第46話
「――いいからっ! さっさとその罪人を取り押さえなさいよっ! これは命令なんだからっ‼︎」
怒りに震えていた私の耳に、焦れたような女の声が聞こえてくる。
足元から湧き上がってくるかのような不快感そのままに、ジロリと視線を向けるが、女が私に向かって人差し指を突きつけながら指揮官に詰め寄っているところだった。
――なんて見苦しい姿……
こちらの方は本当に貴族のご令嬢なのかしら?
大口を晒して感情任せに喚き散らすだけでは飽き足らず、人に向かって指を突きつけるだなんて……
教会の子供たちだって、もっとまともなマナーを覚えていてよ?
落ち着くの。
由緒正しき、ベラルディ侯爵家が長女イルメラ。
――こんな、はしたない女などと口論をするようなレベルにはございませんわ……!
ギャンギャンと喚き散らす女と、なにも言わない私を交互に見つめていた指揮官は、困ったような顔をしつつも、女に押し出されるようにこちらへと歩みを進める。
そして――おずおずと迷いながらではあったが――その手を私に向かって伸ばしたのだった。
前に立つカーラが大きく手を広げ、ジーノたちからも腕を掴まれる。
それに申し訳なく思いながらも、グッと胸を張り、息を吸い込んだ。
「――下がりなさい。
自分でも驚くほどの低く冷たい声が自分の口から発せられた。
そんな強い言葉に驚いたのか、私に手を伸ばしかけていた指揮官はピタリと動きを止めた。
……こちらの方は元々、私の身分に疑問を持っていたし――そういう反応になるでしょうね?
――ここまでメイドや執事に庇われる平民なんか、そうそういないわよ……?
「なっ……」
指揮官の態度や、私の言葉に女が更に顔を赤くするが、そちらの文句を聞いてやる義理などこちらには無い。
「その紋章、インザーギ男爵家の紋章ですわね?」
指揮官をはじめ、騎士たちが
それはここバジーレ領の隣、インザーギ男爵家の紋章だということを
私の言葉に女の肩がビクリと震える。
平民の罪人だと思い込んでいる私が紋章だけで家名を言い当てたことに動揺したのだろう。
……この程度で怯えられてもね?
今さら、手を緩めてなんかやらないわ⁇
「インザーギ男爵家のお方が、なにゆえ他家の領地で武装した集団を好き勝手に暴れさせるのかしら? ――どちらから許可を得ているのか、早急にお答えくださらないかしら?」
――バジーレ伯爵家から見ても格下の男爵家。
しかもバジーレ家とインザーギ家は同盟関係にあったはず。
そんな関係の領地に、自分の家の騎士団を送り込ませる?
しかもその騎士団を率いる者が、成人もしていない令嬢⁇
――どれほどこの女の頭が悪かろうと、独断で好き勝手出来るものではない。
うちで考えるのであれば、ジーノに「男爵領にやり返しにいくから人を集めろ」と言ったとしても「お考え直しを。 侯爵様の判断を仰ぎましょう」と嗜められて終わりだ。
ジーノに黙って直接御者あたりに命令しようとしても、馬車の一台動かす許可をジーノに確認しに行くだろう――卒業し、成人しているとみなされている私でもそうなる可能性が高い。
未成年であるこの女ならば、ほぼ確実に確認が入るはず――
……つまり、この無礼者の独断で、こんな事態が引き起こせるはずがないのだ。
――さぁ、お前を暴走させた黒幕は、どこのどなた様かしら?
「そ、れは……」
私の言葉に答えを探すように視線を動かす女と、言葉に詰まる指揮官。
――このかた……私の言葉は理解出来ているのかしら……?
なんだかお困りの様子だけれど……――ずいぶんと哀れなご教育を受けていらっしゃるようで……
……まだ、主家の不利益にならないよう口を閉ざした、こちらの指揮官のほうが……――まぁ、知識よりも武力を磨いて来られた騎士より理解力が劣っているだなんて……私なら耐えられませんけれど。
「なにより……一体、誰の許可を得てこの屋敷へ踏み入ったのでしょう? ――
いまだに我が
こういう時に必要になるのは声量じゃない。
――その存在感。
相手にこちらの言葉を聞こうとする意識さえあるならば、囁き声ですら聞き取ってもらえる。
……
――元々、相手側の上役や絶対に守るべきご令嬢と対峙していたこともあり、私の声は多くの騎士たちに届いたようで、多くの騎士たちの動きが動きを鈍くし、そしてその様子を見た遠くの騎士たちもこちらの様子を伺うように動きを鈍くしている。
私はその光景を見て、安堵の息を漏らした。
そして目の前の女はそんな私の反応に、忌々しそうに顔を顰めるが、すぐに気を取り直したようにニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべる。
「どうしてこの私がアンタなんかの許可を貰わなきゃいけないの? ――いいこと? 私は、このバジーレ領を収めるエドアルド様とは、とおーっても親しいんだから! ――だから私がお願いすれば、そんな許しくらい、すぐにでも出してもらえるの!」
私を嘲笑うように顔を歪めつつ、勝ち誇ったように胸を張る女。
はしたないとは分かりつつも、思い切り鼻で笑い飛ばしてしまった。
「――だとしたら、とんだ無能野郎ね?」
あまりにもあり得ない言い
……イヤだわ。 無能野郎だなんて……――お上品じゃない口調が感染ってしまったかしら?
「はぁ……⁉︎」
私の答えに戸惑う様子を見せた女だったが、その言葉に多大に含まれた嘲りを自分へ向けられたと勘違いしたのか、キリキリとその目を吊り上げていく。
……おそらく今感じているその怒りは勘違いなんですけれど――まぁ、あなたのことはずっと愚か者だと思っているから……間違いではないのかしら?
けれど、かわいそうだから、私が呆れた理由くらい教えて差し上げようかしら?
考え無しの上司に動かされた
「――たかが男爵家程度の令嬢が、口先だけでねだったくらいで武装した集団を領地内に招く? ……そんなことを許可する領主が無能以外のなんだというのかしら⁇」
――万が一にもその
……いくらお顔が良くても、敵に回るなら優しくして差し上げる理由なんてございませんもの。
「エ……エドアルド様は! 私にだけはお優しいんだからっ‼︎」
「……だからそれがなんだとおっしゃるの? 優しければこんな馬鹿げたことの許可が出るとでも⁇ ――仮に本当に出たとしたら、それは“優しさ”ではなく“愚かさ”と言うのよ? ――もっと言うなら……いくら領主とはいえ、たかが
「たかが伯爵……?」
私の発言に、指揮官が動揺したように呟く。
その隣では、ようやく違和感を感じ始めた女が、不安そうにキョトキョトと周囲に視線を飛ばして、周りにいる騎士たちの反応を確認していた。
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