12.地域文化研究部

「渚ってコーヒーに興味があるの?」

 新年度が始まって10日くらい経ったある日の放課後。教室で帰り支度をしている時、楓に聞かれて「なんで?」と思った。武蔵野亭にたまに行くことも、3月末に店を手伝ったことも楓には言っていない。

「レオから聞いたの。3月の神社に行った時、渚がコーヒー出しているお店を手伝っていたって」

 ということはレオも私に気がついていたということか。だったら声かけてくれれば良かったのに……。

「楓って仙川くんと仲良かったっけ?」

「同じ部活だもの」

 それは初耳だ。でも彼はサッカー部だったはず……。

「仙川くん、地域文化研究部に入ってたの? サッカー部だと思ってた」

「全然そんなイメージないよね。最初サッカー部だったんだけど、去年の夏にやめたみたい。二学期にこっちに入ったの」

 本当に全然知らなかった。レオのことはよく見ていると思っていたのに、そういう基本的な情報は抜け落ちている。クラス内でのコミュニケーション量が低いことの弊害だ。

 ちょうどその時「お、楓部活行く?」と絶妙なタイミングで教室の前を通りかかったレオこと仙川怜央が、楓に親しげに声をかける。二言三言かわしてから渚の方を向いた。

「この間、神社にコーヒーの屋台だしてたよね? あの時のスタッフでいたでしょ? 最初分からなかったけど、途中で気がついたよ。なんとなく声かけそびれちゃったけど」

 渚もなんとなく声をかけそびれたのでお互い様である。助けてもらったお礼を言わないと。

「その様子だと怪我なかったみたいで良かった。一緒にいた男の子も大丈夫だった? あの剣道めちゃくちゃ上手い子」

「あ、うん。仙川くんにお礼言っといてって聖……その男の子からことづかってた。ありがとね」

 渚はレオのことを下の名前で呼べるほど親しくなってはいなかった。

「そんなそんな、俺はたいしたことはなにも。ほとんどあの子の手柄だよ」

 レオはなんでもない、というように手をふる。やっぱりこういうカラッとしているところは好きだなあ。

「え、なに、例のマーケットでなんかあったの?」

 楓が割って入る。カラスに襲撃されたくだりは聞いていないようだった。

「三月終わり頃、神社で近隣のお店が出店するマーケットがあって、そこで会ったって言っただろ? そのときにカラスの大群に襲われたんだ。幸い誰も怪我がなくて良かったけど」

 本当は聖の顔にそこそこ大きな傷がついた。意外と治りが遅く、二週間以上経った今もまだ傷跡が残っている。

「ところで、国領さんってコーヒーとか興味あるの?」

 楓と同じことを聞かれた。なんて言おうか迷っていると

「もし良かったら、部室で一緒にコーヒー飲んでいかない?」


 地域文化研究部の部室にはコーヒーを淹れるための器具一式があった。どの器具がどういう役割を果たすのかは分からないが、武蔵野亭で見たことがある。文化系なのにというべきか文化系だからこそというべきか清潔な空間だ。テーブルや椅子も高級品で、配置も他の教室とは違っている。

