第38話

 シスコが帰還するよりも前、最初に煉獄から出てきたのはごろーだった。


「お帰り~、ごろーお姉ちゃんが最初だよ」


 そう言って出迎えたキヨカと黒龍は激戦から帰還したごろーを豪華な食事で労った。

 バイソンに似た魔獣の肉を使った巨大ステーキに、もも肉を使って作られた生ハム、島で手に入る果樹をふんだんに盛り付けたデザート。キヨカと黒龍にできる最大限の労いだった。


「はい、ごろーお姉ちゃん、あーんして」


 木製のフォークでステーキをひと切れ。ごろーは目を輝かせてぱくつく。


「ん~~!!」


 鼻息荒く興奮が収まらない。

 久しぶりの食事。しかも以前よりも比べ物にならない程に料理となっている。塩だけではない、火山島産のスパイスとハーブの風味が味覚を、脳を揺らすのだ。

 大量にあったステーキも、気が付けばもう最後の一切れ。

 それを名残惜しそうに何度も何度も噛みしめる。


 満足感を胸にごろーはデザートの果物に目を向ける。

 何からたべようかな、パッションフルーツに似たあれかな? それともバナナっぽいこれ、それともパイナップルっぽいそっちの輪切りかな……考えていたときだった。

 鼻先に突きつけられたフォーク。

 先端には付け合わせの根菜のソテーが刺さっている。


「ごろーお姉ちゃんまだ残ってるよ? はい、あーんして?」


 キヨカは笑顔。

 有無を言わせぬ笑顔。

 フォークの先端で揺れるのはジャガイモと人参の相の子のような不思議な混載。

 ごろーはこれが苦手だった。見た目は色の薄い人参だが、風味が土臭いセロリ。食感もゆるゆるの米飯みたいで苦手意識に拍車をかける。

 黒龍曰く、栄養価は豊富で滋養があるとのことだったが、如何に味付けしようとも苦手は苦手、食べたくはない。


「お口あけて?」


 迫るソテー。


「うぐぅ……」


 たまらず顔を逸らした先には黒龍。

 二人のやり取りを微笑まし気に眺めているが、しかし、食べるよな? 当たり前だよなぁ? せっかくキヨカがお前の為に作ったモンやぞ、放たれる無言の圧力。


 逃げられない。

 悟った瞬間そっと口を開いた。


「ごろーお姉ちゃんえらいね。食べられたね」


 キヨカは笑顔でごろーの頭を撫でる。

 最初しわくちゃだった顔も咀嚼するうちに緩んでゆく。

 あの苦手だった風味は薄れ、土臭さも無くなりハーブによって整えられているのか爽やか。加えて食感も程よい歯ごたえのあるサクサク感。例えるなら山芋のスティック。

 むしろ美味い。

 こんなに美味しいのなら、油滴る肉と肉を食べる合間に口にしたかった。

 ちょっぴりの後悔と共にデザートのフルーツを食べるのだった。


 そんなこんなで食事を楽しんだごろーは、食器を片付けるキヨカの後姿を眺めながらできる四歳児だなぁ、なんて感想を抱いていたりする。

 それからゴミを纏めたり、生活スペースの掃除をしたりと忙しい。

 これではどちらが大人なのか……。

 眺めるのにも飽きてきたごろーはスマホ型端末を取り出すとアニメの視聴を始めてしまった。(クエスト中は外部への連絡は出来ないがクエスト開始時までの情報取得は可能なのだ)


