第8話

「イルメラ嬢、準備は出来ているだろうか?」


 一通りの治療を終え、そこそこの時間になった頃、テントの入口からエド様が現れ、いつもと変わらない言葉をかけてくる。


「あ、はーい! じゃあお先でーす‼︎」


 言いながらサササッと、まとめてあった荷物を手に取り、小走りにエド様の元へと急ぐ。

 ここでご厄介になってからもうすぐ1ヶ月強、最初のほうこそ侯爵家のご令嬢という肩書きのせいで多くの人たちに遠巻きにされてたけど、挨拶の徹底と笑顔は基本装備ってことを心がけていたら、なんとかハブっ子にはならなかった。


 ――あとはこの職場に他の女性が全くいないってのも大きかった気がしている。

 私のような控えめジミ子でも、若い女の子ってだけで、結構優しくしてもらえてる。


 エド様にもこんな風に気をつかってもらってるしね!


「お疲れ様でしたー」


 入口の前に立ち、まだ細々と片付けや作業を続けている見習い仲間や師匠たちに声をかける。


「ああ。 明日は討伐日だ――忘れてくれるなよ?」


 提出された日報から顔も上げずにおざなりに応えた師匠だったが、何かを思い出したような顔つきになって私に視線を向けると、真剣な顔で念を押してくる。


「はーい! 爺の好きな、だし巻き卵たくさん作ってくるからねー」


 私はその念押しがなんだか可愛らしく感じてしまい、ふふっと笑いながらぴらぴらと手を振りながら大きく頷いた。


 明日はここではなく外――この国との国境になっている森へ遠征する予定になっていた。

 この騎士団では、治癒師だろうが見習いだろうが全員が、遠征中の食糧を自分で用意する決まりになっている。

 ――のだが……いつだったか私が持っていったお弁当を味見した爺が、その味をいたく気に入り、明日のような遠征時には『お前は弟子だから師匠の分も……』と、私に用意させるようになっていた。

 ……ついでに言うと、爺のお弁当を用意するようになってすぐ、先輩方からは『お前は見習いなんだから先輩の分も……』という圧力をかけられ、今ではめでたく全員分のおかずを持参するハメになっている。


 ――とはいうものの、私も屋敷の料理長に「明日のお弁当、みんなの分もよろしくお願いしますね」ってお願いをするだけなんだけどー。

 最初は(お弁当に卵焼きは絶対! 唐揚げも食べたい!)と自分で作ってたけど……さすがにあの人数分は時間かかるし……そもそもそんなに長く私が調理場を独占するわけにもいかないし……

 料理長が私よりも美味しいだし巻き卵や唐揚げを作れるようになった今となっては、こうして安請け合いするだけの、実に簡単なお仕事なわけだ。


 ――いや、なんでそばで見てただけなのに、料理長が作った方が断然早くて断然美味しいのかと……この国どころかこの世界の料理じゃねぇのに……


「たんと頼むぞ。 いやー、あれには目がなくてなぁー?」


 私の返事に気を良くしたパウロ爺は、そう頷きながら私の背後――エド様のほうにチラリと目配せし、ニヤリと笑いかける。

 ……何よそのアイコンタクト?

 ――もしかして爺なりの自慢?

 ……いやいや、エド様貴族ね? しかも伯爵様!

 爺たちみたいな一般市民の治癒師たちと違って、見慣れない料理をうらやましがったりしないよ……子供ガキみたいなことすんなし。


 肩をすくめて呆れつつも、チラリとエド様に視線を向ける。

 ……――ほら見ろー。

 エド様だって、顔もにょもにょさせて、なんとも言えない……って顔してるじゃ無いか。

 親子どころか、無理すれば爺孫にだってなれちゃう年齢差なんだから、気を遣わせないであげて!


「――あー……お時間があればエド様も味見してみます? ――余るほど作ってきますので……」

「――そうか……? では……そうだな、時間があれば伺わせていただく」


 少し視線を揺らしながら答えるエド様。

 あー……これは、さらに気を使わせてしまったヤツかも……?

 ――社交辞令みたいなとこあるから、忙しかったら来なくてもええんやで……?

