紙芝居のおじちゃん



 帰り。僕はみんなよりも遅くなってしまった。宿題を忘れていたおかげで、先生に居残りさせられたのだ。大輔たちには「ごめん」した。先に帰ってもらったのだ。僕は必死に宿題をやっつけた。早く帰らないと。紙芝居のおじちゃんがいなくなっちゃう。


 先生に「さよなら」をしてから、僕は稲荷公園に走っていった。すると、自転車の荷台に紙芝居を片付けているおじちゃんがいた。おじちゃんは帽子をかぶっていて、その顔はよく見えなかった。


(あれだ!)


 僕は急いでおじちゃんのところに駆けていった。みんなが帰る時間だったら、人だかりができているのかもしれないけれど、もうすっかり遅い時間だ。お日様は西の空に傾いていて、あたりは火事でも起きているかのように、真っ赤に見えていた。


「おじちゃん、終わりなの?」


 両ひざに手をついて息を整えると、おじちゃんは帽子をくいっと上げて、その下からジロリと僕を見た。その目は、なんだか氷みたいに冷たく見えて、心臓がどきっとしてしまった。


「悪いねえ。お兄ちゃん。今日の演目は終わっちまったんだよ。見たかったのかい?」


 おじちゃんはそういった。僕は「うんうん」と何度も首を縦に振った。するとおじちゃんは「仕方がないねえ」と言って、片付けていた木の枠を立ち上げると、紙芝居をそこに入れこんだ。


「そんなに急いで来てくれたんだ。学校で居残りでもさせられたんだろう? 頑張ったご褒美に、一つだけ短いお話を聞かせてあげよう」


 おじちゃんはにかっと笑うと、紙芝居を読み始めた。怪人影男爵が、お金持ちのお嬢様を誘拐してしまうシーンから始まった。お嬢様は、怪人影男爵によって、暗い地下牢に閉じ込められてしまうのだ。


 しかも、その地下牢は、時間が経つにつれて、水が流れ込んでくる。お嬢様は窮地に陥るのだ。しかし。そこで颯爽と現れたのが、探偵の宮城くん。宮城くんは、怪人影男爵の執事に化けて、屋敷に忍び込み、見事お嬢様を助け出したのだった。


 おじちゃんは手を鳴らしたり、声色を変えたり、太鼓を叩いたりして、宮城くんの冒険活劇を見せてくれたのだ。僕はあっという間に紙芝居の世界に引き込まれて、夢中になってしまった。


「おしまいだよ」と言ったおじちゃんに、「もう一つだけ見せて」とせがんだ。けれど、おじちゃんは悲しそうな顔をしていた。


「すまないね。お兄ちゃん。おじちゃん。今日でこの町を離れることになっているんだ。もう行かなくちゃいけない。本当にごめんよ」


「そんなぁ」


 僕は涙が出そうになった。せっかく面白いものに出会えたというのに。残念で仕方がなかった。するとおじちゃんが木箱の引き出しを開けた。


「そういえば、お菓子。見せていなかったね」


 これが大輔が言っていたお菓子だ。中には、練り飴や、エビせんべい、きな粉棒のお菓子が所せましと並んでいた。その隣には、怪人影男爵と探偵宮城くんのカードも置いてあった。


「うわあ。これ、かっこいいな」


「お菓子より。グッズのほうがお好みかい?」


 おじちゃんは口元を上げて笑うと、「これなんかどうだい?」と言って小瓶を持ち上げた。そこには、先ほどの紙芝居に出てきたお嬢様の人形が収まっていた。お嬢様の人形は、まるで生きているみたいに、手足がくにゃりとしていた。赤いワンピースと白いブラウス。黒い髪は腰の位置まで伸びている。


「いくらなの?」


 僕が尋ねると、おじちゃんは「そうだなあ」と笑った。


「本当は高いんだけどね。いくら持ってるの。お兄ちゃん」


「100円」


 僕はそう言って100円玉を取り出した。


「じゃあ、その100円と交換してあげようか」


「え! いいの?」


「ああ。いいよ。お兄ちゃんが愛情をかけて育ててくれれば。おじちゃんは嬉しいから」


「え、育てる? そのお人形を?」


 僕がそう尋ねるとおじちゃんは「そうだよ」と頷いた。


 僕は心臓がどきどきした。このお人形はとっても美しくて、心惹かれた。あの美しいお嬢様みたいになるのだろうか。けれど、このお人形が大きくなったら、お母さんたちになんて言われるんだろう。怒られるかもしれない。


「ごはんを食べさせて、お風呂に入れて、髪をとかしてあげるんだ。きれいにしてあげれば、おにいちゃんと一緒に大きくなっていくよ。そのうち、お話してくれるかもしれないね」


「お話……お話は困る。秘密にしておけないもの」


「そうかい? じゃあ、残念だね」


 僕はなんだか恐ろしくなってきた。僕は腰を上げた。


「おじちゃん。ごめん。やっぱり。お菓子もカードもいらないや」


「そうかい。残念だね。お兄ちゃん。おじちゃんはね、お兄ちゃんにだけ特別人形を見せたんだからね。秘密だよ。このお人形さんのことは、死ぬまで誰にも言っちゃダメだからね」


「わかった」


「いい子だ。じゃあ、お礼にこの飴ちゃん、あげようかね」


 おじちゃんはそう言うと、木箱に並んでいる練り飴を一本取り上げた。僕はそれを奪うようにその手からもぎ取ると、慌てて駆け出した。


 あたりは燃えるような夕日に包まれていた。僕の影は、僕の体とは違う動きをしているみたいに、ぐにゃりと長く伸びて行って、なんだか恐ろしくなった。


 家に帰ってみると、おじちゃんのところで取り出した100円玉はなくなっていた。どこかで落としたらしい。結局、半紙を買ってこないくせに、お金をなくしたことで、お母さんにすごく怒られたのだった。




 あれから何年も経った。僕はあの日のことを、すっかり失念していた。


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