10.高校2年生

「渚は今年も部活入らないの?」

 始業式が終わり新しいクラスも発表された。組分けは悪くなかった。高井戸楓と同じクラスになったし、苦手だった女子とは別のクラスになった。何より担任が変わった。これで仙川怜央せんがわれおが別のクラスになってしまったことを嘆くのは贅沢だろう。

 授業はないので今日はこれで終わりである。楓と一緒に教室を出る。楓は地域文化研究部という地味な響きの部活に入っている。前に聞いたら「多摩北部地域の文化を研究したり、地域の活性化につながる活動をする部活」と言っていた。人と違うことをしたがらない楓にしては意外なチョイスだと思った記憶がある。

「今のところ特にやりたい部活ないし。それに二年生からじゃ入りづらいよ」

「大丈夫なところもあるよ、ちなみに地域文化研究部はいつでも歓迎」

 確かに運動系の部活よりは文化系の方が入りやすい印象はある。

「それに、部活入っていないと面倒な委員とかやらされるかも知れないよ」

 確かに。

「ありがとう、ちょっと考えてみる」

 楓とは学校を出たところで分かれた。


「新年度が始まっちゃったなあ」

 一人になって渚はため息をついた。先週は神社であんなに恐ろしい目にあったけれど、振り返れば充実していた。カラスが去った直後は恐ろしさのあまり涙が出たが、少し経つと恐ろしい出来事も含めてとても刺激的な体験だったと思えた。その反動か、これからまた始まる学校生活が退屈で面倒に感じる。もちろん、結果的に無事だったからこんな風に思えるのだ。聖とレオのおかげで。喉元過ぎれば暑さを忘れるというやつだ。

 部活かあ。特に興味あることはないけれど、とりあえずなんでもいいから部活に入って打ち込みたい、という気持ちはない。けれど、この間の聖やレオをみて「何か護身術でも習っとけばいざという時安心かも」とは考えた。そういえばレオって何か部活やってるんだろうか? 彼とは今年度クラスが変わってしまった。お礼を言おうと思ったけれど今日は話す機会がなかった。

「聖くんは剣道部に入るのかな……」

「入らないよ」

 振り返ると、制服を着た聖がいた。学校で会うのはなんだか不思議な感じがする。本当に同じ高校の一学年下の後輩なのだ。

 渚たちが通う多摩北高校は渚たちの住む調布市の隣の府中市にある。電車と徒歩で片道30分くらいだ。その間、彼と二人きりはちょっと気まずい。

 沈黙に耐えきれず、何か話題を探る。

「この間怖かったね」

 当たり障りのない話題。聖と会うのはあのマーケットの日以来だ。聖の顔をみると、頬に鋭い傷跡がある。

「そうだね」

 感情が読み取れない声だ。それ以上何も言わないので話は終わったと思ったが、

「カラスはどうして僕たち、っていうか渚さんを襲ってきたんだと思う?」

 聖の方は、まだ会話を続けているようだった。テンポが合わないだけかも知れない。

「うーん、なんでだろ」

「スナフキンが……、いや高幡さんが言うには」

 聖は言い直す。スナフキンで良くない? と渚は心の中でつっこむ。どうやら高幡に対する印象は共通しているみたいだ。一気に親近感。

「カラスって記憶力が良くて執念深いんだって。前、漱石助ける時にカラス追い払ったんでしょ? それで渚さんのこと覚えてたんじゃない?」

 まさか。漱石を襲っていたカラスは一羽だった。それが仲間を引き連れて復讐なんて、昔のヤンキーみたいなことするの? カラスが? ちょっと信じられない。

「でもどっちにしろ気をつけた方がいいよ。昨日でさらに何羽かに顔覚えられただろうから」

 怖いこと言うなあ。

「だから当分、一人で人通りの少ないところ歩かない方がいいよ」

「あれ、もしかして心配してくれてる?」

「そりゃ漱石を助けてくれた恩人だから」

 目を合わせると、照れたのか逸らされた。少し嬉しくなった。またしばらく黙々と歩き続けたが、さっきほどは気づまりではなかった。

「ところでさ」

 沈黙を破ったのは聖だった。

「仙川って人、同じクラスなんでしょ?」

 レオのことである。人に無関心な少年だと思っていたけれど、助けてくれた人のことは気になるようだ。

「去年はね。今年は別のクラスになっちゃった」

「そうなんだ」

「仙川怜央がどうかしたの?」

「あ、いや、昨日助けてもらったのに、お礼もろくに言ってなかったな、と思って。同じクラスだったら伝えてもらおうかと」

「そっかあ。まあ違うクラスだけど同じ学年だから、会ったら伝えとくよ」

「うん、お願い」

 いまさらだけれど、聖は渚には敬語を使わない。学校でなら先輩後輩を意識して使うかとも思ったけれど、そんなことはなかった。

「あの人、どんな人?」

「どんな人って言われても、私もクラスが一緒だっただけであまり話したことはないからなあ」

「渚さんって、人に興味なさそうだもんね」

「失敬な」

 自分よりさらに社交性のなさそうな後輩に言われて釈に触る。しかし、その後輩が今レオについて知りたいと言っているのだ。

「えーと、昨日の印象どおりだと思うけど、明るくて親切な人だよ。あと運動神経がすごくいい。勉強もそこそこできるんじゃないかな。二学期と三学期の期末テスト、なんかの教科でクラスで一番だった」

「完璧なやつじゃん」

「まあ……」

 あいまいに同意を示す。あたしどうして即答するの躊躇したんだろう。

「私とは直接的な絡みがなかったから深い部分までは分からないけれど」

「いやいや、今聞いた情報だけで十分でしょ。おまけに強い。この間のアレ、何かの格闘技かな」

 聖はあこがれの芸能人について話すような口調になっている。でも無理もない。渚も口にしてみて改めてレオのスペックは完璧だと思った。性格も良い。変にクラスを仕切ろうとしたり、偉ぶったりもしないし、渚の知る限りクラスのどの子にも同じように接する。誰かの陰口を言っているのも見たことがない。まわりの意見も尊重しつつ、自分の考えもしっかりと持っているように見える。

 渚は自分がレオをよく観察していることを自覚している。聖に「他人にあまり興味がない」と評された(そしてたぶんそれは正しい)渚が、である。早い話、渚はレオが好きだった。

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