第29話

 清流のせせらぎの音はどこか心地よく涼し気で、些細な悩みも水の流れと共に忘れてしまいそうになる。小鳥のさえずり、穏やかな風のそよぎが加われば、湖面のような穏やかな心のままにあることができるだろう。


 黒き鱗を持つ麒麟は、その見た目から連想されるだけで、実態はこのエリアの支配者である黒龍リトラ、そのものであった。


『まぁ、リトラという名は我の存在の元となったオリジナルの龍に由来しているのだがな』


 とは当の黒龍の言葉である。ボスNPCの言葉としてはあまりにもメタである。


 小川のそば、開けた場所に黒龍は地面に伏せ、それでも高い頭の位置から三人の少女を見下ろしていた。シスコ、ごろー、そしてキヨカである。


「んで、そのリトラさんは迷い込んできたキヨカを保護してたと」


 シスコはなんとも煮え切らない表情で黒龍を見上げる。


『うむ、さすがに実年齢四歳は想定外であったからな。我一人で面倒を見るのにも限度がある。そこで、通常ならここには1パーティーかレイドを組んだ者達1グループしか入れぬが、我の持つ権限で新たなプレイヤーを招いてこの子のことを託そうと考えたのだ。あと我の事はリトラと呼び捨てでよい』


 意外に理性的な奴じゃないか、とシスコとごろーは思った。


「ア、ハイ……、それで俺たちこのクエスト受けられたんだ」


 シスコは成る程、と今の状況が腑に落ちた。


『実際にこれまで何組か来たのだがの、まぁ、実力はそれなりにあっても人格に問題がある輩ばかりでな。キヨカを任せるには相応しくない者ばかり。プレイヤーガチャをするのにも飽きてきて、そろそろやり方を変えようと思っていたところだったのだ。お主らの実力はまぁ、この際目を瞑るとして、人格は特に問題なさそうだしの』


 なんというか、AIの動かすモンスター枠の割になかなか人間臭い奴である。


「えっと、じゃぁ俺たちキヨカを引き取れば後は返してくれるってことでいいの?」


 シスコは、つまりそういうことなのだろう、と一人納得していたし、その言葉を聞いてごろーは目を輝かせる。要は楽ができると思ったのだ。


『いいや、お主らには正面から戦って我を倒してもらう。そうでなければ、キヨカの面倒を見てきた意味がなくなるからの』


 その言葉に、シスコとごろーは顔を引きつらせる。


「でも、これまで俺たちより強い連中が来て、それを倒してきたんだろ? 無理なんじゃ」


 シスコの言葉に同意するようにごろーは激しく頭を縦に振る。


『安心するがいい、そこらへんも考えておる。我を倒せるようになるまできっちり鍛えてやる。見よ』


 黒龍リトラは立ちあがると、近くの崖際にある岩を押しのける。その先は洞窟になっていて、内側はドーム状にきれいにくりぬかれていた。そしてその奥まったところには異能研究所にあるような調整機材が並んでいる。


『特別に用意した施設だ。今日から修業がてらここで寝泊まりするといい』


 よくよく見れば、壁際にはキヨカが使っていると思われるベッドまで置いてある。


「えーっと、はい」


 思わぬところで住環境が手に入ってしまった、シスコは煮え切らない表情で天を見上げるのだった。


「おーまさん、おはなしおわった?」


 シスコの隣でおとなしく座っていたキヨカが声を上げる。キヨカにとっては退屈だったのだろう。すっくと立ちあがると黒龍の足元に寄っていく。


『うむうむ、終わったぞ』


「あそぼー?」


『仕方ないの、ほれ』


 リトラは身をかがめ、キヨカの方に頭を下げる。

 キヨカは嬉しそうに笑みを浮かべて黒龍の頭に乗っかると、抱きかかえるようにして角に掴まる。


『落ちるでないぞ、そら』


 黒龍は立ちあがると、駆けるようにして空に飛びあがり、ものすごい速さで火山の上空まで飛翔する。


「……マジであれと戦うの?」


「ぜつぼうてき」


 シスコとごろーは徐々に遠ざかるキヨカの笑い声を聞きながら肩を落とすのだった。


 暫く呆然としていたシスコたちだが、


「そうだ、いぶりーの奴にも伝えないと」


 シスコは疲れを滲ませた声で呟くと近くの小川に沿って下流へと歩いていく。曲がりくねる小川を少し下れば、足元には丸みを帯びた大小の石や岩がごろごろと敷き詰められた場所に出る。

そんな岩場の中、木の枝を加工して作った物干し竿にかけられた赤いゴスロリドレスが風に揺られてたなびいているのが見えてくる。その下ではぱちぱちと乾いた音を立てながら焚火が炎をくゆらせる。その向こう側、炎に背を向けるように丸岩に座っている小柄な背中がある。


 語るまでもないことだが、いぶりーである。まるで表情が抜け落ちたように能面のまま川の水面を眺めている。


 シスコが声を掛けようとするのを制するように、


「わたくしを笑いに来たんでしょう」


 沈痛な声がいぶりーより発される。


「別に、笑ったりしないよ」


 さすがになんと声を掛ければいいのかわからずシスコは視線を彷徨わせる。と、彼女(彼)の目に留まったのは、いぶりーの腰掛ける岩の隣にある丸っこい石、その上にちょこんと広げて載せてある真っ白な三角形。赤いリボンのワンポイントが実にアバターの外見相応である。

