第22話

「――おいルチオ」


 ちびちびとだし巻き玉子を食べながら、私たちの話を聞いていたパウロ爺が、いきなり見習いの中でも一番年下のルチオという少年に声をかける。


「ぇあ、はい!」


 荷物を運んできた木箱を椅子がわりに、書き物をしていたルチオは突然のことに驚きながら慌てて立ち上がる。

 そんなルチオのとこなどお構いなしに、爺はマイペースに話を続ける。

 

「例えば、お前がお嬢の手伝いをする。 そんときの報酬は何が良い? 金か?」

「え……――なんでも良いんですか?」


 ルチオはキョトンとしながらも、爺ではなく私に確認をとる。

 この話の流れは、きっとうちの屋敷の修理に関する報酬の話だよね?

 それで、私が差し出せるものでってなっちゃうと……


「――宝石とかはムリ」


 あれはうちの生命線。

 いざって時にあそこの生活を守る最後の砦。

 次に私に対する経済制裁があった時、ジーノさんたちの給料まで止められたら大変なんだから。


「手伝いだけでそこまでの要求なんてしないです⁉︎」


 ルチオは慌てて否定するが、その言葉に私も唇を尖らせて返す。


「だって“なんでも”とか確認とるから……」


 さらに文句を続けようとしたが、爺のわざとらしい大きな咳払いが聞こえたので、渋々口をつぐんだ。


 ――爺、怒る怖い。 おケツ叩くダメ絶対。


「……僕はご飯が良いです。 ――あ、お菓子ならもっと嬉しいです」

「え、ご飯?」


 ……あれぇ? これはもしかして……私、こんな高校一年生ぐらいの少年に忖度そんたくされてるのでは?

 そう思いながらマジマジと見つめ返すが、ルチオは満面の笑顔で大きく頷く。


「はい! お嬢のご飯も美味しくて大好きです。 でもたまに貰えるお菓子を持って帰ると、家族で取り合いになるくらい大人気で……――お嬢はお菓子は手間がかかるって言ってるから、ちょっと申し訳無いんですけど……――でも……なにかお礼がもらえるんなら、お金なんかよりご飯やお菓子のほうが、ずっと嬉しいです!」


 目をキラキラと輝かせ、満面の笑みでそう言われて、私の胸はギュウンッと大きく締め付けられた。

 ――イルメラ初めての感覚だけど、はっきり分かる――これが、母性……っ!


「……今度作り方だけでも教えたげようか?」

「えっ⁉︎ 良いんですか⁉︎」


 そこまで好んでくれるならば……と、申し出た私に、ルチオはパアァァァッと顔を輝かせる。

 それにつられるように私もニコニコと笑って了承しようとすると、エド様が慌てたように私たちの会話に割り込んできた。


「――待て待て待て!」

「え……?」

「――イルメラ嬢、あの料理や菓子のレシピ、ベラルディ家の財産なのでは?」

「――あっ……⁉︎」


 慌てたように捲し立てるエド様の説明に、私はようやく《《お貴族様の常識

》》というものの存在を思い出した。


 ――そうだったー。

 今回の差し入れ、私的には馴染み深い――誰のモノでもない、ありふれた料理なんだけど、この世界の人からすれば初めて食べるような料理になってしまう。

 ……すっごい昔の高校生たちが広めたのかと思いきや、すっごい昔過ぎて廃れてしまっているという……――流通とか物価とかがねー……この世界じゃ卵はどこでも安く買える商品代表じゃないし、新鮮な肉類は軒並み高級品なわけで……――廃れちゃう理由も分からなくはない。

 いつも使ってるレシピは忘れないけど、たまにしか作らない料理のレシピは覚えてらんないよねー。


 ――つまりここに並ぶだし巻き玉子や唐揚げなんかのレシピは、あの屋敷の資料庫に保管されていた財産の一部とみなされる可能性が高い。

 ……そうなってしまうと、扱いがややこしくなる。


 通常、自分の家で考案された料理やお菓子のレシピについて、他人にペラペラ喋ることなど無い。

 たとえその家の当主であっても気軽に口にしていい話題では無いのだ。

 特別な料理や調理法なら、それすらも家同士の交渉の手札になり得てしまうから。


 ……この場合、私が黙っていればバレない可能性のほうが高い気がするけど……最悪を考えたら教えない方がいい。


「……ごめんルチオ。 勝手に教えたらダメなヤツだと思う。 私も、もう一回やらかしたらもう療養先が無いし……――下手したらルチオの家族まで危険な目にあう」


 そうなった場合、お父様がどう行動するのかは読めないけど……周りからの評判をとても気にするお貴族様たちは、そのプライドを守るためだけに、時としてとんでもない残酷な手段をとる場合があると知っている……


