33.価値観
レオがリュウから話を聞き出した数日後の放課後。
校門の前で待機している楓のスマホにレオから連絡が入った。
レオは聖とリュウと一緒に飼育スペースのゲージを確認したが、漱石はいなかったという。すでに飛田がどこかに移したのだろうか。
「仕方ない、千歳さんを呼んで飛田先生のとこに行こう」
渚が頷いて、スマホを取り出す。聖に教えてもらった番号に電話をかけると、応答はない。「番号間違えたか」と思っていると、すぐに千歳が姿を現した。いったいどこで待機していたのか。でもそんな神出鬼没ぶりにももう慣れてしまった。
「その番号、他の人には教えないでくださいね。まったく聖くんが連絡してくれればいいのに」
渚だって別にこんな得体の知れない男に電話なんてかけたくなかった。
「さあ行きましょ」
職員室で飛田を呼び出す。飛田は作業中だったが、すぐに出てきた。たぶん中間試験の採点をしていたんだろう。
「ちょっと先生に漱石のこと聞きたいっていう人がいまして」
前置きなく切り出したので、またシラを切られるかと思ったが、千歳の姿を認めると飛田の瞳に好奇の色がありありと浮かぶ。
「これはこれは」
初対面のはずなのに、すでに彼の正体が予想できているようだ。
「こんにちは、カラス天狗の千歳と申します。怪猫についてお伺いしたく……」
「待ってください」
飛田が慌てて千歳を遮る。
「ちょっと場所を変えましょう。人目につくところでする話じゃないですから」
飛田は渚たちをまだ立ち入り禁止になっている地域文化研究部の部室へと誘う。立ち入り禁止なので当然人はいない。鍵を取り出して部屋をあけると、中はほぼ落雷前の状態まで復元されており、もう問題なく使えそうに見えた。
「このまま怪猫を匿い続けたら、どうなるか分かっていますよね?」
千歳らしく単刀直入だ。飛田は何も言わない。渚も畳み掛けるように問い詰める。
「先生、漱石をどこに隠したか教えてください!」
まだ何も言わない。何かを思案している顔だが、感情を読み取ることができない。
「仕方ないですね」
千歳がスッと前に出る。手に団扇を持っている。それをひと仰ぎしようとした時、パアン! という音が響いた。次の瞬間、千歳の手から団扇が教室の床に落ちた。渚には一瞬何が起きたのか分からなかったが、飛田がモップを目の前に構えているのを見て、それを竹刀のように打ちつけたのだと理解した。どうやらこの部屋に用意してあったモップらしい。なんという早業だろう。まるで神社でカラスを撃退した聖の剣技のようだ。
手首を打たれた拍子に、はめていた数珠にあたったようだ。バラバラと数珠がほぐれて落ち、カンカンと音を立てた。千歳が打たれた右手首を左手でおさえこみ、苦悶の表情を浮かべる。
「これが本物の
目が興奮でギラギラしている。狂っている。この人いったい何なんだろう。何のためにこんなことしてるんだろう。千歳という男も渚の理解の範疇を超えてはいる。しかし同じ人間だと思っていた分、飛田の異常さの方が千歳の非常識ぶりよりも余計に際立っている。
飛田が距離を詰めてくる。床に落ちた千歳の団扇を拾おうとしているのだと分かった。先に拾おうとする渚だったが、
「動くな」
威圧するような飛田の声に気圧されて、蛇に睨まれたカエルのように動けない。
ゆうゆうと団扇を拾った飛田は、宝物を拾った子供のように目を輝かせた。
その時、渚たちの背後から声がした、
「先生」
振り向くと聖、それからレオとリュウがいた。
「それ、千歳さんに返してください」
聖は手に竹刀を持っている。
「あと、他の先生呼びましたから、これ以上暴力振るわない方がいいですよ」
飛田は小さく舌打ちしたが、冷静さは失わずに、
「分かったよ。でも先に手を出そうとしたのはそっちだ。これは預かっておく」
と教師然とした態度を繕い、渚たちの脇を通り抜けていった。
「まずい、まずい!」
