第36話

『ふむ……』


 黒龍は瞑目したままつぶやく。

 黒龍が送りだした特殊なエリア、煉獄。煉獄は通常のクエストをこなしていてはなかなか遭遇しないような凶悪な鬼がひしめくエリア。

 完成したエイリアスシステムの慣熟には丁度よい、と黒龍は考えているが、実際には違う。通常のシステム内で鍛えられたプレイヤーが壁にぶつかったときに、それを超えるために用意された障害としてのエリアだ。


 このエリアの特殊なところは無限の如く現れる鬼もそうだが、『何度死んでも生き返る』という一点につきる。ライフポイント制でかつ、ポイントがゼロになれば真の死が待つ現状において破格な条件のエリアである。


 ただし、このエリアに入るためにはライフポイントを2点支払う必要がある。

 正確には『ライフポイントの上限を2点減らす』である。

 実はこれも非常に高難易度で特殊なクエストに分類される。

 なぜこのような入場条件なのかというと、多くのプレイヤーが知らない所ではあるがライフポイントを復活させるクエストも存在しているのだ(難易度は煉獄ほどではないが鬼畜仕様)。

 しかしこのクエストを受けてしまうとどうやってもライフポイントを戻すことが出来なくなる。そこまでのリスクを負っても自身の強さを追い求める、そんなプレイヤー向けのクエストである。

 進入条件が非常にリスキーなエリア……果たしてメリットとデメリットが釣り合っているのか人によってはデメリットを大きいと捉えることもあるだろう。


 そんな場所である。


『早速洗礼を受けておるな……』


 黒龍は分割された思考でモニターしている、三人の煉獄での様子を見て目を細める。三人の予想される実力から考えると少しばかり早いが、時間はまだまだある。

 黒龍はこの先の予定を少しばかり考えていた。他の八龍はまだ誰も脱落していないし、何ならプレイヤー全体の戦闘実績や細かなデータを閲覧するに自分たちに対して脅威となる存在はまだ出てきていない。いや、一部頭のおかしい連中が居ないわけではないが、その殆どが攻略とは関係ないところで活動している。

 攻略機運が活発な第一ゲートのプレイヤーは成績こそ良いものの、システムの本質にはたどり着きそうにない。というよりも彼らはゲームに対する勘と知識が豊富なせいか行動に対する迷いが少なく、それ故にたどり着けそうにもない、というのが黒龍の見立てだ。


『ククク……、この調子で行けば我の計画も滞りなく完遂できそうだな』


 口端をゆがめた黒龍は天を見上げる。


「おーまさん?」


『どうした、キヨカ』


「おねーちゃんたちいつ帰ってくるのかなぁ」


 キヨカの問いに頭をもたれて目線を合わせる。


『そうさな、まだまだかかるさ』


 黒龍はゲートのある洞穴へと視線を向ける。キヨカはそれにつられてゲートへと顔を向けた。


「そっかー、はやくかえってこないかなぁ」


 キヨカは寂しそうに呟くのだった。




 数日たったある日の朝。天気が良く洞窟の入り口からはいつもより早いタイミングで朝日が差し込んできて、キヨカは明るくなるのに合わせて目を覚ました。


 シスコたちが居なくなってからまた一人になったキヨカは朝食の準備などを自分で行っていた。アビリティの助けがあったとはいえできる四歳児である。

 洞窟から出れば、ちょっと開けていて、正面にある森の入り口が朝露に濡れてきらきらと輝いていた。キヨカは、何だか清々しい気分になって大きく伸びをする。

 それから、視線を巡らせて、洞穴の中で淡く光を放ち続けるゲートが自然と目に入った。


 戻ってこないなら迎えに行ったらいいんだ。


 そんなことがふと思い浮かんだ。キヨカは偶に幼稚園を抜け出してお父さんと「お姉ちゃん」を迎えに二人のいる近所の学校へ行ったりしていた。その時は決まって父親の同僚(とはキヨカは考えていないだろう)が、「今日は早く上がったらどうですか?」と声を掛けていて、実際、少し早い時間に家族そろって家に帰ることができたのだ。


 だからだろう、キヨカは迷わなかった。そっと寝床を抜け出すと、ゲートへと向かった。




『おはようキヨカ。今日はいいお散歩日和だ』


 浮かれたような声音と共に黒龍は頭を下げて洞窟の中を覗き込む。差し込む朝日のお陰で洞窟内は普段よりも明るい。


 いつもなら身支度をしているキヨカから返事があるはずが、その日は静かだった。


『珍しいの、まだ寝ておるのか?』


 つぶやいてベッドを見るが、めくれた毛布が見えるだけでもぬけの殻だ。その瞬間黒龍の背筋あたりに冷たいものが流れる。


 一人で抜け出した? トイレか何かか? 沸き上がる不安と焦燥を抑え込んで自身の感覚を島全体に広げる。羽虫や小鳥、草葉の揺れをも捉えるアンテナはしかし、キヨカの姿だけは捉えられない。


『ま、まさか』


 黒龍は顔を青くして急いでゲートの起動ログを立ち上げる。そして、最新の日付、つい10分ほど前に起動した記録が残っており、そこにはキヨカのアバター「お姉ちゃん」の名前が記載されていた。


