第32話

 それから一週間、いぶりーは何の成果も得られぬままぼんやりと小川の流れを眺めて過ごしていた。何でできないのか、とか、何がいけないのかとか、そんなことはとうに考えつくしていて、オーラの感覚をシスコやごろーに聞くのはプライドが許さないからキヨカに聞くのだが、キヨカは感覚派過ぎて参考にならない。


 そんないぶりーの一日の楽しみといえば、日暮れ前にみんなで入る温泉である。

 火山島にもともと来たのは温泉が目当てだったので、黒龍が温泉の位置を教えてくれたのは三人にとって幸運なことだった。場所は拠点である洞窟からみて火山を挟んだ裏側の麓にある。岩場に囲まれた場所で、黒龍が教えてくれなかったら三人が見つけるのはきっと困難だっただろう。


「っあ“~、生き返りますわ~」


 少し熱めの湯につかりながらいぶりーは歓声を上げる。その仕草はお嬢様、というよりもくたびれたオッサンである。しかたないね。


「だな~、これで景色もよけりゃ最高なんだけど……」


 シスコはいぶりーの近くに腰を下ろすとパシャリと手で掬ったお湯で顔を洗う。


「みんな一緒だと楽しいよー」


 間延びした感じで言うのはキヨカである。いつも笑顔で本当に優しい良い子である。胸のあたりにはごろーを抱えて腰辺りまで湯につかっている。

 ごろーはといえば、キヨカの胸に頭を預け、完全に緩みきっていた。脳内もいろんな意味で蕩け切っている。


 やべー、生、生の感触が後頭部に、やべー! とかそんな感想である。


 中身はただのオッサンであるから仕方ない。誰かにお巡りさんを呼んでほしいところである。シスコは風呂に入った初日にGMコールをするか真剣に悩んでいたが、見た目がアレだしいやらしさもない。キヨカも嫌がってないしまぁいいか、と思いとどまった経緯がある。

 そんなごろーは、風呂のときに限ってはキヨカに甘えっぱなしで、もはやどっちがオトナかわからないレベルで行動が幼児化している。

 ただ、オッサンの体のときに沸き上がっていた劣情なる感覚がなく、只ひたすらお姉さんに甘えたい、とかそんな感覚にしかならないのだ。とはいえ、見て楽しんだりしているから、いろいろアウトなのは間違いない。


 ともかくとして、いぶりーである。


 いぶりーはその日とても疲れていた。

見かねたシスコから「異能を発動し続ける間もオーラだけを感じ取ることができるよ」というアドバイスを一方的にもらっていて、それに従うのが癪だったけど、仕方ありませんわね、といってなんだかんだで試してみたのだ。


 その日は異能を発動させまくったせいでいぶりーは湯につかりながら船をこぎ始めていた。いぶりー自身も異能を朝から晩まで使い続けた経験なんてないのだ。というか、どんなプレイヤーであっても日中にぶっ続けで使い続けることはまずない。

 その日は久々によく眠れそうですわ、なんて考えつつ、いぶりーは温泉につかったままいつの間にか意識を手放していた。


 微かな物音と僅かな光の変化を感じ取り、いぶりーは目を覚ます。寝ぼけ眼のぼやけた視界でも太陽が顔を出し周囲を薄っすらと照らしだすのが見えるし、シスコだろう、朝食の用意をしているような、そんな音もぼやけて耳に入ってくる。


 虚ろな感覚のままぼんやりしていると、体を何か温かいような、柔らかいような、不思議な感覚が包み込んでいるのを感じる。なんだろうか、意識を向けてみれば、それは流れのような何かで、身体のそこかしこを不規則に対流しているように感じる。

涼し気な心地よさ、迸るような熱、凪のような静けさ、そんなすべてをないまぜにしたような感覚を得たとき、それが生体エネルギーなのではないか、とはっきりしない思考の中で考える。


 半身を起こして周囲を見回せば、薄明りの向こう側でシスコがぼんやりとした輝きに包まれて何かしているのが見えて、心地よい暖かさを覚えて傍の寝床にやれば、柔らかな光に包まれたキヨカと、キヨカに抱き着いて眠るごろーの姿が目に入った。

