めて楓から渡された原稿のうち、ちゃんと読んだのは十分の一ほどだ。あとはパラパラと飛ばし読み。ちゃんと読まないと失礼だ、と思うのだが文章を追っていると眠たくなってしまう。退屈な授業みたいに。ただこれまでの原稿よりも内容を理解することができた。文章の合間に挿絵が入っていたからだ。

「ああやっぱりそうかあ。そうだよねえ」

 挿絵のおかげで理解しやすかったと伝えると、楓は得心している様子であった。それから数日後、楓は地域文化研究部をやめて美術部に入部した。「美術部の活動に専念したいから、武蔵野亭の手伝いにももう行けない」とも、申し訳なさそうに言われた。

 理由が知りたい。高校2年の途中から部活を変わることはあまりない。それに渚が知る限り、楓の美術の成績は悪くはないけれど良くもない。この間の原稿の挿絵だって、物語の理解の助けにはなるけれど、イラスト単体でみたら特に上手とは思わない。

「美大に行きたいから、そのために必要なことをやりたいの」

 ずいぶん急な話だ。

「ちゃんと絵を学んで自分のイメージしたものを描けるようになりたいから。好きなものを表現するのに絵の方が良いと思ったんだ。そう思ったら文章だけで物語つくることに熱が入らなくなっちゃって。私あまり絵上手くないけど、苦手だからってそこから逃げちゃ後悔すると思うから」

 楓がこんなに堂々と自分のことを話してくれたのははじめてだった。以前「小説を書いてるんだ」と打ち上げてくれた時はものすごく恥ずかしそうだった。やっぱり少しずつこの子は変わろうとしている。

 友人として、彼女を後押しするべきだろうか? いややはり友人だからこそ厳しい現実を伝えるべきだろうか?

「将来漫画家でも目指すの? なれる人なんてごくわずかでしょ。潰しきかなくない?」

「やー、そうなんだよねえ。親にも反対されそうでまだ言ってないし。でも何回かは挑戦する予定」

 楓はエヘヘと笑う。

「あ、これもまだクラスの他の人には言わないでよ」

「真剣だったら、普通に言ってもいいんじゃない? そのうち分かることだし、隠しながらやるのってなんだか本気じゃないように見えるよ」

 渚は自分の口調がきつくなっていることを自覚している。自覚しているのに自制することができずにいた。楓は困ったような作り笑いを続ける。

「そうなんだけど、私、まだ渚みたいに強くないからさ。馬鹿にされたり否定されたりするとすぐに『やっぱりダメかも』って思っちゃうんだよね。だから、そうならないように今はまだ大事にあたためておきたいの。でもずっと隠し通すつもりもないよ。馬鹿にされても大丈夫なくらいになったら自分から話すよ」

 だからいまはお願い、と手を合わせる。男子ウケ抜群のその仕草に渚の心がザワつく。

「といっても本当に漫画家になりたいかはまだ分からないんだけど。とりあえず自分がつくりたいものを表現するには絵が必要ってくらい。こんな漠然とした感じじゃダメだよね。渚は? 将来なりたいものとかあるの?」

「私もまだないなあ」

渚は心の中では違うことを考えていた。

(「私は楓みたいになりたい」)

 今日の楓と話していると、劣等感で息苦しくなってくる。


 この間、中間試験が終わったばかりなのに、気がついたら期末試験の時期になっていた。その試験をなんとかやり過ごし、渚たちは夏休みに入る。梅雨も明けて、一学期の荒天が嘘のようにカラッと晴れた日が続く。あの怪猫事件もなんだか夢だったのではないかと思えてくる。レオやリュウとも顔を合わせれば挨拶はするものの、どうしてか事件について話すことはしなかった。飛田も何事もなかったかのように教師を続けている上、地域文化研究部の顧問のままだ。学校生活のどこにも事件の跡は残っていなかった。ちなみにあの日救急車で病院に運ばれたリュウは、傷の手当だけで済み、翌日から登校していた。医師にあの怪我をどう説明したか興味がある。

 夏休み。渚は申し訳程度に通い始めた塾の夏期講習と武蔵野亭でのアルバイト以外に予定はなかった。その申し訳程度の塾とアルバイトを理由に家族旅行も辞退した。旅行にいくよりは、武蔵野亭で怪猫事件の余韻に浸っていたい。武蔵野亭だけにはまだあの不思議な出来事の残り香がある気がしていた。

 でも武蔵野亭も夏前と比べると寂しくなった。楓が抜けて、夏休みに入る頃にはリュウも来なくなった。「塾が忙しくなるから」という理由だったが、本当は居づらくなったからだと思う。渚は引き止めることはしなかった。レオは一回は引きとめたようだ。

「あの件なら俺は気にしてないよ。一気に人がいなくなると寂しくなるから、できれば残って欲しいんだけど」

「ちげーよ。本当に塾が大変なんだ」

「そうか、じゃあしょうがないな」

 それ以上は引きとめない。こんな性格のレオだからリュウの側も友人でい続けられるのだ。レオはこのままがいい。武蔵野亭でレオと二人で話す時間を持てたことが、渚の高校2年の夏休みの楽しい思い出になった。

「花火とか夏祭りとか誘わないの?」

 すっかり生意気になった聖に言われたが、そんな勇気はとても出なかった。

 残念なことにレオも二学期を迎える頃から、武蔵野亭に来る回数が減ってきた。塾に加え英語の資格試験の勉強に時間を割きたいとか。海外の大学に行く準備なのかもしれない。10月に入る頃には、渚が通い始めたばかりのような静かな「武蔵野亭」が戻っていた。

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