32.巻き込まれ体質③

 レオこと仙川礼央は頭がいい。サンパウロ(ブラジルの都市)から転校してきてすぐに、多摩北高校ではクラスの空気を乱さないことが至上のルールであると理解できた。レオは戦略的に振る舞うことが得意だったらしく、そのルールに気がついたら苦労することなくクラスに溶け込んでいけた。キャラを演じることが楽しかった。運動神経が良くて、英語と数学という多くのクラスメイトが苦手な科目で高得点をとる万能キャラ。あとはその役を演じ続ければ良かったのだ。人と本音で話し合いたいとはもう思わなくなっていた。そんな時に、

「お前すごいな。そんな完璧なキャラを演じ続けられるなんて」

 と声をかけてきたのが桜ヶ丘竜也だった。ドキっとしたが、バレてるなら仕方がないと諦め、彼には本音を言うようになった。リュウと呼ばれているこの生徒、見た目は不真面目そうなのに成績は良い。レオも彼に興味を持った。

 リュウが自分以上の努力家だと気がつくまでに時間はかからなかった。一度だけ、日本の高校生にはそぐわない表現で思っていることをリュウにぶつけた。

「君は『不真面目で遊んでばかりいるくせに成績は良いというキャラクター』を保つため、俺よりずっと努力していると思う。勉強していないふりをしながら、普通に勉強している人より良い成績を取るのはものすごく大変なはずだ。だから俺は君を尊敬する」

「あのなあ、日本でそういうこと言うなよ」

 あの時のリュウの困ったような顔は今でも覚えている。少し照れながら、しかし照れ隠しにちゃかしたりバカにしたりすることはなく、平然と受け流した。レオからみて精神年齢が低い同級生の中でリュウは違ったのだ。彼とは日本の高校特有の空気を気にせずに個人と個人で向きあうことができた。地域文化研究部に入ったのも半分はリュウがいたからだ。

 

「なあ、リュウ」

 想像以上に緊張して声が震えてしまっている。定休日の武蔵野亭にはレオとリュウしかいない。

「なんかすっげー言いにくいこと言おうとしている?」

 リュウは屈託なく笑っている。いつもの笑顔と口調。レオは意を決して切り出した。

「前に猫がたくさん出没する公園があるって教えてくれただろ? あそこ最近行ってる?」

「いや。もう全く行ってない。どうして?」

「その公園のこと、他にも知っている人がいてさ」

「へえ、そうなんだ」

「でね、そこで何回か猫をいじめている高校生たちを見た人がいたんだ。どうもそれがうちの高校の生徒らしいって……」

 そこでリュウの顔をうかがって、ぎょっとした。穏やかな表情から豹変して険しい目つきになっていた。

「お前いったい何調べてるの? それ怪猫事件と関係ないだろ」

 刃物のように鋭い口調。部屋の温度が一気に下がった。この変化の意味するところは明らかだった。楓の考えが間違いであって欲しいという願いは叶わない。

「やっぱりいたんだな? 動物虐待なんて……」

「なに、学校とか警察にチクる気? それでお前に何の得があるの?」

 こんなあっさり開き直るなんて、いつも大人で頭がいいリュウとは思えなかった。人って痛いところをつかれるとこんなに脆いものか。

「学校にも警察にもチクらないよ。でもどうしてそんなことしたんだ?」

「さあ。ストレス解消?」

 反省や後悔が微塵も見られない。あまりの豹変ぶりに悲しい気持ちを通り越し、返って冷静になることができた。レオは着実に自分の役割をこなしていくことにした。

「その時、何か変わったことは起きなかったか?」

「なんだよ、変わったことって」

「リュウたちが猫をいじめている間に、まわりでおかしなこと起きなかった?」

「はあ? 何言ってるか分からねえ」

 今は何を聞いてもちゃんと答えてくれなさそうだ。レオは深呼吸する。ここで対話を投げ出したら、きっとのちのち後悔する。

「これは単に頼みなんだけど、もうそういうことやめてくれないか? 目撃者がいるんだ。いつもあの猫たちに餌をやっていた人でさ、悲しんでいるし怒ってもいる。現場の写真も撮ったみたいだ。今回はうちうちで済んでいるけれど、本当に捕まるかもしれないぞ」