 不思議な感覚に包まれたまま、ふと気になる匂いのようなものを感じで洞窟の入り口の方を見やれば、激しい輝きに包まれた神秘的な存在が視界に入る。虹の輝きの塊のようなそれは、意識を集中すると虹の輝きの向こうに穏やかな空気のまま洞穴内を覗き込む黒龍の姿があった。


 いつもの光景だ。


 そして、自身の体を見下ろせば、毛布にくるまれた半身と、無意識のまま開かれた手のひらが奇妙な光のようなものを纏って膝の上に置かれていた。


 だんだんと意識が覚醒してきても、その輝きは失せることはなく、ただ目に、思考に、感覚に馴染んできて、元からそれが自身の肉体の中に在ったことを思い出す。


 これが、


「うおおおおおおおおおおお!」


 いぶりーは叫んでいた。


「おおおお! そうだ、これが、そうなんだ!」


 勢いのままに立ち上がり天に手のひらを掲げる。薄明りの中輝いて見えるそれは、まさに生命のエネルギー。エセお嬢様口調を忘れるほどの衝撃。


「やった、やったんだ。オレは手に入れた! この感覚を! この体験を!」


 気が付けば叫んでいた。

 肉体に満ちる充足感。万能感。そのすべてがいぶりーを加速させる。体の中、いや、自身の存在の中心が確かに体に重なるように存在している。それは太陽のようでいて、静かに輝く何か。

 さらに意識を向けるとその周囲をゆっくりと回っているもう一つの存在。自身とは違う何かだ、いぶりーはぼんやり思う。だが、それは心地よくも激しい熱を持ち、嫌悪感のような負の感情を想起させない。ただそこに寄り添うそれは、なんだろうか。疑問と好奇心がもたげた時、自身の中心にある静かな光が形を変えてその熱の塊へと腕を伸ばす。


 そんな光の動きに呼応するように、熱もまた形を変えて腕を伸ばす。二つの光と熱が触れあい混ざり合い、大きな脈動と振動を伴った熱い何かが体の中心からいぶりーの内的世界を覆いつくす。


 感動すら覚えるその衝撃的な体験にいぶりーは閉じかけていた瞳を開いて、


「な、なんだこれなんだこれなんだこれ! スゴイすごい、何かわからんけど凄い。すごいぞ、何が起きた! やばいやばいやばい!」


 熱と振動が治まっても意識を向ければ体内が、自己存在がその熱と光に満たされているのを感じ取れる。


「あははははは、ヤバすぎるだろこれ! あは、あは、あはははははははぁーっ!」


 そう、今、いぶりーは魂の存在を確かに感じ取り新たな段階へと進化を果たしたのだ。


「うるさい」


 不意にやってきた意識外の一撃。いぶりーの視界には、小さな拳が顎を打ちぬく軌道で迫るのが映っただけ。

 気が付けばいぶりーの意識は再び闇に沈んでいた。




「いぶりー起きてよ。朝ごはんだよ」


 シスコは最後まで起きてこないいぶりーの肩をゆする。普段なら、最後に起きてくるのはごろーである。いつもは先にいぶりーとキヨカが起きてくる(キヨカはシスコの手伝いをしてくれたりする)のだが、この日は珍しくいつまで経っても起きてこない。


「ん、ぅんぁ……ふぁっ!」


 いぶりーは勢いよく目を開けて飛び起きる。


「昨日頑張りすぎたんじゃない? 珍しく最後だよ」


「え、ああ、おはようございますですわ。なんだか、一昨年に亡くなったおばあちゃんが川の向こうで手をふっている夢を見ていましたわ」


「そ、そうなんだ」


 何とも返しづらい夢の話である。


「大した話じゃありませんわ。それより朝食ですわね。なんだかいつも以上におなかがすいていますの」


 ゆるゆると寝床から抜け出すと洞窟の入口へと歩いていく。そんないぶりーの後姿を眺めていたシスコは、立ち姿から受ける印象が大きく変わっていることに気が付いた。体外にじんわりとオーラが重なり、そして、その密度や質はシスコ自身やごろー、キヨカともまた異なる。どちらかといえば黒龍寄りの感じがしたのだ。


