第17話

 深夜といっても過言ではない夜遅く……

 ジーノは人目を忍ぶようにバジーレ伯爵家へとやってきていた。

 大きめの外套で顔や体を覆い隠しつつ、滑るようにバジーレ家が執事である、セストの執務室に体を滑り込ませる。

 ランプの光に照らされながら書き物をしているセストの姿を確認すると、簡単な挨拶さえも省略して用件だけを短く伝えた。


「――セスト、侯爵家の金を渡せ」


 その言葉にジーノが入って来た時はチラリと一瞥を送っただけで、そのまま黙々と書類仕事をしていたセストが、困惑したように大きく眉を寄せながら顔を上げた。


「……なんですかいきなり? ちょっと前までは、平民相手にも嫌な顔せず治癒魔法を施してくださって……ってあんなに喜んでたじゃ無いですかー。 その時、先立つものがあったら、こうはならなかったんだろう、ともおっしゃってましたよね?」

「――それは……あの時はまだイルメラ様のお人柄を知らなかったのだ。 あのおかたは金があっても人々をお助けになる。 ――今はそういうお方なのだと確信している」

「……ちょっとー、急に良い子になるのやめて下さいよー。 ――大体、ベラルディ侯爵家からの仕送り金をこっちで止めといてくれないかって話は、ジーノさんから持ちかけられた話ですからね?」

「だからこうして来ている……」


 セストからの非難にジーノは口ごもりながら視線をさ迷わせた。


「……そもそもの目的の『あのお嬢様から古代宗教文字で書かれた文献たちを譲り受ける』って話はもう完了したんですか? ちょっと探り入れましたけど、売り払う気は無いように見えましたけど⁇」

「……――それは取りやめだ。 もとよりあれらは正真正銘ベラルディ家の財産だ。 ――が持つというならば、我々の出る幕はない」

「――正しきって……えっ⁉︎ あのお嬢様、古代文字読めるんですか⁉︎」


 そんなセストの問いかけにジーノは無言で頷く。




 ――遥か昔の時代。

 この国の創世の時代に、この土地に降臨なさった聖者たち。

 その聖者たちがあつかっていたとされる古代宗教文字。

 今の時代でその文字が扱える者は、一部の教会の者たちか学者――もしくは聖者たちを先祖に持つ、由緒正しき貴族の中にまれに現れる、聖者の祝福を受けた者だけ――

 そんな祝福を受けた者たちは、生まれながらに文字が読め、膨大な知識を有している……さらには聖者たちが元いた世界の知識までもを有している事例も多々報告されていた。

 ――そしてベラルディ家は、今までに何人もの“祝福されし者”を排出している、聖者たちの血を引く家の一つであった。




「うわぁ……回復待ちで、あの魔力量で古代文字も読めて……――しかも料理上手とか……エド様、マジで嫁にしてくんねぇかな……」


 未だに独身で婚約者もいないバジーレ伯爵。

 ここにイルメラが送り込まれたのは、王都から離れているという理由のほかに、あわよくば……という侯爵家、そして伯爵家周辺の者たちの思惑も存在していた。

 訳ありの令嬢ではあるが、イルメラが由緒正しい侯爵家の血筋であることに間違いはなく、そのツテがあるならば伯爵家にとっても二人が結びつくことでのデメリットは、それほど存在しなかった。


「――その為にも金を回せ」

「……一体何があったんです?」

「これだ」


 ジーノは懐から取り出した二通の手紙をセストに渡しながら「内容は同じだ」と伝える。


「手紙……?」

「――イルメラお嬢様が、ご先代のベラルディ侯爵とご先代のジョルダーノ侯爵へしたためられたものだ。 なるべく早く届けたいのだと言われ……嫌な予感を覚え、中身を改めさせていただいたんだが……」


 濁された言葉に、セストは訝しげな顔付きで手紙を受け取ると、視線を送りつつ首を傾げて見せる。

 そしてジーノが頷くのを確認すると、中身を読む許可が降りたと判断して、そのまま素早く中身に視線を走らせた。


「――……お爺様、お婆様、 今イルメラはとても悲しい思いをしております。 事の始まりは婚約者が町娘なんぞに……――あのお嬢様のメンタル、どうなってんですか……? 普通こんなこと自分で書きます⁇ 常識的なご令嬢なら、陰で話題にされたと知っただけで号泣ものですよ……?」

