ひみつのかくれんぼ

遊月奈喩多

秘密の邂逅

 どこまでも青い空が僕らを見下ろす夏休み。

 僕は、父の運転する車で祖父母の墓参りへと向かっていた。僕らが住んでいる場所からは数時間はかかる場所だったけど、父は長男だから時々墓の管理をしなくちゃならないのだそうだ。たぶん、そのついでと言って親戚の家に一泊して酒盛りをする方が父にとっては本命なのではないかと思う。


「お爺ちゃんとお婆ちゃんに夏樹なつきの顔見せてあげないとな」


 父はにこやかにそう笑って見せるけど、祖父は僕の生まれる前に、祖母は僕が幼稚園の頃に亡くなっている。ほとんど記憶のないふたり、それもじかにではなく無機質な墓石に顔を見せたところでどうなるのか──そんなことを僕は思っていた。

 こうして片道数時間の道のりを車で過ごしてほとんど何もない田舎町に向かうくらいなら、自室で留守番していたい。普段から1日近い時間の留守番もしているし、両親が長時間いない間なら家のパソコンでいろいろ検索することだってできる。 僕もご多分に洩れずちょっとした色っぽいことに興味があったりするのだ──最近発売された、歳の近くて可愛らしいグラビアアイドルのイメージビデオとか、偶然見つけた好きなホビーアニメの同人誌とか、見たいものはやまほどある。だけど、両親は毎年僕を連れて帰省する。


「お婆ちゃんね、夏樹のことすごい可愛がってたんだよ。年賀状出したらすぐ電話来て夏樹の話したりしてさ……」

 僕が拗ねているのなんてとっくにお見通しなのだろう、母がなだめるように祖母との思い出話をしてくるが、そんな記憶があるのは僕ではなく両親だ。やっぱり留守番の方がよかったな──そう思いながら見上げた青空はあまりに能天気で、無神経にすら感じられた。


 やがて、砂利道のなかに申し訳程度にスペースが作られたような駐車場で車が停まる。田舎とはいえ真夏の昼間はとても暑くて、ドアを開けた瞬間に改めて留守番したかったとぼやきそうになった。

 墓参りそのものはすぐに終わった。両親が墓石についた泥や周りの雑草を掃除して、僕はその間に桶に水を張る。こういう設備はちゃんと用意されているのに何故墓はほとんど野ざらし状態なのかと不思議に思いながら、水が溜まるまでの間ぼんやりと周りを見回した。


 ……本当に何もない。

 墓地を取り囲むように木々が生い茂り、少し開けた場所からは見下ろした先に広がる田園風景は、遠くに霞む家並みを飲み込んでいくのではないかと思った。

 何もない──目新しいものもなく、この退屈を紛らわすものなんてあるわけもなかった。そうして、ただじりじり照りつける不躾な太陽を恨みがましく見上げるくらいしかやることがなくなりそうだったそのとき。


「こんにちは」

 鈴を転がすような声というのを初めて聞いた気がした。どこから聞こえるのだろう? 胸が高鳴るのをどうにか抑えながら辺りを見回す。

 風が木々をゆらし、木の葉がざわめいて少女のものらしき声を隠してしまう。どこか焦りにも似たものを感じながら、生い茂る木々の間に目を凝らしていると──


「おーい、夏樹! そろそろこっち来て~!」

 両親の呼ぶ声が聞こえて我に返る。気付けば桶にはとっくに水が溜まっていて、蛇口から注がれる生ぬるい水が足下に溢れていた。

「はーい」

 とりあえず返事をして、桶を持つ。ところが必要以上の水に満たされた桶はとても重くて、そんな重さを想定していなかった僕は、自分でも失笑するくらいみっともなく足をもつれさせてしまった。


「うわっ!?」

「危ない!」

 すんでのところで差し出された手に咄嗟とっさに掴まって、どうにか転ばずに済んだ。桶はひっくり返ってしまったが、そんなことは問題ではなかった。何故なら……


「きみ、大丈夫だった?」

「あ……」

 僕を支えてくれたのは、間違いなくさっき聞いた声の主で。転ばなくてよかったねと微笑む彼女は、今まで見たことのないくらい綺麗な子だった。

 色素が薄い肌に、糸のように細いブロンドの髪、夏空みたいに深くて濃い青を湛えた瞳。恐らくは僕と同い年か、離れていてひとつふたつ上くらいだろうにどこか大人びた雰囲気、そんな雰囲気にたがわないスタイルのいい身体を包むにはあまりにも心許なく感じる真っ白なワンピース──彼女にまつわる全てが、僕の脳に刻み付けられるようだった。

 支えてくれた腕の、汗に濡れているのにどこかサラサラした心地よい感触、服から漂う洗剤の香りまでもが心臓を騒がせて、「ありがとう」というたった5文字を口にするのにとても時間がかかってしまった。


「んん、大丈夫? どっか調子悪い?」

「い、いや! 大丈夫、大丈夫だから!」

 顔が近い、屈まないでくれ、僕には刺激が強い!

 ひとつ訂正。

 大人っぽいというには、彼女はなんだか無防備で、所作が所々子どもっぽかった。いや、もちろん子どもなのだけど。


「そう?」

「そうだよ、なんともないから……」

 鳴りっぱなしの胸をどうにか悟られないようにとばかり考えていると、「そういえば見たことない子」と物珍しそうな声。

「なんてお名前なの?」

「えっ」

 思いもよらぬ質問に、別にやましいことなんて何もないのに答えに詰まる。やっとのことで答えると、「夏樹っていい名前だね」なんて、ちょっと大人びた笑顔で言われてしまった──やっぱり彼女はよくわからない人だ。


「わたしはね、まねきっていうんだ」

「まねき?」

「うん! ひらがなでま、ね、き。覚えやすさだけが自慢なのです」

 反応に困ることを言われてしまったが、彼女がまねきという名前であること、歳はやっぱり僕と同い年だったこと、この近所に住んでいるらしいことはわかった。


 あれー、夏樹? 大丈夫?

 撲のいる水道は祖父母の墓から少しだけ離れているからだろう、遠いような近いような声が響いて、だんだん足音が近付いてくるのがわかった。


「お迎えかな? そろそろ行かないとだね」

「あ、うん」

「そっか。じゃあね、夏樹!」


 そうして、僕は彼女の明るい笑顔に見送られて両親と合流し、毎年恒例となった親戚の家での宿泊という流れになった。

 祖父の弟のタキさんが朗らかに笑いながら迎えてくれて、何年か前に僕が好きだと言ったミルクサイダーを準備してくれていたり、この地域でしか放送されていないローカル番組を見せてくれたりしたものの、ワンピースのえりからのぞいた魅惑の領域は、この夏のあまりに鮮烈な思い出になった。

 その思い出は、すぐに塗り替えられてしまうことになるのだけど。

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