第31話

「さてと……やりますかー」


 コルセットから解き放たれ、動きやすい服を手に入れた私は、気合充分でアルバ枢機卿の枕元に立つ。

 そして治療が長引くことを覚悟して、イスに腰掛けた。

 そして深く深呼吸をしてから、そっとその手をとった。


 目を閉じて魔法を発動させると、重ねた指先から少しづつ浸透させるように大きく深呼魔力を流していく。

 患部不明で全身治す時は、全身に魔法を浸透させる必要がある。

 始める場所はどこからでもいいんだけど、私の場合は手、それも右手からが一番やりやすい。

 これは治癒師ごとにやりやすい場所があって、頭からの人や心臓からの人、肩からって人もいたりする。

 ――うちの流派が唯一こだわるのは結果。

 手順や途中経過なんてものは各自でやりやすいよう好きにすればいいのだ。

 最後に患者が完治しているならば。


 ジワジワと浸透させるようにゆっくりと魔法を流していく。

 頭のてっぺんから足のつま先までゆっくりと……ぐるぐると#循環__じゅんかん__#させて臓器や血管も修復イメージ。

 さらには血管から毛細血管まで広げて、その先の細胞まで治すつまりで――


 どこかの臓器にダメージが蓄積していたのか、臓器あたりに魔法が到達すると同時に魔力がごっそり持っていかれるが――ここが患部ってことじゃ無さそう。

 多分、寝たきり状態で悪くなってしまった部分を回復させただけ……かな?

 こう……――健康な人からは感じる、魔力の押し返しみたいな反発感がやってこない。

 これが無い時は、大抵どこかに問題があるんだけど……

 魔力は全身に行き渡っちゃったなぁ……?


「――これで治らないなら……臓器じゃないんだ……」


 呟きながら師匠の教えを思い返す。


 私たちの身体を使ってるのは臓器や筋肉だけじゃない。

 細胞の一つ一つの働きがでなければ不具合が生じるものなのだ――

 つまり……回復や治療で治らないのなら、私が次にやるべきことは――バランスを整えること。


 ……治癒師やってる割にはそのあたり全然詳しくないんだけど、悪玉菌と善玉菌の数を正常に戻す的な治し方でなんとかなってる。


 これも全身。 頭のテッペンから足の先まで。

 血管の中や臓器の細部に至るまで魔法を浸透させ、あらゆるもののバランスを整えていく……

 身体にとって悪いものだからって、消し過ぎてはいけないし、急にゴッソリ消すのも危険。

 その患者の身体は治療されるその瞬間まで、そんな悪いもの込みでバランスを保とうとしているんだから。

 だからどれだけ身体に悪いものだとしてもバランスさえ保たれているなら放置するのが正解で正義。

 そして身体にいいものだからって多すぎるのを放置するのもダメ。

 強い薬が身体に不具合を生じさせるように、多過ぎれば毒になるものも身体の中には多数存在してるから。

 ――例え身体に害があるものでも、ある程度ならば人の身体は大丈夫に出来てる。

 むしろそれと戦う事で、人の身体は強く健康になっていくものなのだ。

――そこを見誤ってはいけない。


 だったよねパウロ爺!

 私ちゃんと覚えてるよっ‼︎


 ……でもこれ、見習いになった次の日か次の次の日ぐらいに教わる基礎中の基礎だけど……――教会の治癒師たち大丈夫そ……?

 ――まぁ、出世するやつだから実力があるとは限らないからなぁ……

 失点が怖くて治したくないなんて言い出すような奴らだし……――出世にしか興味ないような奴らだったのかも…?


 バランスを整えるイメージで回復魔法を巡回させていると、やはり内臓の辺りで先ほどよりもずっと多くの魔力がゴッソリと奪われる感覚がした。

 さらにバランスを整え続けていると、本当に弱々しいものではあったが、微かな魔力の押し返しを感じる。


「――お?」


 手から伝わってきた感覚に、思わず声をあげ目を開ける。


「なにか問題でも……? 大丈夫なんですか⁉︎」


 すぐ近くで聞こえた、切迫せっぱ詰まったような司祭の声に、驚きビクりと肩が大きく跳ねる。

 しかし司祭はそんな私のことなど眼中に無いようで、不安そうな顔つきでアルバ枢機卿を見つめながらオロオロとしている。


 この人、本当にこの人が心配なんだなぁ……――ちゃんと治せて良かった。


 この期に及んでぬか喜びなどさせられないので、念のためもう一度回復魔法をかけて確かめる。

 ……確認は大切。

 うっかりミスで完治できないなんて治癒師の名折れ……!


