第37話

 アルバは大袈裟にため息を吐き出しながら、椅子の背もたれに大きく沈み込んだ。


 アルバは若い頃より目をかけてきた目の前の男のことをよく理解していた。

 真面目で勤勉。 なによりジャポネ教に――というよりもその教えをもたらした賢者たちに多大な尊敬と忠誠を捧げていることを。

 そして有能ではあるが、地位や肩書きなどで行動を縛られることをことのほか嫌っていることを――

 大司教という枢機卿の一つ下の階級についていたというのに、その事実を隠し司教のふりまでして権力争いの場からその身を遠ざけるていたことを。

 そしてその有能ゆえに、権力争いに巻き込まれてしまい、回避のためすぐさまベラルディ家の資料たちの守り人になってしまったことを。


 そして、この男の野望が“現在の貴族階級にあるものたちの魔法への偏見を無くす”という、あまりに無謀で不可能とすら思えるようなことであることも。


 ――元々この国での貴族の始まりは、魔法や魔力で人々を助けていた者たちが土地の長となり、やがて集まり国となった。

 そして長たちが貴族と名称を変え、そんな長たちの中で一番力の強かった者が王となったのだ。

 つまり、この国を作った貴族たちとは、率先してその力を人々のために使っていた者たちであり、今の貴族たちはその子孫である。

 そこから今まで、長い年月の間に賢者たちが現れ教会ができ、そしてその教えに従い人々のために力を使い始め――……それに反比例するように、貴族たちの間には力をひけらかすことをタブー視する動きが強くなっていってしまい――


 ジーノの願いはその歪みを正すことだった。

 未だに平民の間では魔法を扱える者は稀で、貴族の中には複数の魔法を扱える者たちが数多く存在している。

 そんな貴族たちが認識を改め、人々の生活のために力を使い始めれば……どれだけの人間が救われ、暮らしが豊かになっていくのか――


 ジーノはその歪みが正せるのであれば、自分の一生すらも捧げる覚悟を決めていた――

 ……そんなジーノの元に現れたイルメラ。

 まだ年若い、しかも侯爵家という高位貴族のご令嬢。

 今の貴族社会で、最も力を使うことに拒否感を抱いているはずの存在。

 しかし、そんなイルメラが惜しげもなく人々に回復魔法をかけて回ったのだ。

 そればかりか小動物にまで治癒を施し、喜んでもらえるのが嬉しい、とまで言い切る少女。


 ジーノにとってこの出会いは運命……神々の掲示そのものだった。


 自分がお守りするのだ。

 自分がその道を邪魔するものを排除しよう。

 時に手を引き、生涯をかけてかしずこう。


 例え、目の前の大恩ある枢機卿と敵対したとしても、イルメラの全てを守り抜く――

 ジーノはそう心に決めていた。

 

「……かのお方は数多くの過去の遺産を復活させております。 ――それを間近で確認し、余すことなく教会へと伝えることも私の役目なのでは、と……」


 心には決めていても出来ることならばアルバとは敵対などしたくないジーノは、相手が納得しそうな条件を提示して見せた。

 教会の者であるならば、古代文字で書かれた文献の中身に興味がないわけがない。

 そしてイルメラからの信頼が厚いジーノであれば、その知識を余すことなく手に入れることは、そう難しいことでは無かった。


 そんなジーノの提案に、納得し大きく頷いたアルバだったが、ふと考え直したかのように、再びジーノの方に身を乗り出し声をひそめた。


「――どうにかこの地に繋ぎ止められぬか?」

「それは……エドアルド様のお心次第かと」

「侯爵家からはすでに打診もあったのだろう? ならばあとは背中押してしまうだけよのぅ……?」

 アルバはそう言いながら、あごを撫でなにやら考え始める。


 ジーノはアルバが何を考えているのかすぐさま理解した。

 実際、侯爵家からはイルメラをエドアルドに近づけ、婚姻関係を結ぶよう働きかけるようにとの旨が書かれた手紙は届いていた。

 届いてはいたのだが――


 ジーノはすぐさまその考えを撤回させたい衝動にかられた。

 ――が、アルバの性格を考えその気持ちを必死に押さえつける。

 若い頃からアルバを知っているジーノは、アルバには少し天邪鬼な部分があり、強く否定されると大いに反発してしまうところがあると、十分に理解していたのだ。


「アルバ様……こればかりは無理を通しても再び歪になってしまうだけかと……」


 困ったように眉を下げながらそっと伝えるジーノ。

 イルメラの最初の縁談の話まで匂わせ、勝手な真似はしてくれるな、と釘をさしたのだった。


 今のジーノにとって、イルメラはその全てと言っても過言ではない。

 大司教としても執事としても、守るべき大切な存在だ。

 例え本人が悲しむそぶりを見せていなかったとしても、その心を傷つける可能性があることは欠片でも見逃せることではなかった。


「……うむ、そうであったな。 そもそもワシはイルメラ様に命を救われた……悲しませることは本意ではない……――あの圧倒的な魔力と、貴族のご令嬢とは思えぬほどの慈悲深さ……まこと、伝説の聖女様の再来と言っても過言ではないほどに――……だとすれば是非とも幸せになっていただく――」


 アルバはニコニコと笑いながらジーノの反応をうかがうように話しかけた。

 ジーノはそれがアルバからの「イルメラを聖女同等として扱うぞ?」というメッセージだと正しく理解したが、今度は困ったように笑い、肩をすくめただけだった。

 なんだかんだと付き合いの長いアルバ。

「幸せになってほしい」と言ったその言葉に、なんの嘘も偽りも感じられなかった為だ。


「――……頭皮も救われたのでしたな?」

「ほっほっほっそうじゃったな! ――ああ、そうであった。 他の者の頭皮もくれぐれも頼むと……」

「……お嬢様はことさら宗教食がお好きなご様子でして……」

「米やら焼酎ならば、たんと出せる! なんならこのジャポネ酒も付けるぞ⁉︎」

「……ではその辺りも含め、お伺いを立ててみましょう」


 そう話し合う二人は、真顔で話し合っていたがどこか芝居がかっていて――

 二人は顔を見合せると同時に吹き出し、再びこうして笑い合えることを喜ぶかのように笑いあうのだった――

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