祭り囃子のその後で

 並木道の先には、プレハブの建物がひとつ、ぽつんと佇んでいた。ずいぶん前に見せてもらったことがあったような気がする……集会所、みたいなこと言ってただろうか? 地域の催しとか、大事なことを決める話し合いは大抵ここで執り行われるとか……。


「まねき……?」


 こんなところにまねきがいるとも思えなかったけど、ここまでは一本道で他に辿り着く場所なんてない。どこまで進んでしまっているのだろうと途方に暮れたとき、集会所の明かりが煌々と着いていて、中から大人たちの声が聞こえるのに気付いた。

 酒盛りでもしているのか、妙に騒がしい。あれだけ祭りに熱心だったはずなのに、祭りが終わるか終わらないか──たぶんあの祭りが好きなら一番楽しめるのであろう花火の場面を見ることなく、室内で酒盛り?


 不思議に思いながら、ゆっくりと集会所に近付いた。避けに酔っぱらった大人というのにはあまりいい印象がないし、なるべくなら関わりたくもなかったけど、もしかしたらまねきがどこに行ったかわかるかも知れない。

 恐る恐る近付いてみると、中からは怒号に近い大声と、ゲラゲラと嘲笑うような──少なくとも僕は好きになれない種類の笑い声が聞こえていた。


 やっぱり近寄らない方がいいだろうか──きびすを返そうとしたとき、笑い声のなかに聞き覚えのあるものがあった。

「それにしてもよぉ、こいつがまさかアンタんとこの坊主にコナかけるとは思ってなかったぞ! あの子もそろそろ色気付く頃だし、来年はこっちに呼ぶか?」

「やめとけやめとけ! あいつはまだまだ小童なんだ! 女を知ったってこの町に貢献するんだかしないんだか……うぅっ、」

 おめぇんとこの小僧……そう言われて「あいつはまだまだ小童なんだ」と答えていたのは、タキさんの声に聞こえた。その声は何かに浮かされているようだったけど、酒に酔っているのとはなんだか違うように感じた。それよりもっと、具体的な何かに夢中になっているような……陶酔しているような声音に聞こえた。


 ガハハハハハ!

 もう終わりかよ、だらしねぇな!

 寄る年波には勝てんってか!


 何が起きたのだろう、タキさんの呻き声が一拍くらいおいて、笑い声が響いた。深刻なことが起きているわけではないのか──もしかしたらただ単に祭りの熱に浮かされて(あの祭りにそこまでの熱があったかはわからないけど)、早めに酒盛りを始めただけかも知れない。

 そんなんだとまねきのことなんか見てないかも知れないけど……それでも、ダメ元だった。


「あの、」

 縁側に通じるガラスの開き戸に手を掛けて、まねきを見ていないか尋ねようとした僕は、絶句した。


 まねきは、いた。

 集会所のなかに、まねきはいたのだ。

 だけど、その姿は昼間やさっき見たのとはまるで違って……、まねきは、大人たちに…………。


「ぁ、……ぁぁ、あぁぁ、」

 ぐったりと項垂うなだれて、人形のようになったまねきを、少しは見知った顔の大人たちが取り囲んで思い思いに動いている。さっき弱々しい呻き声を上げていたのはやっぱりタキさんだった、からかわれているのに対してガハハと声を上げて笑いながら、「今年は具合のいいのが育ったな」なんて言っている。そんなの聞いちゃいないというように周りの大人たちはまねきを……!!


「────!!」

 たまらず、僕はその場を離れた。


 どれくらい走っただろう。

 数分、数十分? それとも走り出していくらも経っていなかったろうか? 木の根か何かにつまずいて、立ち上がろうとしたときに足がすっかり萎えてしまっているのに気付いた。


「何だ、あれ……、何だよあれ……!?」

 僕は何を見た?

 あんなの、現実なのか?

 何もわからないし、すんなり受け入れるようなものじゃない。だってあんなの犯罪じゃないか!?


「はぁ、はぁ……はぁ、」

 息苦しい。

 視界が不明瞭になる。

 周りの音が、風や音や虫の声が聞こえるんだか聞こえないんだかわからない状態になっていく──僕の五感が、どんどん混乱して機能を失っていく。

 祭の名残みたいに吊り下げられた提灯ちょうちんが怖くて、いつの間にか帰り道の賑わいすら消えていたらしい静寂も怖くて、暗い夜道に鬱蒼と茂る木々すらも、まるで僕を飲み込もうとしているようで。

 僕はただ、誰にも見つからないように。

 祭り囃子に誘われて、その背後にのっぺりと張り付いた暗闇に紛れて訪れた怪物に決して見つからないように、うずくまることしかできなかった。


 けたたましい鼓動が秒刻みで僕の恐怖を煽って、何も聞こえない暗闇がいるはずのない怪物の息吹を作り出す。

 ただ汗を垂らしながら、周りを漂う羽虫の音にさえ怯えているだけだった僕は、その声に反応できなかった。

「みぃつけた! こんなとこで何してるの、夏樹?」

「……!?」


 まねきがいた。


「よっ!」

「……よ、よ……」

「もう遅いんだから、早く帰りなよ。こどもは寝る時間なんだからさ」

 何事もなかったみたいな笑顔を僕に向けながら、月明かりの下で立っている。赤く腫れた目を隠すように、震えている声を誤魔化すように笑いながら、カタカタと小刻みに震えている足で僕の方へと歩いてくるまねきに、僕は何も言えなかった。

 躊躇うばかりで、戸惑うばかりで、何もできなかった。まねきの弱々しい笑顔ばかりが脳裏に焼き付いたまま、気付いたらもう朝だった。


 どうやって帰ったかもわからない。

 そもそも自分で帰ったのかもわからない。

 まねきはどうしたのかも、帰る朝どんな風にタキさんと話したのかも、何もわからなかった。


 ひとつ言えるのは、僕は次の年からあれこれ理由を付けて夏休みの帰省には付いていかなくなり。もう、まねきにも会えていないということだけだ。

 

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ひみつのかくれんぼ 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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