42.モヤモヤの夜、キラキラの朝
聖とは対照的に渚は気分が晴れない。自分はこの事件の解決に誰よりも貢献できていないのではないか。加えて後ろめたさもあった。
妖怪が人の願望に反応するものだとしたら、この事件の間接的な原因は自分にもあるかもしれない。あたしは漱石といた時に「この窮屈な日常がめちゃくちゃになればいいのに」と何回も願っていた。あの「悠久の武蔵野」という空間が飛田の願望の反映だとしたら、非日常を引き起こした異常気象が続いたのは……。そう考えると自分には飛田を批判する資格はない。でもそれをこの場で誰かに言う勇気はない。ただ自分一人で抱え込むだけ。
公園から最寄りの駅である国分寺駅で解散した。武蔵野亭に帰る聖と一緒に乗ったバスに「武蔵野亭に取りにいくものがあるから」と楓も乗った。それなのにバス停を降りてから、聖と一緒に武蔵野亭の方には行かず、渚についてきた。
「ちょっと渡したいものがあるの」
どうやら渚と2人になりたかったようだ。手にB5サイズの封筒を持っている。史跡公園に来る前、いったん帰宅したときに取ってきたのか。
「なに? もしかして小説の原稿?」
渚の方は早く一人になりたかった。
「うーん、まあそんなとこかなあ」
「ごめん、いまちょっと疲れていて……」
「お願い、明日とかでもいいから。でもできるだけ早く読んで。全然長くないから。お願い!」
封筒を強引に押しつけてそそくさと去っていった。楓は渚に対してわがままだと思う。いつもは気にならないけれど、自分の感情の処理で精一杯の今はイラッとした。
手渡された封筒は確かに薄かったので、読むのは大変ではなさそうだ。それでも今夜は開く気になれなかった。
鏡を見たら、ひどい顔の自分が映っていて、それもフラストレーションに拍車をかける。こんな気分のままでは寝付けないと思ったが、相当疲れていたのだろう、ベッドに入ってすぐに意識は落ちた。
目が覚めると、窓の外は明るく雨の気配はどこにもない。空は青く、降り注ぐ光が見慣れた家々と緑の木々を鮮やかに彩る。夏の始まりが香ってきそうな気持ちの良い朝だ。
楓から渡された封筒から中身を取り出すとクリップ止めした数枚の紙が出てきた。パソコンではなく手書きの文字が書かれていた。急いで書かれたような文字。「実はこれ小説の原稿ではないです」という出だしで文章は始まっていた。いつの間に書いたんだろう。
☆☆☆
実はこれ小説の原稿ではないです。今思っていることを渚に話しておきたくて手紙にしました。私、面と向かって自分の気持ち伝えるのすっごい苦手だから。
怪猫事件(これすっかり定着したね)のこと、最初に渚に相談されたとき、ありえないと思う一方で、すごくワクワクしてしまいました。不謹慎だよね、学校が被害にあったっていうのに。そのあとカフェや学校がますます大変な状況になっても、むしろ楽しんでいる自分がいて、それに対して申し訳ないなんてまったく思っていなかった。
リュウが大怪我して泣いているのをみて、私最低だなって気がつきました。うまく言えないんだけど、自分以外の誰かが傷つくことで成り立っている非日常の体験を、安全なところから楽しんでいるような感じがした。私なりに努力してたことはあります。本心を言うのが苦手だし、人から嫌われるのがすごく怖いけれど、そんなこと恐れてちゃ何もできない、って。でも、それでも結局嫌なことも辛いこともレオとか他の誰かが引き受けてくれて、それに甘えていた。思っていても行動ってなかなか伴わないね。でもずっとそんなでいいハズがない。
なりたい自分にいきなり変われる。なんて裏技はないみたいだけれど、これからは少しずつでも渚みたいに嫌なことから逃げない人になろうと思ってます。おわり。
追伸:全然違う話だけれど、この間、はじめてちゃんとした絵を描いてみました。自己流なんで上手くないしすごく恥ずかしいけれど、最初に渚に見せたかったから。
☆☆☆
「マジで原稿じゃないじゃん」
やっぱり楓は変わっている。こんなことしないだろ普通。
絵は3枚ついていた。たしかに上手いとは言えないが、何を描いているのかは分かる。1枚目はカフェらしきところで子猫と戯れる女の子。2枚目は同じカフェでチョコレートを食べている女の子。3枚目は大人の男性に文句を言っている女の子。女の子は少女マンガっぽくデフォルメされているけれど、どれも渚だということは認識できる。その後ろに4枚目があった。紙いっぱいの大きな文字で「言いたいことが言える勇気がある渚ちゃんを尊敬しています」と書いてあり、ハートマークが添えられていた。
「あーもうホントヤダ……」
どうやら世界はとても輝いていて、自分以外の人間が全員素敵に思える初夏の朝。
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