「そ、そんなのはダメです!」


 顔色を悪くしたルチオが、両手をブンブンと交差させるように振りながら慌てて答える。


「私もダメだと思う。 こっちから言っといてごめんだけど……――そうだ! 代わりに今度お菓子たくさん作ってきてあげるから許して? その時はご家族の分まで持って返っていいからさ!」

「え……いいんですか⁉︎」


 私の提案に血色の悪かった顔をパアァァァッと輝かせ、ルチオは嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 そんな彼の笑顔に私の母性は再びギュムギュムと刺激されたのだった――



「なーにー? ルチオだけとかヒイキー」

「ですよねぇ? 私たちだってイルメラ嬢のお菓子は大好物なんですが⁇」


 ルチオだけへの提案を不満に感じたのか、ここぞとばかりに見習い仲間たちから不満の声が上がる。


 ――初めましての頃なんか、私が挨拶しただけでカッチカチに固まってた子たちが、私のお菓子が大好物とまで……っ!

 ――これはアレだ。

 警戒心マックスだった猫が、初めて擦り寄ってきてくれた時のあの達成感……!

 めんどくささは感じつつも、私は緩む口元を必死に取り繕いながら、肩をすくめつつ提案する。


「なら――みんなが持って帰れるくらい沢山作ってくる……今ならリクエストも聞いちゃうけど?」


 その言葉に見習い仲間たちが顔を輝かせるのに満足感を覚えながら、ニコリとお上品に微笑む。


「チョコ!」

「マシュマロ!」


 すかさず答える二人だが……

 ――的確にめんどくせぇもんばっかり……

 チョコレートなんて、代用品を空炒りする所からなのに……――大体、どっちも一回か二回くらいしか作ってきてないのに、よく名前まで覚えてたね……?


 お菓子作りはなー……時間も手間暇もかかるし、レシピの取り扱いの関係なのか、私も手伝って丸一日二日をかけた一大プロジェクトになるわけで……――いや、うちのメイドさんたちもお菓子好きだから嫌がらずに手伝ってくれるけど……――ただその分、量が増えるから、さらに時間がかかるわけで……


「――……少々のお時間をいただきます」


 二つ同時はムリ!

 いくらうちの料理人たちが優秀でもムリ!

 ――うちの使用人たちの仕事をこれ以上増やしてはなりませぬ!


 そう答えた途端、見習い仲間の二人はそっくりの仕草で不満げに唇を尖らせる。

 ――が、そんな見習いたちをニヤニヤと眺めていたパウロ爺や先輩方は、顔を突き合わせ声を潜めつつも嬉しそうに話し合う。

 ――丸っと聞こえてますけどもー?


「……3回になるなら、ワシらは3回分のおこぼれに預かれそうだなぁ?」

「そうッスね? ――お嬢の菓子持って帰ると、思春期でなかなか口聞いてくれねぇ娘が寄ってきてくれてなぁ……」

「……今日はお菓子はないですけど……それでもよければ余ったの持って帰ります……?」


 思っていた以上に切ない理由が聞こえてきて、思わず口を挟む。

 ……簡単なお菓子なら作ってきてあげれば良かったかなぁ……?

 これから差し入れ持ってくるときは、出来るだけお菓子も作ってもらおう……メレンゲのお菓子やクッキーなら簡単だと思うし――

 あれ? この世界にだってお菓子はあったはずで……それは――どれだ?

 クッキーやメレンゲ菓子は……――あ、イルメラの記憶の中で食べてるから、多分元々あったヤツだわ……

 そうなると難しいな簡単なお菓子……

 ――なんか……大量にチョコレートやマシュマロ生産しておいて、それを小出しで使うのが、一番の時間短縮になる気がする……

 チョコクッキーなら向こうのお菓子って括りに入るし、メレンゲ菓子にマシュマロ挟んで向こうのお菓子だって言い張ればなんとかなる気がしてる。


「――嬉しい申し出だが、いつもみたいに等分で」


 そう苦笑いしながら答えた先輩――その言葉を受けた私の口から「遠慮することないですよ」って言葉が出てこないぐらいには、周りからのプレッシャーがえげつなかった。

 ……見習いたちはやめときなさい?

 その人、大ベテラン。 先輩ね⁇


 いい大人が揃いも揃って……

 食べ物のことでそこまで不穏な空気にならなくても……


 ――原因が私の――うちの料理人たちが作った――料理ってわけだから……悪い気なんか全くしないんですねどねー!

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