 キヨカは掃除や片づけが終わるとハーブティーとドライフルーツを用意してテーブルへとやってくる。


「ごろーお姉ちゃん、おやつだよー」


 画面から目を離そうともしないごろーの前に竹で作ったコップと竹を編んで作った小さな笊が置かれる。笊に乗せられたドライフルーツはイチジクにも似ている。

 竹のコップは口当たりを良くするために縁が整えられており、笊も目が粗いものの出来は良い。


「ん?」


 そう言えば、とごろーは考える。最後に見たときはコップも笊もなかったように記憶している。しかもかなり出来が良い。加えてドライフルーツにハーブティー。

 ごろーが、意識して周囲を見れば竈があって、小型の瓶のような土器が見える。そういう文明的な道具類は無かったはず。


「気になる? あれはね、みんなが煉獄に行ってる間に作ったんだよ。お陰でほら、お茶も飲めるようになったんだよ」


 ごろーの向かいに腰を下ろすと竹コップを傾ける。

 ごろーもつられて飲めば、ほんのり竹の匂いがあるものの、本格的なハーブティーの香りが鼻孔をくすぐる。


「おいしい」


 ぽつりとつ呟く。


「ありがと。こっちも食べてね」


 キヨカは笑みを浮かべてドライフルーツを一つつまんで口に運ぶ。


 ごろーはどうにも腑に落ちない。

 確かにドライフルーツは美味しい。暫く食事と言う行為から離れていたからか、ドライフルーツはとても美味しい。リアルではこういう食べ物が苦手だったごろーの舌にも美味しく感じるくらいには美味しい。食べ始めた手が止まらなくなるくらいには美味しい。

 だが、それよりももっと気にするべきポイントがあったはずだ。

 そう、前は舌っ足らずと言うほどでもなかったが幼い子供らしい喋りかたをしていたはず。だが、今は言動がしっかりしすぎている。

 何かがおかしいのだ。

 ドライフルーツをもきゅもきゅ食べながら思案する。


 何よりも、ずっとキヨカの後ろでこちらを見ている黒龍の視線が鬱陶しい。

 視線を向けるとドヤ顔するのも鬱陶しいポイントだ。

 さぁ、何があったか聞くがよい、そんな意志をひしひしと感じるのだがごろーは敢えて聞かない。


 キヨカはごろーの視線を気にした様子もなくゆっくりとしたペースで二つ程ドライフルーツを食べると、ハーブティーを一口。それからタブレットを取り出す。

 これは三人が煉獄に行った後にキヨカに一般的な教養を身に着けさせようと黒龍がどこかから持ってきたものである。

 この火山島を出てしまえば、今までのような世間知らずではいられないだろうという親心のようなものが働いてのことだ。


 キヨカは鼻歌交じりにタブレットの表面をスタイラスペンでなぞりながら、ときおり頤にペンの尻をあてがい悩みながらも問題を解く。

 ごろーからすればタブレットを使って何かしているようにしか見えない。もう一度黒龍を見れば、是非聞いてくれと言わんばかりに鼻息を荒くする。


(あれは見なかったことにしよう)


 ごろーは無言のまま立ち上がるとキヨカの後ろに回って横から画面をのぞき込む。

 画面には幾つかの数式とグラフが表示されているが……、


「なにこれ」


 気の利いた言葉は出てこない。


「んー? これはねー、算数のお勉強だよ。ぼくもそろそろ小学校に入る歳になるから」


(あれぇ? 算数ってなんだっけ? さいんこさいんたんじぇんと……? これ違う。知ってる算数と違う)


 振り返ってジト目で黒龍を見上げれば。

 自慢げに黒龍が鼻息を荒くしている。


『どうだ、キヨカは凄いであろう。もう少しで一般的な日本人の子供が学校で習う知識を身に着けられるぞい。後は社会に出てからの経験であるが、まぁ、それも我が上手くやってみせよう』


 確かに子供と言う括りでは正しいのかもしれないがこれは……、


「やりすぎ」


 柄にもなく突っ込まざるを得なかった。


 そんなこんなで数か月。結局黒龍の教育は自重することもなくシスコが帰還してから一週間と少し。


 シスコ、ごろー、いぶりーは『エイリアスシステム』の最終調整を数日かけて行い、決戦に向けて最後の準備を行っていた。

 翌朝、島の中腹にある平原で黒龍と死合う。


 それが取り決めだ。


 本来なら一週間と言わずに三日くらいで準備を終わらせるつもりだったのだが、一足先に調整を終えていたごろーが何故か『煉獄』に再突入してしまったので止む無く出てくるまで待っていたのだ。


