第36話

 イルメラが教会を訪ねてから数日後――


 夜もけた教会の一室。

 真っ白で少し冷たい印象のする広々としたその部屋。

 明かりもつけず、月明かりだけに照らされたアルバ枢機卿が、久々のジャポネ酒を楽しんでいた。


 時折窓の外を見ては、綺麗な月や星たちにに目を細め、そしてそれをつまみがわりに酒を楽しんでいる。

 すると――

 そんなアルバ枢機卿の頬を一陣の風が撫で、この場に来客が現れたことを伝えた。


「――ご無沙汰しております」


 その声と共に現れたのは、ベラルディ家別邸の執事、ジーノだった。


「――ほんに久しいな 」


 声だけで誰が来たのかを理解したアルバは、ぐい呑みを口に近づけつつ、月から視線を外さずに呟く。


 広い部屋に一人――と、見えてはいるが、守りも手厚い教会の奥の奥――至る所に護衛の役目を持った信者たちが至る所で控えている。

 招かれざる客は誰一人近づけないという自信があった。


「ご回復、なによりでございます……」


 アルバのそばまできたジーノは、敬意を払うかのように膝を付き、深々と頭を下げる。

 少し長く頭を下げ続けたジーノは、ゆるゆると顔を上げ、そしてマジマジと月を眺め続けるアルバの横顔を見ると、やがてため息のような安堵の息を吐き出した。


「イルメラ様のおかげじゃな。 ――見てみよ髪まで生えて来よったわ」


 ようやく月から視線を外しイタズラっぽく笑ったアルバは、自分のおでこをペチリと叩きながら言う。

 そして向かい側の席を指して、ジーノに席を薦めた。


「――おや、ご存じなかったので? お嬢様は騎士団の頭皮すら守っていると評判なのですよ⁇」


 ジーノは顔を綻ばせながら一礼すると、ニヤリとからかうような顔をして返す。


「なんと……――この教会の者たちの頭皮も何とかならんかのぅ……? ……私はやり方を知らぬのだと、どれだけ説明しても納得せんでの……ワシは数日前まで意識不明で死にかけていたと言うのに……ヒドイ仕打ちじゃとは思わんか⁇」


 そうボヤくように言ったアルバ枢機卿。

 すると次の瞬間、席についたジーノを確認してか、アルバ枢機卿の背後から音もなく現れた男が、無言のまま一礼をするとジーノの前にぐい呑みを静かに置く。 

 男がテーブルの上のジャポネ酒に手を伸ばそうとした瞬間、アルバが男を制するような仕草を見せた。

 それを受け、男性は手を下げると無言のまま再び一礼してスススッとに再び闇へと紛れて行った――


 その男性の出現にジーノは驚くこともせず、アルバが酒瓶を差し出すのに合わせてぐい呑みを差し出した。

 ジーノはニコリと笑いながらアルバに向かい、そのぐい呑みを掲げると、唇を湿らせる程度に酒を飲んでから答えた。


「――殺しても死なないほどに回復なさったから、なんでしょうな?」

「はははっ 今までは命を長らえさせる程度の効果しか見られなかった回復魔法も、あの後から普通に効くようになってなぁ……――ジーノよ、あの方は何者ぞ?」

「――すでに何度も侯爵家に探りを入れてはいるのですが……ご息女イルメラ様である。 としか……――あの力の強さは昔からのようです。 しかし――」

「――しかし?」

「……伝え聞こえてくる人格とは少々異なる気も……」

「――替え玉だと?」

「……そう考えたこともございますが、そうなると本物はどこに? という疑問も……それに、イルメラ様は間違いなくベラルディ家の血を引いていらっしゃるのです。 あの方の魔力で、魔道具でもある古代宗教文字で書かれた文献を守っていたキャビネットが開いたのですから。 ――ご本人かどうか、の答えが出ませんが、間違いなく侯爵家のご親類しんるいです」


 そこまで話したジーノは、注がれた酒をクイと一口飲み込み、更に言葉を続けた。


「――それと……性格の違いについてですが……日頃なにかと接する機会の多い、妻や娘たちの見立てでは『もう社交界に戻ることもないのだから……』と、持ちうる限りの力を抜かれているのでは? と……」

「……ご令嬢として、どうなのだそれは……?」

「――常識などでは測れないお方でございますゆえ……今は、貴族としての義務――これは政略結婚のことでしょうな。 それを果たさなくても良く、親の金で生活も出来て憧れの聖女ライフを送れて最高! ――と、喜びを爆発させていた……と、庭の手入れに手を貸している者が教えてくれました」

「……――聖女に憧れを?」


 笑いながら話を聞き、酒を楽しんでいたアルバの目がギラリと光る。

 向かいに座っていたジーノはすぐにそのことに気がついたが、わざと気がつかなかったふりで、肩をすくめつつ苦笑混じりに答えた。


「……少女特有のソレでしょうな。 庭で木や花に回復魔法をかけてみたり、小動物にかけてなつかせてみたりと……大変可愛らしいものですよ」

「――本物になりたい、という事は?」

「――……社交界に戻ることは望んでいないでしょうが、教会に奉仕するようなお考えはお持ちでは無いかと……」

「……だがお前は気に入ったのだろう?」

「――私からすればベラルディ家に幸運をもたらす聖女であらせられますとも……」

「――しかし古代宗教文字を読み、多くの文献を読みあさっていると聞くぞ? 興味が全く無いとは言い切れないのでは?」


 アルバはグッと身を乗り出し、期待を込めた眼差しでジーノを見つめる。

 しかし、やはりジーノは困ったように苦笑を浮かべ、肩をすくめる。


「……俗物的な面もだいぶございます。 教会での生活が性に合うとは……」

「……――ああ」


 納得したと同時に真顔になるアルバ。

 乗り出した身体もスッと戻す。


「――それに……聖女の認定など受けてしまえば、一司祭いちしさいごときではお世話することが出来なくなってしまいますゆえ……」

「はっ! なりたいのであれば、すぐにでも枢機卿にしてやるぞ?」


 アルバはジーノの言葉を鼻で笑い、ニヤリと顔を歪ませながら答える。


 現在は執事として暮らしているジーノだが、これは教会にとってベラルディ家別邸に残されている古代宗教文字の文献を保護するというためであり、その任務が終われば枢機卿の椅子を用意することも決して難しい話では無かった。

 ――それほどまでにあの文献は貴重なものであり……アルバの政治力や発言力も高かった。


「……そんな身分にされてしまえば、政治活動に駆り出され、やはりお嬢様をで暮らす事が難しくなりますゆえ」

「まったく……大司教の職にある者が欲にまみれた事を……」

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