 よく見れば、いぶりーはノーパンである。肌が白いので脱いでいても遠目からだといまいちわかりづらいのだ。


「気絶した挙句お漏らしなんて、一生の不覚ですわ」


 いぶりーは悔しそうに言った。言ったのだが、


(敢えて触れないようにしてたのに、自分から言うのか……)


 少しばかりシスコは困惑したが、本人がこの調子なら大丈夫だろう、と割り切ることにした。


「大丈夫だって、漏らしたところで外見相応に子供らしい出来事だと思えばさ」


 子供らしい、という割には少し育っているが、そこは見方次第だろう。中の人がリアルでやったら社会的に死ねるのは間違いない。何よりもアバターと違って可愛げがない。


「なんですって、私を子供!? レディー、と言ってほしいですわね!」


「あ、そこ怒るところなんだ」


「少なくとも子供ではありませんわ! というか、人が落ち込んでいるのに軽口とか普通は言いませんわよね!?」


「うん、なんか大丈夫だってことだけは分かった」


「なんですって!」


 まず、本当にヤバい状態ならお嬢様キャラなんか演じない。そこに気が付かないいぶりーであった。


「しすこ」


 ごろーはシスコのシャツの端を引っ張る。そこでシスコはようやく思い出す。


「あ、そうだった。そんなことより大変なんだよ」


「そんなこと!? 人が傷ついて落ち込んでるのをそんなこと呼ばわりですの!?」


「それはそれで大変だろうけど、じゃなくて、このクエストクリアできる可能性が出てきたんだよ」


 シスコは先ほど黒龍リトラと交わした会話の事をいぶりーにも説明する。


「……つまり、どちらにせよあの黒龍を倒さなくてはならないわけですわね。って、それ最初っから条件変わってませんわよ!」


 いぶりーはがっくりと肩を落とす。


「まぁまぁ、倒せるようになるまで鍛えてくれるっていうし、いいじゃん」


「仕方ありませんわね、死にたくはありませんし」


 いぶりーはため息を漏らして立ち上がると脇に干してあったパンツをはいてから、


「お二人とも、足を引っ張らないでくださいませ」


 二人に対して強く言うのだった。




 三人が黒龍の用意した洞窟に戻ると、まだ黒龍とキヨカは帰っていないようで辺りは静かで時折森の方から鳥や何か獣の鳴き声が響いてくる。近くに何かいる、というような気配はないものの三人は結構緊張感を覚えていた。


「とりあえず、中に入ってみる?」


「そ、そうですわね。何があるか気になりますわ」


「ん」


 取り残されたかのような急速に沸き上がる不安感を誤魔化すように三人は洞窟の中に入ってゆく。

 洞窟内は磨き上げられていて、綺麗なドーム状になっており、天井には淡く光を放つ鉱石が埋め込まれていてそれなりに明るい。


「あら、作業台と調整機材もそろっていますわね」


 ドームの中央には異能の設定を変更したり、カスタムするための専用設備が設置してあって、その奥には素材加工用の工具と作業台が揃っている。使われた形跡がないのは、キヨカがそれらをどういうものか理解してなかったからだろう。そもそも四歳児にそれができるとは到底思えない。


「自由に使ってもいいみたいなんだけど、こういうの普通はフィールドにないよなぁ……」


 シスコは唸って機材を見渡すのだった。




 黒龍とキヨカが戻ってきたのは日が沈みかけたころだった。いつの間にか曇り空から茜色に代わり、遠くには海鳥たちだろうか、群れを成して飛ぶ姿も見える。


 その日の晩は、黒龍の用意した巨大な鶏肉を串焼きにして食べ、明日からの修業に備えることになった。キヨカは久々に大人数でとる食事が嬉しいようではしゃいでいたが、途中で糸が切れたようにスヤスヤと眠ってしまった。


「こういうの見ると子供なんだなって思うよ」


 シスコはいぶりーと協力してキヨカを寝床まで運ぶ。それから焚火のところまで戻ってから、黒龍を見上げる。


「んで、俺たちは具体的にどうすればいいんだ?」


「そもそもこのゲームに修業とか意味ありますの?」


「ん」


 三人が疑うのも仕方がないことで、このゲームで強くなるといえば、単純に異能の構成を強いものに入れ替えていくことだと知られている。例えば、素体を構成する素材をより補正値の高いものに入れ替えていったり、武装をより強力なものにする、或いはステータスに割り振っているポイントを見直してバランス調整したりとかである。


『もちろんある。お主らが考えているやり方はおおよそ想像の付くものだが、それではシステムをただ使っているだけであって、効果は頭打ちだ。我が鍛える最終到達点は、そうだな、主らが異能と一体となり、手足のように、呼吸をするかの如く能力を使えるようになるまで、……というと少し解りづらいか』


 そうだな、と黒龍は目を閉じ、それから一呼吸おいてから、


『単独で我と渡り合えるくらいには強くしてやろう。三人が束になれば間違いなく我を打倒できる』


 そう言って三人を見下ろす。

黒龍は言葉にしなかったが、そもそも能力を極めたプレイヤーが八龍相手に挑むとして、勝機を見出していてもそれを無傷で撃破するのは非常に難しい。下手をすれば三人のうち一人か二人は死ぬかもしれない。


 だが、今は彼らを尻込みさせる言葉は必要ないのだ。

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