 焚火の周りにいつも通り、丸太を椅子代わりに腰掛けて朝食の串焼き魚を一人一尾づつ手にして、


「いただきます」


 合掌は出来ないので串を手に持ったまま唱和する。シスコは隣でいつもよりおとなしい感じのいぶりーを横目に見る。

 魚にかじりつこうと口を開けたいぶりーが、「あが? 何だか顎の調子が……」ぼやいている。


 近くで見るとやはり、オーラを自覚してある程度の制御下に置いているように見える。ただ、何かが違うのだ。それに奇妙なことといえば、いぶりーの性格なら絶対にオーラのコントロールができるようになれば自慢はするだろうし、こんなに静かにしているわけがないのだ。


「なんですの? さっきからチラチラこちらを見て。これは私の分ですからあげませんわよ」


 魚をかばうようにしてシスコから少し離れる。


「誰も取ったりしないし。というか、いぶりーはオーラの知覚ってできたの?」


「へ? あ、そうですわそうですわ! 見てくださいませこの輝かんばかりのオーラを!」


 いぶりーが立ち上がり見せびらかすように両手を広げてくるりと回る。同時、身体の周りにまとわりついていたオーラがふわりとその範囲を広げる。

 シスコの目にはそれが緋の交じった黄金に見える。


「お、おぉ」


 ごろーの反応は微妙で、


「きれいな色。いぶりお姉ちゃんおめでとー」


 キヨカはニコニコと笑顔である。


『ほぉ、生体エネルギーの制御どころかシステムとの融合までこなしているとは一気に進んだな』


 四人の上から声が降ってくる。ご存じ黒龍リトラである。


「融合、はよくわかりませんが、これくらいできて当然ですわ!」


 さも当然のように言うが、何のことかわかっていないいぶりーである。


「リトラ、融合って何のこと?」


 シスコとしても、その点が自分たちといぶりーとの違いなのだろうという見当くらいつく。


『システム側に存在する核みたいなものがあってな、それを自身の存在に取り込む行為だ。今のお主らはエイリアスシステムという道具を使っているような状態だが、融合とは文字通り自身の肉体の延長として取り込むことだな。そうすることでスムーズな運用が可能になる』


「はぇ~、つまり発動までの妙なラグとかなくなるわけだ」


『それだけではないが、概ねそんな感じだな。因みに注意点だが、一度融合を果たすと能力の編集に特別チケットが必要になるからな。必要なら今のうちに能力を組み替えておくとよいぞ』


 特別チケットとはチュートリアルクリアでもらえる報酬の一つで、異能を組み替える際、通常は異能の核に記録されているデータ(習熟度、戦闘経験等)がリセットされてしまうのだが、これを使えばリセットされないまま組み替えることができる便利なアイテムである。因みに異能の外装に当たる部分の変更はデータリセットの条件には入っていない。あくまでオプションやステータス関連のみである。


「ああ、あれですか。使い道ってあったんですのね」


 大抵のプレイヤーにとって能力の組み換えの際に発生する性能の一時低下など大したペナルティではない。本人たちからすれば。ちょっとクエストに出て帰ってくる頃には以前と変わりないように使えるのだ。

とはいえ、これが、オーラを認識し始めると話は変わってくる。蓄積されるデータの量が爆発的に増えるのだ。例えるならフロッピーディスクで十分賄えていた量が、大容量フラッシュメモリを使用しても足らないくらいの量になってくる。


『当然だ。さて、いぶりーはすでに出来ているようだが、お主らの存在の中心、あー、例えるならば魂といった方が分かりやすいか、……魂に異能の核を取り込ませる。本来ならこれはまだ先の段階なのだが。まぁよい、早いに越したことはない。生体エネルギー、お主らがオーラと呼んでいるそれのコントロールと併せて魂に取り込ませる作業も行っていこう』


 黒龍リトラはそう告げる。因みに、この魂との融合に関してなのだが、本来なら研究所関連のクエストをこなしていった先で、特別な権限を得てからデータベースにアクセスしてようやく手に入れられる情報である。

 ぶっちゃけ普通にプレイしていたら今のシスコたちが手にできる情報ではないのだ。


「おっけー、次の目標はそれね」


 朝食のあと、黒龍リトラの助言を元にそれぞれ異能の構成を調整しつつ修業の準備に取り掛かるのだった。

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