第27話

「えっと、つまりアナタのプレイヤーネームが『お姉ちゃん』ですのね」


 浜辺の流木に腰掛ける二人の少女の姿があった。一人は金髪ツインテの赤ゴスの少女で、名をいぶりー。もう一人は、亜麻色の髪のブレザー制服を着た少女で、自身の名前、プレイヤーネームをお姉ちゃんと名乗った。


「うん、そうだよ。えーっとねー、自己紹介するときはねー、ほんみょー? って名乗っちゃダメなんだよ」


 いぶりーからすれば当たり前のことをこのお姉ちゃんは口にする。

 一体何ですの、この子は、いぶりーの頭の中は実際いい感じに混乱していた。

 混乱の原因はいくつかあるが、このお姉ちゃんが一体何者なのか、という点が一つ。基本的にクエストの最中は他のプレイヤーが乱入することはまずありえない。クエストを受けた際もいつもの三人であり、このような娘は近くにいなかった。加えて今もパーティーメンバーのリストには彼女の名前がない。エクストラクエストにそういった特殊なギミックがないことも一応伝聞であるが知っていたことも大きい。


「そうですのね。それで、ここにはどうして?」


 どうやってここに来た、と言い換えてもいい問いだ。


「んーとね、たんけんしてるんだよ。でも山のあっちは危ないから行ったら怒られちゃうの」


 お姉ちゃんは立ちあがってから振り返り、木々の上に覗いている煙を吐き出し続ける山を指さす。


「ねぇ、お姉ちゃん一人なの? だったら一緒にたんけん行こ」

 

 少女はいぶりーの手を取って立ち上がらせる。


「こっちだよ」


 少女はそのままいぶりーの手を引いて森の奥へと向かってゆく。


「え、ちょっと、おま、じゃねぇ……待ちなさい、ですわ」


 いぶりーは手を払おうとするが、何ともうまく離れない。抵抗むなしくズンズンと森の中を進んでいく。

 最初は日も差していたが、木々の枝葉によって徐々に薄暗くなってゆく。


「えっとねー、ここから向こうに行くとねーわんわんがねーいっぱいいるんだよ」


 時折少女は足を止めてどこかを指さす。


「でも、あっちはなわばり? っていうのがあるから行ったら危ないんだって」


「そ、そうですのね」


「あっちはねー鳥さんがいるの」


 と、今度は別の方を指さす。


「でも、鳥さんの方に行くとすぐにおーまさんが来て怒られちゃうから行けないんだー」


 少女は残念そうに言う。


「はぁ、アナタ一人じゃありませんのね」


「そうだよ、おーまさんと一緒」


 少女はえへへ、と楽しそうに笑う。


「そのオーマさんは今、近くにいるんですの?」


「んーん、お客さんが来たらからって出かけちゃった。それでぼく出歩くなっていわれてて……あっ」


 少女はしまった、といった風に口を押える。


「どうしよ、おこられる?」


 少女は心配そうにいぶりーを見て、顔を曇らせる。


「大丈夫ですわよ、何ならわたくしも一緒に行って頭を下げますわ」


「ほんと? ありがとー。じゃぁ、わんわん見たら帰るね」


 少女は嬉しそうに笑みを浮かべるのだった。

 その目的は変わらないのか、といぶりーは苦笑しつつ、


「お付き合いしますわよ」


 いぶりーは、目の前の少女の中身が見た目と違って少し幼いのだと感じ取って、自分が一時的とはいえ保護者役を買って出る気になっていた。

 少女に手を引かれて歩くいぶりーは、まさに保護されている子供そのものであるが、ここでそれを指摘するものはいない。



 鼻歌交じりで道なき道を進む少女に、いぶりーもなんとなく近所の公園を散歩している気になってしまっていた。

 完全に油断していたのだ。

 だから、急に目の前の茂み、その少し先からガサガサと木々をかき分けるような音を聞いても別に警戒なんてしていなかった。


「なんだろー、わんわんかなぁ?」


 少女は首を傾げ、


「きっと鹿か何かですわよ」


 いぶりーは自分の予想を口にする。

 そんな二人の目の前の茂みから飛び出してきたのはいぶりーの見知った顔である。


「あら、二人とも走ってどうしましたの?」


 まるで街角で親しい友人に出会ったかのような調子でいぶりーは小さく手を上げる。よくよく見れば、二人はあちこちに切り傷を負っているし、衣服にはところどころ血の飛沫が散っている。どう見たって尋常ではない。