「……お嬢様は常識には捉われない、柔軟なお考えの持ち主なんだ」


 失礼すぎる――しかし一般論ではあるセストの言葉に、ジーノは顔をしかめながら精一杯のフォローを入れる。

 しかしセストはそんなジーノの態度など気にも留めず言葉を続ける。


「そもそもこの侍女の話なんて、ご自分の落ち度にも取られかねないですよね? だってあのお嬢様こそが侍女たちの主人あるじだったわけですから監督不行届だと責められてもおかしく無いですけど……」

「……それだけご実家に怒りを募らせているということだろう」

「だからって……」

「――お嬢様がこのような手紙を書いた原因は我々にある。 ……我々が侯爵家からの送金を止めたりしなければこのような暴挙には出られていないだろう……――こんなものがご先代様……特に義理のご両親にあたる、ジョルダーノ侯爵家へ知られたら大問題に発展しかねない」

「――あのお嬢様がきっかけでそんな事になったら……うちにも火の粉が飛んで来そうですねぇ? ――ま、こっちは元々ベラルディ家のお金をお預かりしているだけですので、お渡しする事に何の異論もありませんけどー」

「早急に頼む。 ――イルメラ様は少々行動力に溢れるところがあってだな……」


 言いにくそうに話すジーノにセストはクスクスと笑いながらからかい混じりにたずねる。


「――もしかして家の使用人なんて通さずに、直で手紙を届けてくれる使者を雇うなーんて……えぇ……?」


 冗談で言った言葉にジーノの顔が悲痛に歪むのを見て、まさか……と笑顔を消していくセスト。

 心の中では(ウソだろ……? え、さっさと否定してくださいよ⁉︎)と懇願していた。


 そんな手段を取られてしまったら止められるものも止められなくなり、バジーレ伯爵家も騒動に巻き込まれる可能性が高かなってしまう。


「――今回は手近にいた私に頼まれたが……その時の言葉が『これをなるべく早く届けて欲しいんですけど……――伯爵家の御者さんに頼むほうが早く届きますかね?』だった……――その時は、御者とはいえ他家に勤めているものに手紙を託すのはいかがなものか……と説得したが――なにごとにも絶対は無い」


 渋い顔付で紡がれるジーノの言葉に、セストはハッキリと自分の顔が引き攣るのを感じた。


(そんなアクティブな侯爵令嬢がいてたまるか! ……でもあのお嬢様ならやっちゃっても不思議は無い……?)


 セストは軽い頭痛を覚えつつも、さらに口を開く。


「……解決策になるかは分かりませんが、こっちも先ほど『能力と給料が合っていない』と、翁から叱られちゃったんで……給料の増額を明日伝えておきます。 もちろん侯爵家からの送金も早急に届けさせます。 重ねて言いますけど、こっちは“預かっていた”だけなんで。 ……――ですがいいんですね?」


 セストは表情を引き締め、試すような視線をジーノに送る。


「――いい、とは……?」

「……――もしかしたら、潤沢な生活費が届けられたと理解したとたん、当初の見立て通りあのお屋敷の中にこもって、祝福されし者に課せられた使命をまっとうすることを拒否するかもしれませんよ?」


 ジーノを痛ぶるような意地の悪い笑顔を浮かべながら言う。

 ジーノを揶揄ってやろうという気持ちが少しと、こんな時間に急ぎの仕事を増やしやがって……という意趣返しがほとんどだった。


「バカバカしい」


 そんなセストの言葉にフンッと鼻を鳴らしたジーノは、なんの迷いもなくキッパリと言い捨てる。


「……へぇ?」


 セストは目を見開いて、心底驚いたように声を漏らす。

 こちらで金を止めて欲しいと頼んできたジーノからは想像がつかないほどに、イルメラへの信頼は分厚いようだと、セストはようやく理解したのだ。


「イルメラお嬢様はな? 私におっしゃったのだ。 「この力がこんなにも自由にに使えて嬉しい」と……「この力を使うとみんなが喜んでくれる。 それが自分は嬉しい」のだと――私はその言葉を、そしてそうおっしゃったお嬢様の、あの輝く笑顔を信じる」


 ジーノはセストを真っ直ぐに見つめ、きっぱりとどこか誇らしそうに胸を張る。

 そんな態度にらセストは肩すくめながらため息混じりに肩をすくめた。


「――そうですか。 ではそのように」


 そう答えたセストにジーノは頷きながら「頼む」と答えると、来たとき同様音も立たずするりと部屋を出ていった――


 その姿を見送ったセストは、大きくため息をつきながらも、途中になっていた仕事を片付けるために書類に手を伸ばす。

 心の中で、


(……なんか、やっぱり僕が悪者みたいじゃないですかー? 僕はジーノさんの提案を手伝っただけなのに……)


と、グチをこぼしながら。

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