 余計なこと言ってすまんの……


 微妙になってしまった空気を払拭するかのように大きく咳払いをしたエド様が、気を取り直すように私に手を差し出した。

 これは私を馬車までエスコートする為の合図であり、毎日の恒例行事となっていた。

 その手に自分の手を重ねた私は、みんなよりも一足早く職場を後にしたのだった。


 ――この職場の一番の魅力は、イケメン伯爵の送り迎え付きな所と言っても過言では無いと思っています……!

 しかもキチンとしたエスコート付きっ! ここポイントねっ!

 エド様が忙しい時は執事のセストさんの時もあるんだけど、セストさんだって普通に糸目系のイケメンだし……――あの人は私知る限り、ダントツでリップサービスがお上手な人だから……

 こんなご褒美がずっと続くなら、イルメラお休みなんていらない。

 ずっとずっと騎士団のお仕事する!



「――師匠、これは本当の話なんですか……?」


 弟子の言葉にパウロは「おそらく……」と言いながら頷く。


 イルメラの帰った処置室と呼ばれるテントの中。

 その中には今、外に出ていた騎士たちに同行していた治癒師たちや非番だった者たちまで、バジーレ伯爵家騎士団に所属する集まり、多くの治癒師たちでいっぱいになっていた。

 全員集まったことを確認したパウロは、つい先ほどイルメラから聞いた話を要約して、短い言葉で簡潔に説明していった。

 説明すること自体は簡単だ。


 背骨の中に神経と呼ばれる筋があり、それが首から腰まで入っていること。

 それが傷付き治らないとマヒが残る可能性が高いこと。

 背骨は頭の付け根から腰まで繋がっているので、余すことなく全て直せば、マヒの症状も治せるかもしれない――

 説明自体はこの程度だ。


 ただ――……脊髄せきずいなどという言葉は、長く医療の現場で活躍してパウロでさえも聞いたことが無い言葉だった。

 ――だがしかし、聞いたことがないからという理由だけで、あの話を頭ごなしにデタラメだと決めつけることは出来ない。

 そのぐらいには、イルメラから出てくる医療の知識は豊富だった。


 長く医療の道に生きていると自負しているパウロでさえ“熱中症”という病気はその存在すら知らなかった。

 ましてやその対処法や予防方法など――

 その他にも病気の広がりかたや防ぎかた――職場を清潔に保つ習慣はあっても、それに病気予防の意味があることなど知らなかった。

 その他にも“理由は明らかではないが、そうしていると良くなる”という行為や習慣を、イメルラは「あ、それってこういう意味で?」と、いとも簡単に理由をつけていった。

 

 その知識の元が侯爵家なのか、貴族たちの受ける教育によるものなのかは不明だが、自分が知らない知識は、自分がこれまで一人前にしてきた弟子たちが知るわけが無い。

 ましてや今回の知識は、事実であるならば熱中症に勝るほどの治療法だ。

 一人でも多く救い上げるために、一人でも多くの弟子たちと情報を共有する必要があったのだ。

 なのでイメルラがなにか情報をもたらすたびに、こうして弟子たちを集め残業という名の特別講習を幾度も開催してきた。




「嬢の言葉の真偽は分からん。 だがその知識が本物だということは、これまでで十分に証明されてるだろ。 ――それに俺らのやることは患者に回復魔法をかけるだけ――悪化させちまう可能性もねぇ」

「逆に本当だったとすれば……」


 その弟子の言葉に、多くの弟子たちがゴクリと唾を飲み込む。


「……本当なら、治してやれず今も怪我でくすぶってる奴らを救い上げてやれる。 ――場所は背骨の中の筋だ。 お前ら各々心当たりの患者がいるな? ――頭から腰まで全て直してこいっ」


 そんな師匠の言葉に、集められた治癒師達は声をそろえ返事を返すと一斉動き出す。


「――はいっ!」


 その声とバタバタと急に騒がしくなった室内の喧騒を聞きながら、パウロは手持ち無沙汰にしている見習いたちに声をかけた。


「――それとセストに、そろそろ嬢の給料上げるように言ってこい。 この中の誰よりも強い力で、あの知識……――それで見習いと同じ給料? そんな前例なんて作らせたら、お前ら嬢の上行くまで給料据え置きだぞ!」

「――そんな⁉︎」


 師匠の言葉を聞いた、まだ年若い見習いたちは、顔を青ざめさせながら互いに顔を見合わせると、先を競うように部屋を飛び出していった。


(イルメラさんを基準にされたら、僕たちの給料減らされるかもしれない⁉︎)

 ――などと考えながら。

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