第26話

 緑の濃い山の中、獣道を歩く二人の小柄な少女の姿があった。


「なぁ、ごろー。こっち来てよかったの?」


 シスコは振り返りつつとてとてと後を着いてくるごろーを見る。


「ん、いぶりーならだいじょーぶ」


 きっと一人で何とかするだろうと考えていた。既にシスコといぶりーの会話から中身はもう成人しているだろうというアタリもついている。三人の中で一番若いのはシスコだろうということも。


「そっか。にしても……」


 シスコは足を止めて視線を上げ木々を見上げる。

 まるで蓋をするように頭上には立派に育った枝葉が生い茂っており、樹木の高さも相まってまるで巨人の世界にでも迷い込んだかのような錯覚を覚える。

 二人が歩く獣道のある鬱蒼とした茂みが下草だと言われても納得してしまいそうになるのだ。


 そんなシスコの視線の先、巨樹の幹には2メートルくらいの高さの位置に獣の爪痕が付けられていて、爪痕の主の縄張りであることを示していた。


「あの位置ってことは熊とかみたいな奴じゃなかったらかなりでかいよなー。早いとこ山頂目指そっか。温泉は山の上から探すってことで」


「ん」


 二人が歩みを再開しようとしたとき、背後でガサリと枝葉の揺れる音が聞こえる。


「……ごろー」


「ん」


 二人はそれとなく、いつでも能力を発動できるように神経を研ぎ澄ませてゆく。

 シスコは一瞬振り返ることも考えたが、それで背後にいるであろう何かを刺激して無用な戦闘を行うのはこの場では避けたいと結論付けた。

一瞬でも視界に入れられたなら距離と数をある程度把握することはできる。が、ここで振り返ることは悪手だと勘も告げている。

 何が刺激となってこの島の主を引き寄せてしまうのかも分からないし、そもそも、この島に生息している魔獣の類がどれくらいの強さを持っているのかも見当が付かなかった。上位に届く程度の強さで、それが一体だけならごろーと二人、協力すれば何とかなっただろう。

 だが、先ほどの音の主は最初のほんの少しだけ音を立てたものの、それ以降何の気配も掴ませない。

 こんな時に群体型の異能像エイリアスを使えるメンバーがいれば、周囲の索敵を頼めたのだが、それは今とれる手段ではない。


(一応、戦闘になったら手札もあるけど……)


 でも、とシスコは隣を歩くごろーを見る。継戦能力の低いごろーとの連携を考えるとあまり良い手とも思えないのだ。


「ごろー、戦闘はできるだけ回避する方向でいこう」


 ごろーは少しだけ目を見開いて、それから静かに頷いた。


 森の中、不気味なほど静かで、二人が枝葉を踏み鳴らす音だけが聞こえてくる。ただ、シスコの勘は先ほどから五月蠅いほどに何かに狙われていると警鐘を鳴らし続けて止まることはない。

 いくらも歩かないうちに、「何かに見られている」感覚はより一層強くなっていく。

 一つや二つではない。


 いくつもの視線が、それこそ二人を取り囲むようにして……。


 葉の掠れる音が聞こえたか、聞こえないかのわずかな瞬間、シスコの足が燐光を纏い自然と動き、ごろーの頭上より降り来る何かを蹴り飛ばす。


 蹴り飛ばされ地面を転がるのは、体高1mほどもある四つ足の獣。


「ごろー、大丈夫?」


 それは、当たり所が悪かったのか、首をあらぬ方向へ向け地面へ転がっている。口から血を垂れ流して体を痙攣させているところを見ると、もはや絶命は免れないだろう。


「ん、もんだいない」


 ごろーは、地面に転がる死にかけの狼を見下ろしながらいつも通りの声音で応える。不意打ちに対して完全に対応できていなかったごろーとしては、内心焦りまくっていて、徐々に高まっていく心臓の鼓動を感じていた。


「はぁ、この辺りは狼の魔獣かぁ。直前まで気配が薄いとか……」


 口にして、シスコははたと言葉を止める。狼は基本群れで行動するのはこの世界でも共通している。倒れた狼の前足の爪の並びを見れば、先ほどの爪痕はおそらく群れのボスだろう。と、するなら単独で人を襲うとは考えずらい。

