11.コーヒーとチョコレート

 同じ日の夕方の武蔵野亭。一度帰宅して、私服に着替えた渚が店に入る。聖は見当たらないから今日はバイトに入っていないのだろう。

「こんにちは。この間はありがとね」

「いえいえ」

 ここに来るのも遥に会うのも神社でのマーケット以来である。

「怪我、本当にどこもしてなかった?」

「はい、私は大丈夫です。聖くんの方は?」

「顔の傷が思ったより深かったみたい。でも本人はあまり気にしていないみたいだからとりあえず大丈夫じゃないかな」

 先ほど聖と会った時に見た顔の傷を思い出す。渚だったら平静ではいられなかっただろう。そういうところは男の子だなあ、と思う。

 渚はドリンクのメニューを見る。

「あの今日はコーヒーを飲んでみようと思うんですけれど、初心者でも飲みやすいのってどれですか?」

 遥は苦味が少ないコスタリカのなんとかという豆のコーヒーを勧めてくれた。

「もし飲めなかったら、ミルクつけるから」

「ありがとうございます」

 五分くらいして遥がコーヒーを運んできてくれた。

「これサービス。コーヒーの合間にどうぞ」

 と、板チョコレートを1つつけてくれた。

 勇気を出して一口飲む。苦い! これで苦味が薄いのかと思うと、やっぱりまだまだコーヒーの美味しさを理解できそうにない。ミルクもらおうとカウンターの方を見ると、遥は他のお客さんの注文をとっていた。少し待とうと思い、板チョコをかじる。

(「あ、すごい美味しい!」)

 舌に残っている苦味がチョコの甘さを引き立てているのか。コーヒーをもう一口飲む。やっぱり苦い。でもさっきよりは慣れた気がする。舌にチョコの甘さが残っていたからかも。

「あ、飲めた?」

 しばらくして他のお客さんへの注文を出し終わった遥に声をかけられた。

「はい、チョコレートと一緒になんとか。でもやっぱり苦かったです」

「そうか、まあ無理しないで」

 と言ってミルクのポーションをくれた。

「そういえば、今日帰り、入学式終わった聖くんと一緒でしたよ」

「そうだったの。あの子どんな様子だった? 学校が嫌だとか言ってなかった?」

「すごく楽しそうってわけじゃないけど、そんなに嫌そうにも見えなかったですよ」

「そっか」

 ホッとした様子の遥をみて、渚は続ける。

「あと、カラスは人の顔覚えるから、あまり一人で人通りのないところで歩くなよって私のこと心配してくれたので、優しいなあって思いました」

「へえ、意外」

 口でそう言いつつ、遥さんは嬉しそうだ。親心だろう。

「部活はどこか入るのかしら。何か言ってた?」

「ああ、部活は入らないよって言ってました」

「そっかあ。まあ部活だけが高校生活じゃないからね」

 渚はうなずく。ここで部活動のない高校生活なんて意味ないと言われたら、帰宅部の自分は立つ瀬がない。

 二人が談笑していると、カラスとアヒルを足して割ったような妙な鳴き声が聞こえた。そういえば先週のマーケットで出店の支度をしていた時も聞いた気がする。店の上方からだ。

「遥さん、今の声聞こえました?」

「時々聞こえるのよ。店の屋根に変な鳥が巣でも作っていないといいんだけど」

 あの時は漱石の威嚇するような鳴き声に反応しているように聞こえたけれど。そういえば今日は漱石はどこだろう。


 その日の夜中、ズドン! という音で渚は目を覚ました。居間にいったら、様子を見に外に出た父親が戻ってきたところだった。どうやら近所の空き地に雷が落ちたらしい。

「人がいるところじゃなくてよかった」

 居間の窓から外を覗くと、街灯に照らされた暗がりの中で何かが動いている。目を凝らしてみると、それは数羽のカラスだった。

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