「この部室は、生徒同士が共同作業やミーティングできるのに適した設計になっているんだって」

 楓が説明してくれた。多摩北高校では実験的な試みらしい。

「まだ先輩たちきてないな。さっそくいれるか。豆、いくつかあるけど、何飲みたい?」

 レオは渚がコーヒーに精通していると思っているようだ。

「いや、実は私あんまり詳しくなくて……」

 その時、後ろで扉が開く音がした。

「お、コーヒーいれる?」

 明るく染めた長髪の男子が入ってきた。あの時とレオと一緒にいた人だ。

「あ、リュウ。今年度もよろしく」

 楓が声をかける。リュウと呼ばれた男子も挨拶を返し、渚の方をみた。

「あ、私のクラスの友達。今日は見学。だよね、渚?」

 楓に話を振られた渚は頷き、リュウに自己紹介した。

「あれ、もしかして神社のマーケットで、コーヒー出していたお店にいた? それでもってカラスに襲われた……」

「あ、そうです」

 同級生なのに、なんか敬語になってしまう。

「同じ学校でしかも同じ学年だったんだな。二組の桜ヶ丘竜也さくらがおかたつやです。竜也のタツが竜って字だから、リュウって呼ばれてることが多いかな」

 笑顔がレオに負けないくらいサワヤカだ。

「先生は?」「さあ、もうすぐ来るんじゃない?」というやりとりを交わしながら、リュウはコーヒー豆のパックの方を向く。

「コーヒー入れようとしていただろ。俺いれていい?」

 誰も異論はない。リュウが選んだ豆のパックにはローマ字でBRAZIL《ブラジル》と書いてあった。

「そういえば、今日クラスで変な噂があったよ。昨日の放課後にさ、こないだのマーケットがあった神社のあたりで、羽が生えた人間みたいなのが飛んでいるのを、何人かみたんだって」

 一同の注目が豆を挽いているリュウに集まる。

「ああそれうちのクラスでも誰か言っていた気がする。場所までは知らなかったけど。これだろ?」

 レオがスマホを取り出して、SNSの投稿を見せる。小さくてよく分からないが、巨大な鳥のようなものが飛んでいる写真だ。「#鳥人間」とタグづけされている。羽がついている人間に見えなくもないが、影のように写っているので判然としない。

「そうそう、それ。神社の近くに住んでいる女子が、この投稿画像みて『これ近所でもみた』って言っていたんだ。確かに鳥というより人間が飛んでいるようだったって」

 まさか。ひと回り大きな鳥か何かだろう。渚は巨大なカラスを想像して、身震いがした。渚の中でカラスの存在感が強まっているようだ。悪い意味で。しかも場所がカラスに襲撃されたあの神社ときた。

「これさあ、2月のはじめくらいに前のクラスでエミがみたっていう天使と同じかなあ」

 楓が自分に向けて喋っていると気がつくまでに、一瞬間ができた。なんの話か分からなかったからだ。

「え、知らない」

「えー。この話してたとき、渚もいたと思ったけどなあ」

「場所は? 神社のあたり?」

「はっきりとは覚えてないけど、違ったと思うよ。エミ、家の近くの公園って言っていたから国分寺の方じゃないかな。国分寺駅の近く」

 エミという子が誰かは認識しているが、そんな話は聞いたことがなかった。きっと自分がいない時に話したのだろう。あたしはその子とたいして親しくない。それに「天使」なんて印象的なフレーズが出てきたらさすがに記憶に残っていそうなものだ。ふと別のことが思い出された。2月ごろに楓から「感想聞かせて」と渡された原稿に「天使」が出てきた。すごい発想だなと思ったけれど、もしかしてこの話から着想したのだろうか。

「国分寺だったらリュウの家からも近いだろ。そこ、リュウが前『近所に猫がたくさんいる公園がある』って言ってたところじゃない?」

 反応したのはレオだ。そんな公園あるんだ……。渚は猫の方に興味がある。

「そうかもな」

 残念ながらリュウは、猫について言及する気はなさそうで、

「けど天使と鳥人間だとだいぶ印象違うよなあ。共通点、羽だけじゃん。まあ、そもそも大きめの鳥がいただけだと思うけど」

 と冷静に批判する。

「天使の方がロマンチックでしょ」

 ちょっとすねたような表情の楓。これが男子ウケがいい。絶対本人もそれを分かっている。楓は可愛い上に、可愛く振る舞うことができる。あたしと違って。前のクラスでも新しいクラスでも何人かの男子たちは楓を意識している。人間への興味が薄い渚でもそれくらいは分かる。

 コーヒーの香りが漂ってきた。豆を挽き終わったリュウが、コーヒーフィルターにお湯を注いでいる。渚は入学式以降に2回、武蔵野亭でコーヒーを飲んでみた。まだ「味」は好きとは思えないけれど、「香り」は好きになっている。いつの間にかレオが人数分のカップを用意してくれていた。リュウが注いでいるとドアがあいた。部員たちが、ドアを開けた人物に挨拶する。顧問が来たようだ。

「げっ」

 去年の担任、社会科教諭の飛田宏とびたひろしの姿を確認して、思わず声をあげてしまった。

 もしこの日飛田が顔を出さなければ、渚は入部していたかも知れない。幸か不幸か、このタイミングで地域文化研究部の顧問が飛田だと判明したため、渚は入部を保留にした。

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