 レオの辛抱が功を奏したのか、リュウも少しづつ落ち着きを取り戻したようで、

「俺がやらなくても他のやつがやるかも知れないぜ」

「そいつら、リュウと仲良いのか?」

「いや別に。たまたま塾が一緒で家も近いから、猫に会いに行く時につるんだだけ」

 猫に会いに行く、という表現が隠語のようで気持ちが悪かった。

「リュウがやめろって言ったらやめるかな?」

「勘弁してくれよ。俺にメリットないじゃん」

 メリット……。俺が逆の立場だったら、やっぱりこういう考え方をするんだろうか。自分が動物を虐待するなんて考えられないけれど。

「そいつらが学校か警察に突き出されたら、共犯者としてリュウの名前を出すかも知れないよ」

 リュウが動揺しているのがわかる。この調子で冷静に。感情的にならずに。

「そいつらも自分たちが目撃されているってリュウが伝えたら、やばいと思って控えてくれるんじゃない?」

 リュウは黙りこんでいる。理を認めてくれたと思いたい。

「それに俺、地域文化研究部やこの店に迷惑かけたくないんだ。それだけやってくれたら、学校にも警察にも言わないから」

 リュウは少しの沈黙ののち、

「言うだけ言ってみるけれど、結果は保証できない」

 観念したように呟いた。

「それで十分だ。あともうひとつだけ聞きたいんだけど、いなくなった漱石知らないか?」

「……知らねえよ」

 答えるまでの間が気になる。リュウと目が合い、視線を外さずにじっと見つめていると、リュウは目を逸らして、別のことを口にした。

「変わったこと、なのか分からないけれど」

「え?」

「だからさっきの『何か変わったことはなかったか』って質問。先月猫たちをいじめている時に近くですごく大きな音がしたんだ。落雷だった。それで俺たちは怖くなって逃げた。神様なんて信じてないけれど、天罰がくだるんじゃないかって、その時は思った。他のやつはどうだか知らないけれど、俺はもともともうやらないつもりだった」

 リュウの口調が、柔らかくなってきている。

「漱石、学校にいるってことはない?」

 リュウの目が泳ぐ。

「いるんだな? 教えてくれ。俺は漱石を無事に千歳さんに引き渡すことができればそれでいい。リュウのことを咎めることもしない」

 リュウは躊躇したが、それもほんの僅かの間だった。

「先生に……」

 飛田のことだ。

「秘密だ、と約束させられた」

 レオは信じたくなかった。仲の良い友人と尊敬できる先生を今日1日で失った気分だ。

「リュウはどうしてその約束を守っているんだ? このままじゃまずいことは分かってるだろ?」

「俺が猫いじめに加担していることを知っている」

「脅迫されているってこと?」

「はっきりとは……。でもこれ以上やらなければ、黙っていてくれると約束してくれた」

 それを脅迫と言うんだろ。

 リュウから攻撃的な姿勢は消え去り、憔悴してがっくりと肩を落としている。

「全部話すよ、知っていること」


 地域文化研究部がはじめて武蔵野亭を訪問した時、リュウは気がついた。漱石が武蔵国跡地の公園にいた子猫だと。目が合った瞬間、子猫は逃げ出して、その後みかけることはなかった。もし漱石が店にとどまり、自分にだけ懐かなければ、みんなから何かあると疑われる。だからいなくなってくれて内心ほっとしていた。

 その数日後のこと。職員室に飛田を訪ねたが不在だった。帰宅したわけではなさそうだったので、他の教師に訪ねると「飼育スペースの方かも」と1人が言う。時々そっちの方に行くのを見るらしい。

 あそこは今立入禁止のはずだ。どうしてあんなところに? 待っていても手持ち無沙汰なので飼育スペースに向かった。「関係者以外立入禁止」の立て看板が置かれていたが、その向こうに人の気配がした。

「すみませーん」

 と声をかける。返事はない。

 規則破りと分かりつつ飼育スペース内に入っていくと、飛田の姿が目に入った。とあるゲージの中にいる何かに餌をあげているようだった。それが漱石だった。

「武蔵野亭から逃げ出したところを保護したんだって言っていたよ」

 なんてことだ。結局、楓の読み通りではないか。

 楓たちに連絡すると、この後すぐにでも作戦会議がしたいと言われが、あいにく今夜はカポエイラのレッスンがあるからと、後日にしてもらった。 


 リュウを先に帰してから、少し間を置いて店を出る。もう少し一人で休みたかったが、のんびりしていると聖が戻ってきてしまう。

「帰るか」

 今日はカポエイラのクラスはない。

 夕飯を食べる気にはなれず、代わりにコーヒー豆を挽く。リュウとは元の関係に戻れるだろうか。無理な気もするし、意外といけるような気もする。リュウも俺も完璧には程遠いけれど、そんなに心の狭い人間じゃない。

 いま破いたばかりのコーヒー豆のパックをみると、ブラジルから仕入れたもののようで、パック表面の説明文はポルトガル語で書かれていた。そういえば日本に来たばかりの頃はサンパウロが恋しくて、暇さえあれば向こうの友人とポルトガル語か英語でSNSのやり取りをしていた。今はもうほとんどしていない。日常生活で使う言語は日本語だけだ。サンパウロが恋しくなることもなくなっていた。それだけ多摩北高校で過ごす毎日が充実していたのだ。

「ハァ〜」

 とレオは大きくため息をつく。

「日本での生活も十分楽しんだし、高校卒業したら違う国に行くか」

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