 念入りに回復をかけてみるが、やはりその都度つど弱々しいけれどハッキリとした押し返しを感じる。

 ――うん。 これは間違い無い。

 絶対に押し返しだ。

 ……この人の身体は、もう回復魔法を必要とはしていない。


 私は大きく息を吐きながら、安心させるように司祭に笑いかける。


「治ったと思います」


と、短く声をかけた。


「なお ――…………は?」

「もちろん寝たきりの状態から原因を取り除いただけの状態なので、すぐに立ち上がって元気ハツラツ! ――とはなりませんけど……これからしっかりと回復なさるはずですよ」

「ぇ……っと……――えっ?」


 目を白黒させながら私と枢機卿を交互に見つめ、口をはくはくさせている司祭。

 それにつられるようにアルバ枢機卿に視線を向けると、真っ白だった顔に赤みがさし始め、だいぶ血色が良くなっている。

 そんな姿を見てホッと息をつくと、今まで感じたこともない凄まじい疲労感に襲われる。


「はあぁぁぁ……久々にこんなにちから使ったー……」


 言葉づかいを取り繕うことも出来ず、大きく息を吐き出しながら脱力する。


 本当は私がなにをしたかとかの詳しい説明をしようと思ってたんだけど……

 自分で自覚していた以上に魔力を使いすぎたらしく、かなりの疲れと共に軽い手足の痺れも感じていた。


 ――やばい……

 許されることなら、すぐにでもオフトゥンにダイブしてしまいたい……

 今ならおやすみ3秒間違いなしですわー……


 そんなことを考えながら、倦怠感に耐えきれず椅子の背もたれに身体を預けようとフラッと後ろに体重をかける。

 ――急に頭を動かしたのがいけなかったのか、自覚が無かっただけでそこまで疲れていたのか、背もたれにもたれかかるはずだった身体はグラリ……とバランスを崩す。


「あやや…………?」

「――イルメラ様⁉︎」


 司祭の驚いたような声を聞きつつも、このままでは床に倒れ込んでしまうことだけは理解したので、どこかに捕まろうと手を伸ばす。

 しかし残念なことにどこをその手はどこも掴むことは出来ず空を切り、私はイスを道連れに床の上に倒れこんだのだった――


……この床、石で出来てる上にラグすらひいてないからすごく固そう……


 そんなことを思いつつ、まもなく襲ってくるはずの衝撃にギュッと目を閉じ身を固くする。

 しかし、やってきたか衝撃は思いのほか柔らかく……――というよりもこれは……


「え……?」


 誰かに抱きしめられている……?


 ソロリ……と目を開けると、そこにあったのは呆れたような顔でこちらを見ているエド様の顔面がだった。


「――貴女という人は……」

「ぴぇ……」


 超至近距離にあるエド様のお顔面に、私の喉から奇妙な音が漏れる。


 ――薄くなったはずの眉間のシワは盛大にやっていらっしゃるけど、クマも消えてお肌ツルピカ……――我ながらいい仕事したわー。

 なんだけど……こんなにイケメンな顔面がいきなりこんな至近距離に出現しちゃうと、現実逃避は出来たって正気なんか保てませんが⁉︎


 マジマジとエド様の顔を観察していると、その顔が歪みゆっくりと口を開いた――かと思うと結構な声量で怒鳴りつけられた。


「魔力のほとんどを使い切り、あれだけ急に動けば目眩も起こるだろうがっ! だから貴族は、特にご令嬢は魔力切れを起こすほど魔法を使ってはいけない‼︎ 常識だろうが⁉︎」


 ……それは――


「…………はつみみ」


 え、人前で魔法使うなって言われてたのにはそんな裏事情が存在していた……?

 私が初耳なんだから、イルメラちゃんだって初耳なんですが……?


「――……以後、肝に命じてください」


 私の答えに、グググッと奥歯を噛み締めたエド様は、なにかを堪えるようにゆっくりと息を吐き出しながら続けた。

 しかしその言葉には有無を言わさせない迫力があり――


「了解です……」


 私は頷きながらそう返したつもりだったのだが――

 呂律ろれつはろくに回らず、頷いたはずの頭も石でも詰まってるのかと疑ってしまうほどにはズシリと重かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る