「ばっか、何で森に入って来てんの!? いいから浜辺に逃げるんだよ!」


「ん!」


 足を緩めることなく二人のそばを通り過ぎてゆき、直後、目の前の茂みから巨大な狼がものすごい勢いで飛び出してくる。


「あ! わんわんだー」


 亜麻色の髪の少女は嬉しそうに向かい来る狼を指さす。


「へ、ちょ、え? 聞いてませんわよ!」


「わんわんおっきー」


 隣では少女が呑気にそんなことを言っているが、いぶりーは背筋が凍る思いである。


「見てる場合じゃありませんわ! 逃げますわよ!」


 慌てて少女の手を掴んで踵を返す。

 あんな魔獣が出てくるのは完全に予想外である。急いで走りだすが、すでにシスコとごろーの二人の背中は小さくなっている。


「まずいですわまずいですわ!」


 必死に走るが、いぶりーの足は遅い。手を引かれて走る少女の方は結構余裕そうに時折後ろを振り返ると楽しそうに狼に向かって手を振ったりしている。


「こうなったら背に腹は代えられませんわ」


 いぶりーは忌々し気に肩越しに巨狼を睨むと、異能像を展開する。そして、巨狼の進路上の倒木に火を放つ。


「あ、森に火をつけたらだめだよ。おーまさん言ってたもん」


 生き残るために仕方なくやったとはいえ、それを窘められる。


「言ってる場合ではありませんわ!」


 いぶりーは目につくものにとにかく火をつける。が、それを巨狼が通り過ぎる際に逐一踏み消してゆく。どうやら巨狼にとっての狩場である森を燃やされるのは面白くないらしい。忌々し気にいぶりーを睨み、喉の奥で唸る。


「奴のペースが落ちましたわね、この調子でジャンジャン燃やしますわよ!」


 仕方ないと言っていた割に、火をつけるのはやっぱり楽しいらしい、だんだんと火をつける対象がいい加減になってきている。


 そんないぶりーを先行するごろーがちらりと振り返る。巨狼との距離も知りたかったのもあるだろう。

 一瞬だけ追って逃げる二人を見て顔を正面に戻すが、ごろーはあることに気が付いてもう一度振り返る。振り返ってしまった。


「こ、これは……」


 ごろーの目が大きく見開かれたその先には、亜麻色の髪の少女の姿があった。走るのに合わせてたわわな果実が揺れる。暴れん坊である。思わずごろーは見入ってしまう。完全なよそ見である。

 ごろーのアバターは見た目少女であっても中身はオッサ……、いい年をした大人である。色々仕方がないのだ。仕方がないとはいえ、危機的状況なのにこれはもうあんまりである。


「へぶっ」


 土から露出した木の根に足を取られてこけるのは当然である。わき見運転ダメ絶対。


「ごろー!?」


 少し先を走るシスコが慌てて足を止めて振り返り、ごろーに駆け寄る。

 その頃には、もういぶりー達がすぐそばまで来ている。


「大丈夫かごろー! 立てるか?」


 シスコは膝をついてごろーを抱き起す。


「くいはない……」


 ごろーは口元に笑みを浮かべ、サムズアップ。

 そんな二人のそばをいぶりーと亜麻色の髪の少女が駆け抜ける。


「何やってますの、死にますわよ!」


 足を止める様子もない。

 いぶりーはせめてもの足止めにシスコたちの前に炎の壁を作ろうと振り返り、異能を発動しようとして、


「へぁ?」


 間抜けな声を上げる。

 黒い影がごろーとシスコの上を、さらにはいぶりー達の上をも飛び越えて、退路の先に降り立った。


「な、反則ですわよ! というか、何でこっちに来てますの!」


 いぶりーは歯噛みしながら進路の先に陣取って、憎々し気に睨んでくる巨狼に吠える。


 基本的に魔獣は頭がいい。本能にばかり支配されるわけではなく、知能が高い上に、縄張りの環境にも配慮する思慮の深さがある。

 そんな巨狼が優先的に攻撃しようとする相手といえば、先ほどから森に火を付けてまわるいぶりーになるのは当然である。すでに巨狼の中ではシスコ、ごろーよりも、森を燃やそうとするいぶりーの方に憎悪と怒りが向いているのだ。