 舌打ちが漏れそうになるのをこらえ、ぐるりと周囲に見渡す。

 視界がとらえたのは揺れる枝葉、疾駆する獣はもうそこまで来ている。


「ごろー、囲まれてる!」


 シスコの声と同時、茂みから数頭の狼が二人に向けてとびかかる。

 ごろーは、右腕に纏った巨腕で横なぎに狼を薙ぎ払い、シスコはとびかかる狼の横っ面を蹴り飛ばした。


 致命に至らない迎撃を受けた狼はよろよろと立ち上がり二人を逃がさぬように囲んで機を伺っている。


「そこまでやばそうじゃないけど、厄介だなぁ!」


 腰を落とし、拳を構えるシスコの眼は獣のを動きを見逃さぬように見開かれてはいるが、緊張が心を支配している。

 ここには、無条件で信頼のおける師であるファセットもいないし、前衛としてトップクラスのプレイヤーとして数えられる妹のユイもいない。過去に組んだことのあるプレイヤー達とならば、と考えると焦る場面とは言い難いがここにいるパートナーはごろーだ。

 何度も組んできたが、背中を預けられるほど彼、あるいは彼女の底を見たとはいいがたい。


 だから迷う。


「頼むから、気絶だけはしないでくれよ!」


 そして、願うように叫んで、それから……。


 パキャッ、聞こえた音のままに表せばこうなるだろう。向かい来る狼の頭蓋が一瞬にしてひしゃげ、脳髄をまき散らし地に落ちる。


「うおおおおおお!」


 シスコからしたら聞いたことのない雄たけびを上げるごろーは、右腕あたりに顕現させた巨腕を振るって飛び掛かる狼どもを薙ぎ払う。

 まともに当たった魔狼は肉片をまき散らし下草を赤く染めていく。


 強烈な一振りであったが、ごろーはそれだけで肩で大きく息をする。限界ではない。だが、その拳を振るうことができるのはあと一回、いや二回ほどか、限界は目と鼻の先に迫っている。

 自身の異能の構成に歯噛みしつつ、ごろーは狼の群れに拳を向ける。


「っがああああ」


 獣じみた咆哮が深森に響き渡る。狼がその声で怖気づくかといえばそうではない。波のように茂みの奥から新たな狼が現れ二人を襲う。




 そんな二人を、遠く、深き森の奥より見つめるものがあった。黒き鱗に鎧われた巌の如き体躯はじっと微動だにせず、金色の瞳で静かに二人の動向を見つめていた。

 その瞳には獲物の価値を見定めるかのような知性の光があった。




 同時刻、浜辺に横たわる流木に腰掛けるいぶりーは物憂げに海岸線を眺めてはため息を漏らしていた。


「まったく、わたくし一人を置いていくなんて信じられませんわ!」


 プレイヤー各人に与えられたスマホ型の携帯端末を手に掲示板を流し読みしながら愚痴をこぼす。


「大体、ああいうときは一緒に行こうって誘うものじゃありませんの!?」


 盛大な独り言である。言っていることは正しいといぶりーは思っているが、そもそも偵察に最後まで反対していたのはいぶりーの方である。

 というか、独り言でもエセお嬢様口調になる当たり重症である。


「あーもう、掲示板も更新できないですし、退屈ですわね!」


 端末を乱暴にポシェットに突っ込むと服が皺になるのもかまわず流木の上にあおむけに寝転がる。クエスト中は外部との連絡手段が制限されていて、掲示板への書き込み、フレンドチャット、メール、通話を使うことができないのだ。


 空でも眺めて気分を落ち着けようと考えての行動だったが、視界に入るのは雲一つない青空、と思いきや、


「こんにちは!」


 亜麻色の髪をしたのほほんと微笑みを浮かべた少女がいぶりーの顔を覗き込んできた。


「へ? え? あの、だ、誰ですの?」


 楽しそうに笑みを浮かべる少女は、


「えへへ、はじめまして。ボクは、えーっと、お姉ちゃんって言います」


「はい?」


 どうにも間抜けな声がいぶりーの口からこぼれた。

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