『……お、落ち着け。慌てても何も良いことは無い。そ、そうだ、こういう時はGMコール』


 黒龍は深呼吸してから特殊なインターフェイスを起動してGMを呼び出すのだが、途中で、はたと気が付く。

 GMは対応してくれないんじゃないか、と。当たり前である。間違えてクエストやダンジョンに入り込んだプレイヤーを救出するなんてのは業務外である。

 そもそも以前キヨカが迷い込んだ時にも色々言われているのだ。対応すらしてもらえないに決まっている。


『はいは~い、こちらGMトワイライトでーす。デスゲームに関するクレームは公式サイトの不具合報告ページからお願いします。それ以外でしたらどうぞー』


 何ともやる気のない声である。それもそのはず、相変わらずGMコールの内容はデスゲームに関するクレームと罵倒であったりする。当たり前である。


『すまぬ、間違い電話だ』


『え? あ、ちょ……』


 黒龍は速攻で通話を切った。


『ふぅ、案外動揺するものだな。こういう時は……』


 黒龍はインターフェイス上の検索ツールを起動すると、キヨカのプレイヤーIDからインスタンスエリアを特定し、監視カメラを立ち上げ追従状態で固定する。

 丁度俯瞰視点で、キヨカが廃墟の中をのんびり歩いているのが見える。そして、テレパシー機能、と黒龍が呼んでいる通話機能を立ち上げる。


『キヨカ、聞こえるか? 我だ。黒龍リトラだ』


 語りかけると、キヨカは辺りをキョロキョロ見回し始める。


『キヨカ、我は今声だけで語りかけている。よく聞くのだ。そこにシスコたちは居ない。だからキヨカは一人で進まなければならないのだ』


 黒龍リトラは落ち着いたつもりで語りかけるが実際そうでもない。


『お主は一人で泉までたどり着かなくてはならないのだ。我がアドバイスをするから、慎重に進むのだぞ』


 どうにか、慌てないように、そして慌てさせないように優しく語りかける。

 傍目には落ち着いているように見えるその姿は核心的な情報を忘却の彼方に置いてきている。


 そもそも、煉獄というエリアは一度使用権を獲得してしまえば何度でも利用できるというメリットがある。その分復活権の上限を支払うが……、それでも死を恐れずにぎりぎりの死線を経験するには良い環境である。

 で、当然ながらこの煉獄、出入り口が存在する。それはキヨカからそんなに離れていない場所、光の柱の見えるそこが出入り口である。死ぬたびに光の柱から遠ざかるという仕様があるものの基本的に出入りは自由なのだ


『うん、がんばる!』


 映像の向こうでキヨカは大きく頷いた。



 そして六か月……。


「……」


 キヨカは目の間に立ちはだかる異形の者を無言のまま見上げて悲しそうな顔をする。

 それは額に黒曜石のような角を持ち、肉体全体が硬質の皮膚で覆われている。体高三メートル、ヒロイックな、それこそ変身ヒーロー染みたマッシブな外観で、その眼が殺意にまみれていなければ、特撮好きの者ならば素直に見入っていただろう。


 キヨカは、あえて言うなら自然体。一見隙だらけにも思える佇まいだ。それを隙だというには余りにも泰然自若。揺らぎはない。


 鬼の姿が揺らめくようにして掻き消える。瞬間、キヨカはふわり、と右手を上げる。特段早く動いたようにも見えないが、それでもその柔らかな手の甲は斜め後ろより突き出された鬼の拳を逸らしていた。同時、キヨカは手の甲を添えたまま振り返る。すると鬼は態勢を崩し背中から地面へと叩きつけられた。


「ごめんね」


 キヨカは視線を逸らさない。そのまま無防備となった鬼の首へと踵を叩きつけた。砕ける皮膚、骨、血しぶきは飛び散らないが、砕けた鬼の首から黒い煙のようなものが漏れ出し、皮膚のひび割れは徐々に広がっていく。


 キヨカが瞑目したとき、鬼は首を中心に砕け、塵となって消えた。


『よくやったキヨカ。さすがだ』


 あたりが静けさを取り戻したとき、立っているのはキヨカだけ。キヨカの周りを見てみれば、足元にあるような黒い靄がいくつも点在していることに気が付くだろう。それらはすべて鬼の痕跡。


「やっぱりけんかきらい」


『そうか、今までよく耐えたな。あとはその先にある泉に行くだけだ』


「そっかー。やっとおーまさんにあえるね」


 キヨカは笑みを浮かべるのだった。


『うむ。今日はキヨカの好きだった果物と、まる鳥の炭火焼きを用意している。帰ってきたら一緒に食事だ』


 黒龍は、この半年間キヨカのナビゲート兼アドバイザーポジションをやっていた。ボスAIなのに相変わらずキヨカには甘いのだ。


「えへへ、ありがと。おーまさん」


『っ! ……気にするな。キヨカの苦労を労うには足らぬとは思うがな』


 キヨカが煉獄から出てきたとき、シスコたちはまだ煉獄の中にいた。まだまだ攻略は半分程度。何度も死に戻りを繰り返していたりする。

 完全に黒龍のえこひいきである。


「みんなもはやくでてこられるといいねー」


 キヨカは間延びした調子でほほ笑んだ。

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