 ごろーの一週目は一年と二か月程かかっていたので、踏破タイムは大幅に短くなっているし、それだけ強くなったのだろう。

 一週間というとんでも記録だったが、シスコも、自分の能力の使い方に気が付いた今なら似たようなタイムで駆け抜けられるだろうと確信していた。

 だからと言ってごろーの真似をする気も起きなかったが……。


「拠点もだいぶ変わったよね」


 シスコは石から切り出されたベンチに腰を下ろして拠点の周囲にあるガゼボや石で出来た作りかけの城を見上げる。


「シスコの心が折れて二度と出てこられなくなっても、ここに定住できるようにワタクシの城を建造していたのですわ。まだガワも半分しか出来ていませんけど」


 自慢げに胸を逸らすいぶりー。視線の先にはひと際完成度の高いガゼボがある。

 どうやって石材を切り出したのか気になるところではあるが、新しい能力の使い方でも思いついたのだろうとシスコは深く考えないことにした。


「にしても、今日は豪勢だよなぁ」


 シスコは黒龍がどこからともなく持ってきた食材の数々を目にして唸る。


『日本人は鍋パーティーが好きだと聞いたのでな、食べられそうな野草やキノコをキヨカと共に集めておいたのだ』


「鍋はわたくしの作ですわよ。土鍋なんてはじめて作りましたけど、なかなかどうして上手に焼き上がりましたわ」


 自慢げに胸を張るのはいぶりー。


「いろりつくった」


 ごろーが指さす先にはガゼボがあって、その中央には膝より少し高さのあるテーブル状の囲炉裏があって、自在鉤はつり下がってはおらず、中央に五徳が設えてある。

 四辺には程良い高さの石造りの椅子が並べられていて、座り心地を良くするためか毛皮の座布団も敷かれてある。四人が座るには丁度いい。

 妙にクオリティが高いのは、そこに設置するとは考えなかったいぶりーが手伝ったからだ。大体、九割くらいはいぶりーが作っている。

 そんな囲炉裏をキヨカも気に入っているため処分できないのがいぶりーの目下の悩みとなっている。


「優雅さ半減ですわ」


「東屋作ればよかったんじゃ……」


 シスコがぼやけば、


「そんなイモ臭いものなんか作りませんわよ。わたくし、お優雅なティータイムをする予定でしたのに……まったく」


 いぶりーの愚痴がこぼれる。


「でも、木炭も作ってくれたよね。いぶりお姉ちゃん」


 そんないぶりーに抱き着くのはキヨカだ。


「ま、まぁあ? 今日の予定は聞いていましたし? 仲間の為に骨を折るのはやぶさかではありませんわ」


「色々と準備してたんだなぁ、おれあんまり手伝えなかったから」


「シスコお姉ちゃんはいつもお料理してくれるからいいんだよ?」


 キヨカが微笑んでシスコを見下ろすのに合わせて亜麻色の髪が揺れる。


「そっかなぁ、まぁけどキヨカが言うならいっか」


 腑に落ちない感じでシスコは言うが、割りきることにした。

 それに拘っても仕方がない、キヨカ自身が楽しんでいるのだから。

 笑顔で心底嬉しそうにする少女の顔を見てシスコは安堵するのだった。


 シスコはキヨカと一緒に食材を洗って切り分ける、鍋に盛り付けて追加で加える素材を別の容器に切り分けてゆく。野菜といっても湯通ししたゼンマイなど山菜が殆どで葉野菜は見られないが、色合いのバランスは悪くない。

 素材も山菜キノコに山で育った獣の肉、魚介も近海で捕れた白身魚や貝類が用意されている。


「いぶりーもごろーもダラけてないで取り皿運んでよね」


 火山島最後の夜。

 鍋パーティーが始まる。

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