「ちょちょ、ちょっと、私を狙ってもいいことありませんわよ!」


 いぶりーはさっと亜麻色の髪の少女の後ろに隠れる。くそ野郎である。


「わんわん、おこってるの?」


 お姉ちゃんは顔を上げてじっと巨狼の瞳を覗き込む。そんなことをしたところで巨狼が止まるわけがない。


 低い唸り声をあげ、巨狼は地を蹴る。大きく開かれた咢はたやすく二人まとめて噛み千切るだろう。


「ひぃっ!」


 いぶりーは少女の腰に抱き着いて、身を固くする。

 それと同時か少し早いタイミング、シスコは地面を蹴る。

 異能像とシンクロし、人間をはるかに超える膂力が地面を大きく抉り、肉体を一瞬にして加速させ巨狼への間合いを詰める。

 とはいえ、いくら何でも距離がありすぎた。二人を救うには一歩、いや二歩分間に合わない。


「頭下げて!」


 その手にはいつのまにか、ウォーハンマーが握られていて、大上段から巨狼の鼻先へとむけて振り下ろされる。

 鈍い、水の入った革袋が叩きつけられるような音がしたのち、巨狼は転がるようにして大きく引き退る。痛みに鳴き声を上げなかったのはある種、プライドのようなものが狼にもあったからだろうか。


 巨狼は自身の鼻からとめどなく血があふれるのを無視して、憎々し気にいぶりーを睨むと、茂みの中へと姿を消した。


「な、何とか追い返せた、かな……」


 シスコは、大きく息を吐くとその場にへたり込む。

 周囲にあった小さな気配もボスが逃げ出したことで感じられなくなっていた。


「大丈夫?」


 亜麻色の髪の少女、お姉ちゃんはいぶりーの頭をなでながら顔を覗き込む。


「へ? あれ、狼は……?」


「何とか追い払えたよ」


 緊張をほぐすように、深呼吸してシスコはいぶりーの方へと向き直る。

 ごろーも立ち上がって、


「びっくりした」


 本当に驚いていたのか分からないくらいいつもの調子で歩いてくる。


「ふふん、倒すために策を用意していたのに無駄になってしまいましたわね」


 いぶりーはしたり顔で言うが、その手はまだお姉ちゃんのスカートの端を握ったままである。


「お、おう。そうだな」


 シスコとごろーからすれば、何言ってんだコイツ状態である。


「で、その人は?」


 シスコはいぶりーと一緒に現れた亜麻色の髪の少女を見上げる。


「えーと、この方はですね……」


「はじめまして、お姉ちゃんっていいます」


 シスコに向かって丁寧にお辞儀をする。


「お姉ちゃん? あぁ……えーっと、うん、おれはシスコ。よろしく」


 シスコもつられて頭を下げてしまう。


「ごろー」


 ごろーはとてとてとシスコの隣に並んで小さく手を上げる。


「シスコお姉ちゃんとごろーお姉ちゃん。よろしくね」


 お姉ちゃんはえへへ、と笑みを浮かべる。


「えーと、それで何者?」


 シスコの問いは当然のものである。このゲーム、クエストの際はパーティーごとにフィールドは分かれているし、一度クエストが開始されると途中で別のプレイヤーが参加することはない。

 これはシステム上覆らない仕様なのである。


「お姉ちゃんだよ?」


「名前じゃなくて、プレイヤーなのかどうか、ということですわ」


 いぶりーの補足を聞いてもピンとこない様子で、お姉ちゃんは首を傾げている。


「あ、前におーまさんがプレイヤーって言ってたよ」


「お、そうなのか……」


 実に要領を得ないやり取りである。


「とりあえず、そのオーマさんに会うのがいいと思いますわ」


「他にもプレイヤー居るんだな。エクストラだとこういうイレギュラーも起こるのかね」


 なんにせよ、他にもプレイヤーが居るのなら話をしてみるのもいいいだろう、シスコたちはそう結論付けて、お姉ちゃんの案内のもとオーマなる人物のもとへ向かうことに決めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る