無垢の骸が眠る場所

 僕らがこの時期に祖父母の墓参りをするのには、お盆でちょうどいいという他に、もうひとつ理由がある。この時期には毎年、地域のお祭りが催されるのだ──タキさんが、是非僕に見せたいと毎年声をかけてくるのだという。

 確かに、ここの祭りはやたらと盛り上がっている。出店で地域の子たちが喜んでいる様子があるのはともかく、大人の、いい歳したおじさんたちも同じくらい──たぶん出店で遊ぶ子どもたち以上に熱気を帯びている。

 幼い頃はそんな様子がなんだか怖くて、祭り会場である神社の参道に着く前から父に泣きついてタキさんの家に帰らせてもらっていたけど、今ではもう慣れた。きっと長くいる分地域愛が凄いのだろうと思えば、僕にはない感覚だけど理解できないことはない。


 御子守みこもり祭。

 僕がこっちに来るのは毎年この時期だから、墓参りに来るとこの名前ののぼりがそこかしこにあるのを目にする。みんな元気に、この先も栄えていけますようにという願いが込められた祭りなのだとタキさんが熱弁していたけど、内容としてはその願いとはそこまで関係のない──どこにでもあるような地域のお祭りだ。

 大きな神輿みこしが出るわけでもなく、テレビ取材が入るような珍しい催しもない。強いて言うなら終わり頃に花火が打ち上がるけど、それも決して派手なものではない。

 本当に、ただの地味なお祭り。


 ──というのが、例年の僕の認識だった。

 タキさんから薦められるままひとりで出歩いて、適当に出店を回ったら帰るだけの、行動版の社交辞令。それくらいだったんだけど。

「あれ、夏樹?」

 突然聞こえた声が、例年な退屈な時間を変えた。


「……?」

「やっぱり夏樹だ、お昼ぶり! お祭り楽しんでる?」

 夕焼け空のなかに溶けていってしまいそうな茜色の浴衣を着て、まねきが現れたのだ。思わぬ再会に目を丸くしている僕の周りをキョロキョロ見て、「ひとりなの?」なんて尋ねてくる。相変わらず近い距離に挙動不審になりそうになりながら頷くと、まねきはいきなり僕の手を掴んだ。


「ぇえ?」

 手ぇ柔らかい、すべすべしてる、軽い、しっとりしてる!


 触れた瞬間、頭のなかが沸騰しそうになる。もちろんみっともないからそんなの顔には出さないようにしたかったけど、たぶん僕にはそんな芸当できやしない。どこか子どもみたいなまねきじゃなかったら、僕の今の反応で相当気持ち悪がられていたかも知れない……。


「じゃあさ、一緒に回ろ!」

 向けられた笑顔は、沈みそうになりながらも空にしがみつく太陽なんかよりよっぽと眩しくて、まっすぐ見るには刺激が強くて。どんな返事をしたのか、次の瞬間には記憶から消えていた。

 けど、そのとき思ったんだ。

 あぁ……今年に限っては、こっちに来てよかった。


   * * * * * * *


「たーのしかったー!!」

「ほんとに元気だね……」


 すっかり日が暮れて、視界が出店や神社の赤っぽい明かりばかりになった頃。僕は、遊び尽くしたとばかりに笑いながら跳び跳ねるまねきの後ろを、ぐったりと歩いていた。

 まねきは、本当にこの祭りが好きなのかも知れない。どの出店でも楽しそうに店主と会話して、めいっぱい堪能して、別れ際までいろいろ話が盛り上がっているようだった。時には僕をも巻き込んで、本当にたくさん遊んでいた。振り返ると、目に入るのはどれもまねきに連れられて入った場所ばかり。例年ならここまで回る前に帰ってたな……少しだけ、もったいないことをしていたかも知れなかった。


 この短時間で、まねきのことがまたいろいろわかった。人付き合いは得意だが動物とは相性がよくないようだ。そして、動物とのスキンシップでもそれ以外でも、ちょっと負けず嫌いらしいこと。

 そして。


「ねぇ、夏樹」

「ん?」

「楽しかった、今年のお祭りは?」

「うん、本当に楽しかった」

「そっか、よかったー」

 まねきは、本当に楽しそうに笑う。観ている側の気持ちまで晴れやかにしてくれるような笑顔に、僕も思わず「うん」と返していた。


「うん、だって~。夏樹可愛い」

「べ、別に可愛いとか言わなくてもいいだろ?」

「そっかな、だって可愛いし」

「むむ、」


 言い返せば言い返すほど「可愛い」とからかわれそうな気がする。そうからかってくるまねきは可愛いけれど、どこか複雑な気持ちでいたとき。

「夏樹、花火! 花火だよ! 綺麗だね、花火!」


 小気味のよい音と共に、夜空に花が咲いた。

 記憶にある通りなんとも味気ない、ただ祭りの終わる合図にしかなっていないような花火だったけど。それでも今年は、そんな質素な花火をもっと眺めていたい気分だった。


「じゃ、もう行かなきゃ」

 隣から聞こえる声が、撲を現実に引き戻す。

 いつの間にか夜も深まり、出店に集まっていた家族連れも、気付けばもう帰ってしまっていたらしかった。

「もう終わる時間だしね」

「ね。今年はちょっと名残惜しかったな」

「うん、僕も」

 今年に限って祭りが名残惜しいのは、きっと。

 この祭りの思い出話でもいい、普段の日々で思ったことでもいい、そんなテーマのない雑談でもいい。もう少し、まねきと一緒にいたい。


 花火の音が、鼓動をごまかしてくれているうちに──空気を吸い込み、喉を震わせて。


「じゃ、気を付けて帰りなね」

「えっ」

 にこやかに手を振りながら、まねきが僕から離れていく──神社の敷地の奥に向かって。追いかけようとする僕には「もう暗いから気を付けてね~」と手を振って。


 後に残された僕は、まねきの去っていった木々の方をただ見つめているしかできなくて。ようやく動き出せたのは、夜風に木の葉が揺れるざわめきがきっかけだった。

「……まねき」

 気付けば、名前を呼んでいた。

 思えばそれが、僕から彼女の名前を呼んだ初めてのときで。一度呼んだら、その名前はどんどん口から溢れてくるようで。

「まねき……、まねき!」

 何故だろう。

 ここで離れたら、もう会えないような気がした。離れた手が繋がることは、もうないように思えてしまったのだ。

 まねきが去っていった方角を見る──神社の参道から逸れた、だいぶ広い間隔で古めかしい街灯の設置された暗い並木道が、怪物が大口を開けているみたいに待ち構えていた。

 道の奥から吹いてくる風はおぞましい何かの吐息にも思えたけど、きっとこの瞬間の僕は何があっても止まることなんてなかった。せめて、その並木道の向こうに何があるか知っていれば……後悔先に立たず、というにはあまりに僕の手の及ぶ埒外らちがいではあったけど、それでも。


 何かが違っていたのかも知れない。

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