34.あじさいの町を抜けて

「なんだか変な感じだね」

 楓の言葉に渚が頷く。渚たちは前方を飛ぶカラスを追うように、高校から東の方角に十分ほど歩いてきている。前方のカラスは住宅街の塀から塀に飛び移り、時折「早く来い」とでも言うようにカアーと鳴く。あとどれくらい歩くのだろう。 

「もうすぐ到着だそうです」

 いよいよか。相変わらず住宅地だが、前方の道の左側には木々が茂る公園が広がっているようだ。

「もう紫陽花あじさいの季節だね」

 楓に言われて気がつく。本当だ、住宅街の軒先にはあちこちに紫陽花が咲いている。もうそんな季節か。桜が散ったのがついこの間のことのように思えるのに、もう2ヶ月経っていたのだ。時間の流れが早く感じるのは雨続きで自然の変化があまり感じられないためだろうか。

 電信柱に貼られていた住所が目に入った。このあたりは「天神町」というらしい。日頃地理なんて意識しないから市の境目などは分からないが、たぶんまだ府中市内だろう。でもこのあたりの土地勘はない。住宅街とはいえ知らない街を歩き続けると不安になってくる。

 渚はまだ前方を歩くリュウに気軽に話しかけることができずにいた。「許さない」とか「もう決して仲良くしたくない」とかリュウを拒絶したいわけではない。それどころかレオ同様に隙のない高校生に見えていたリュウが、暗い感情を抱え込んでいたことに親近感すら覚える。「ああ、彼も同じように悩みがある高校生なんだ」と。でも裏切られたという事実をあやふやなままにして、何事もなかったかのうように接することはやはり渚にはできなかった。せめてリュウの方から一言謝ってきてくれれば、水に流せるかもしれないのに……。

「ここ府中市美術館の近くだね」

 楓の一言で我にかえる。

「楓、家こっちの方じゃないでしょ?」

「違うけど美術館にはたま〜にいくから」

 そんな趣味があるとは知らなかった。

「土日は人で賑わっているよ。晴れていたら散歩するだけで気持ちいいとこ」

 楓が知っている場所というだけで、不安が少し払拭された。

 前方のカラスが3階建てのマンションの前でとまった。一向が近づいても動かない。千歳がカラスとアイコンタクトをとった。振り返り渚たちに告げる。

「ここみたいです」

 建物の入り口はオートロックになっていた。

「何号室だかわかるんですか?」

「304です」

 304号室と思われる部屋には薄いカーテンが弾かれていて、部屋の中はよく見えなかった。建物の入り口のタッチパネルで呼び出すべきか。素直にあけてくれるとは思えないが。

 少ししてマンションの住人と思しき若い男性がオートロックのドアの向こうから出てきた。扉が閉まる前に聖が取っ手を掴む。

「行きましょう」

 毅然きぜんと言う聖に、千歳は頷いて中に入る。続いてリュウが無言で中に入る。

「しょうがないな」

 と小さなため息をついてレオが続く。渚は楓と顔を見合わせて「しょうがないよね」と頷き合い、建物の中に入った。


 304号室の前まできてドアチャイムを押したが反応はなかった。どうしようか、と渚が楓たちに声をかけようとした時、

「あ、よかった鍵はかかってないみたいです」

 ガチャっと千歳がドアノブを回し、扉をひいた。

「ちょっと、何やっているんですか!?」

 渚は思わず声を上げる。不法侵入だ。最近豪胆な一面を覗かせている楓もさすがに戸惑っている。しかしそんな渚たちに構わず千歳は扉の中に入っていく。聖が慌てて引き止めに入る。

「千歳さん、さすがにちょっとまずいですよ。……?」

 聖は千歳を引き止めようと身を乗り出して、そのまま固まった。

「聖くん、どうかした?」

 楓の声で、聖がこちらに向き直った。血の気がひいている。場所を他のメンバーに譲るように身をひく。

「ちょっと、覗いてみてください」

 渚が恐る恐る扉の隙間から中を覗くと真っ暗だった。「何も見えないじゃん」と思ったら、前方で何かが赤く光った。その光はゆらゆらゆれている。灯火あかり? しかし燭台が見えない。火の玉が空中に漂っているように見える。この空間はいったいどうなっているんだ……。

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