ごくわずかだが、今まで感情の変化に乏しかった千歳に狼狽がみえる。それはつまり大変だということだ。
「マズいっていうのは、あの団扇のことですか?」
楓が尋ねると千歳は頷く。
「あれ、なんなんですか?」
「あれは私の一族の宝の一つで、邪を払う団扇です。あれで仰ぐことによって災難や邪気を払ったり、人の欲求や衝動を沈めることができるのです」
「良いものじゃないですか。悪用しようがないように思うんですけれど」
渚も同じことを思った。
「ものは使い用ですよ。今われわれがあれで煽がれたら、漱石を取り戻そうという意欲が沈められてしまいます」
ここにきて、それは困る。
「それに、そもそも人間の手に渡っていいものではないのです! ああ、このままでは私は追放されてしまう!」
千歳の声のトーンが高くなった。これは一大事のようだ。
「大丈夫、きっと取り戻せますよ、千歳さん。落ち着いてください」
千歳の焦りが伝播していた一同の中で、楓は一人落ち着いていた。
「このまま飛田先生の家にいきましょう。盗られたものを取り返すという立派な口実ができたんですよ。ついでに家宅捜索して漱石ちゃんも見つかれば一石二鳥じゃないですか」
「簡単に言うけど、先生の家どうやって探すの?」
渚が横から口を挟む。教師の住所って、他の先生に聞けば教えてもらえるものなのだろうか。
「千歳さん、カラスを使って突き止められませんか?」
千歳の表情がピクッと動いた。
「できますね……、できます。すぐ確認できます。ちょっと待っていてください」
「すぐ確認できるのならこの後、このまま行きませんか? 時間あけない方がいいと思うんです」
「そうですね、そう思います。じゃあ私はカラスたちに確認します。十五分後くらいに正門で落ち合う形でどうでしょうか?」
「いいと思います。そうしましょう」
「では」と早々に地域文化研究部の部室から立ち去る。
渚はただただ起きていることについていくので精一杯だった。前方を歩く楓に視線に向ける。カラス天狗の千歳をいいように扱った楓。振り向いた彼女と目が合うと、そこには先ほどの飛田と同じ興奮、あるいは狂気が宿っている気がした。彼女はこれから待ち受ける冒険に心底ワクワクしているのだ。そんな楓を不謹慎と思いつつも、これまでみた楓の中で一番魅力的だとも感じた。
他の面々の様子も伺う。聖は延長線に突入した試合が始まる前のように、静かに闘志を漲らせている。リュウは居心地が悪そうにみんなと顔を合わせるのを避けている。いつも彼が纏っていた余裕を失っている。それでも頑張ってここに踏みとどまり、最後まで付き合う覚悟を決めているようだ。反対にレオはいつもと変わらず堂々と、そして淡々としている。
最近まで渚は楓以外のメンバーとはさほど親しくなく、この事件と武蔵野亭という場所を介して距離を縮めていった。渚なりにそれぞれの人となりを理解しようと努めた。ただ根底には「5人は同じ感覚を有しているはず」という思い込みがあった。
5人は同い年で(聖は1つ下だが)、同じ学校に通い、比較的近くに暮らしている。そうした5人だから価値観とか常識にズレはなく、違和感や共感の感覚は同じであるはずだと思い込んでいた。でも実際はそうした感覚は5人それぞれで異なっていたのだ。同じ物事をみて自分が抱いた感情は楓やリュウの抱いた感情とは違うものだった。もしかしたら楓なんかは、飛田の方により近い価値観を持っているのかもしれない。
(「年齢とか、通っている学校とか、住んでいる場所とか関係ない。みんな、違うんだ」)
そんな当たり前を、当たり前として認識できていなかった。
5人はこれまで別々のスタンスで怪猫事件と関わってきたのだ。そして別々のスタンスのまま事件は最後の局面に入ろうとしていた。
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