第54話
その日は朝から慌ただしかった。
「寝ぐせ取れないんだけど! ドライヤーまだ箱から出してないじゃん、なんで!?」
どたどた走り回る音が聞こえてくる。
ごろーは毛布に包まったまま忙しないシスコの足音を遠ざけるために頭から更に毛布をかぶる。
「あー緊張してきた。ヤバいよどうしよ、どんな顔して合えばいい?」
「知りませんわよ。普段通りでいいんじゃありませんの? 知りませんけど」
「ねぇ、この服変じゃない? 大丈夫?」
「かわいいよ。シスコお姉ちゃんって感じで」
「そうかなぁ、へへへ。じゃなくて、あーうー……ヤバいよー心臓破裂しそうだよぉ……そうだ誰かついてきてよ。途中まででいいから」
「悪いのぉ、今日はキヨカと一緒にお出かけでの。我もちょっと人に会ってくる予定だ」
「そういう事だからゴメンねぇ」
「じゃあいぶりー!」
「じゃあってなんですの! 余りものみたいで気分が悪いですわ」
「ゴメンて、それでダメかな?」
「私も今日は予定を立てていますのよ。そんな目で見てもダメですわよ。あ、そろそろ出かけませんと」
「しょ、しょんなぁ~」
「ふむ、我らもそろそろ約束の時間であるな。キヨカ準備はよいか?」
「おっけーだよ。シスコお姉ちゃん行ってきまーす」
トタトタと離れてゆく二つの足音。
暫くの無音が続いて、
「う~~ダメだ……落ち着かない」
身もだえするような衣擦れ。
数拍の間があって、畳を踏む音が近づいて来る。
「ごろーさーん」
肩を揺すってくる。
「いそがしい」
「そこを何とか、ね?」
拒絶の意思を示すためにごろーは更に毛布に包まった。
揺すられても無視を決め込む。
「お願いだから、助けると思ってさぁ」
「……」
縋るような声が聞こえるがそれも無視だ。
「もし、ごろーが来てくれるなら黒龍のバラ肉で巨大角煮作ってあげるって言ったらどう?」
アブラ身と肉が層になりプルプルと震える姿、それを箸先で切り分けて大きな塊を口に運ぶ自分の姿を、口の中に広がるであろう味覚への刺激を想像してしまった時点で抗うのは難しかったのであろう。
ごろーは静かに立ち上がった。
第三ロビーは一年前と変わらない、というのがごろーの感想だ。
以前に比べて男性アバターのプレイヤーが居なくなって美女、美少女アバターが増えているのがごろーとしてはポイントが高い。このエリアのプレイヤーはコスプレ染みた露出度の高い衣装を着ている者が多いのも良い点だ。
「いやぁ、マジで助かるよ。ホント久々すぎて緊張でもう過呼吸なりそうでさ」
まったくそんな気配すら見せない隣を歩くシスコを見る。
「やくそく」
「わかってるって」
ごろーは肉欲に負けてしまった。
こうなったら今日はとことんシスコに付き合うつもりである。
そしてもう一つ、ここまでシスコが緊張する相手に興味があるのだ。
「あ、おーい久しぶり」
シスコが手を振って誰かを呼ぶ。
「あら、お久しぶりですね」
落ち着いた雰囲気の女性の声。
修道女姿の女性が微笑んで小さく手を振り返す。
シスコが師匠と呼ぶ女性、ファセットだ。
「確か一年くらいだっけ」
「それくらいですか。んー、見ないうちに随分とお強くなられたみたいですね」
ファセットは目を細める。
対してごろー、ファセットを見上げて瞠目する。
野暮ったい修道服の上からでも解るほどの戦闘力、人目をはばからず飛び込みたい衝動に駆られるが、どうやってもそこに飛び込んで行ける想像ができない。
「それなりに苦労したんでね」
「そうでしたか。そちらはお友達ですか?」
「クランの仲間なんだけど、友達みたいなもんかな」
「ごろー」
名乗りを上げる。
「ファセットと言います。宜しくお願いしますね」
会釈をするファセット。
ちょっとした動作の度に布の下のラインが形を変えごろーは鼻息を荒くする。
「師匠は今暇?」
「暇と言えば暇ですね」
「今からユイに会いに行くんだけど一緒に来ない?」
シスコからすると一年以上ぶりの再会で積もる話もあるのだ。久々にあう顔ぶれで色々話が出来たらいいなと、そう考えている。
それに知っている顔が多い方が緊張感も和らぐというものだ。
「ユイさんですか。実はいま仲違いしていまして……随分と顔も見ていないのですよ」
ファセットの語る経緯にシスコは顔色を悪くしてゆく。
「……何か別の意味で緊張してきたんだけど」
「そんなわけで私は一緒に行かない方がいいでしょうね」
「そうかもしれないけど、話題に出るたびに微妙な空気になるの嫌だよおれ」
できれば友達同士として仲良くして欲しいと思うのだ。
「ですが……」
ファセットとしてはせっかくの再会なのだからシスコには余計な気を遣わせたくない。
「いっしょにいく」
ごろーが背中を押した。
ごろーとしては無駄に悩むくらいなら失敗してしまえという心境である。
蟠りやもやもやとした気持ちは区切りを付けることも大事なのだ。
「そうですね」
ファセットは少し悩んでから一緒に行くことを承諾した。
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