第25話

 架空都市レイデン。この都市はゲーム内に存在する未来的な積層都市で、複雑な構造を持ち、最上位と分類されるクエストから舞台となる。

 そんな都市の一画にあるショッピングモールにて、


「なーんか楽しそうにしてるけど、石鹸そんなに買ってどうするのよ」


 あきれ顔で尋ねるダークブラウンの艶やかな髪を肩口で切りそろえた女性、ヒイラギは隣を歩く女性、ユイが手にした紙袋を覗き込む。そこにはハンドメイドの、透明な宝石のように色鮮やかな石鹸が包装されていくつも入っている。


「今度会ったら渡そうと思って。ほらシスコちゃん、お風呂に入れてないみたいだし」


「ああ~、だからかぁ。っていうか、もう一つの方はパジャマでしょ、サイズ合わないの買ってるからおかしいと思ったのよ」


「た、たまにはウチに泊まっていってもいいんじゃないかなって、ね。それにしてもファセットはシスコの師匠を名乗るんだったらもうちょっと面倒を見てあげてもいいと思うんだけど!」


 ユイは少しばかり御立腹な様子である。


「もう、そこまで言うんなら、次に会ったときにクランに誘ってみれば? 今は枠も余ってるし、いくら人見知りだからってそのうち慣れるでしょ」


「そう、だよね。次こそはちゃんと誘うよ。シスコちゃん喜んでくれるかな?」


 ユイはプレゼント用にラッピングされたパジャマと、宝石のような石鹸の入った紙袋をだらしない笑顔を浮かべたまま抱きしめ、そんな楽しそうな友人の様子にヒイラギは困ったような笑みを浮かべるのだった。




 そこは薄曇りの曇天で、吹き付ける風は生臭く、時折硫黄の臭いも運んでくる。

 青々としている浜辺の植物は日の光が薄いせいか陰鬱で、茂みの奥は化け物が潜んでいるような、不気味な印象を受ける。


 時折、風に乗って鳥や動物の鳴き声が聞こえてくるが、それもまた一層不気味さに拍車をかける。


「な、なんですの、ここは……。もうちょっとリゾートっぽさを前面に押し出してくれてもいいと思うのですわ」


 立木の奥に見える灰色の岩肌をむき出しにした山を見上げていぶりーは気弱な声を上げる。


「晴れたらきっと見晴らしいいって、とりあえず温泉探しに行こうぜ」


 対して能天気なのはシスコである。少し前にユイから受けた忠告は、貸してもらったお風呂とユイに髪を梳いてもらった記憶の前にきれいさっぱり洗い流されていた。


 そんな中、この場の誰よりも危機感を持つ人物がいた。

 ごろーである。

 見知らぬプレイヤー同士の会話を盗み聞きしただけなのだが、それでも現状三人の中では一番この状況の危うさを理解しているのだ。


「ふたりともまつ。これ」


 ごろーは手にした端末に表示されたクエスト情報を二人に見せる。

 そこには難易度の表示されていない『真・黒星』のタイトルと討伐対象である『黒龍リトラ』の名前があった。


「あら、変わったクエストですわねぇ。へぇ、黒龍のリトラってネームドですのね。珍し、い? ……はぁ!? まって、まった、なんで難易度表記がないんですの!? 難易度がないってエクストラ? ……おい! シスコ、どうなってんだ! 説明しやがれ!」


 有無を言わさぬ勢いでシスコの襟首を掴むいぶりーは、唾をまき散らしながら声を荒げる。


「え? 説明ってよくわからないけど、とりま難易度表記ないってことは楽だろうな、と。報酬もクラン設立分にピッタリだったし温泉もあるって情報出てたから一石二鳥だろ。逃す手はないよ」


 見た目が少女だろうが、大抵の人間をビビらせるであろう剣幕のいぶりーに対してシスコは通常営業である。

 シスコはこれでも(妹絡みで)修羅場には非常に慣れている。多対一の喧嘩はもちろん、十代の頃は自分の倍以上の年齢の大人とも遣り合ってきた経験があるのだ。(主に妹絡みでシスコが暴走して事件を起こしたともいう)


 そんなシスコの反応を前にいぶりーは力なくシスコから手を離すと、口を開け、盛大な溜息と共に大きく肩を落とす。


「ごろー、説明」


「ん。なんいどないくえすと、とくべつ。いちばんむつかしい」


 ごろーは頑張ってしゃべった。思い描いた言葉とは違う言葉遣いになることが多いごろーは長文をしゃべるのが苦手だけど、気合で頑張った。心なしか満足げな顔でシスコを見上げる。


「……えーっと?」


言葉に詰まるシスコ、脳裏にはお風呂に入る前にユイと交わした約束の事を思い出していた。お風呂の後にいろいろ楽しい時間があったためどうしても思い出の中でも後回しにされていたのだ。

 本人的には不可抗力。


「ごめんなさい」


 でも、一応頭は下げておこう、と頭を下げる。見てくれだけは腰を直角に曲げた潔い謝罪である。が、本心は、二人への申し訳なさや謝罪よりも妹との約束を守れなかったという慚愧の念で満ちている。


「お、おぅ。 こうも素直に頭を下げられちゃぁ、これ以上俺たちもなんもいえねーっつーか。まぁ、お互いミスだってするわけだし……」


「ん?」


 あまりに力のこもっていない喋り方にごろー、いぶかし気にいぶりーを見上げるが、いぶりーは虚無だった。なんか色々諦めた感じだ。因みに、ショックのあまり口調がリアルの方のしゃべり方になっていることに対しては特に何も感じていなかった。


「おっけー、じゃぁどうする? その黒龍とかち合わなければ何とかなるし、とりあえず温泉でも探す? あーでも、おれ腹減っててさぁ、先に何か食べたいんだけどいいかな?」


 頭を上げたシスコの顔からは反省の文字は消え失せていた。

 その時、ごろーは確かに何かが切れる音を聞いた。





「あ、あのぉ……」


 震える手を小さく上げて、シスコは自身を見下ろす形のいぶりーを見上げる。


「なんですの?」


 いぶりー、時間も経って心に余裕が戻ってきたらしい。口調がなんちゃってお嬢様である。


「そろそろ立ってもいいかな?」


「ダメですわ! まったく、反省の色が見えませんわよ。 だいたいあなたは毎度毎度難易度の高いクエストを受けて、こんなことだから今日みたいなことになるのですわ!」


 現在、三人はスタート地点から動くこともなくひたすらにいぶりーがシスコに説教をかましていた。


「まーた始まったよ」


「しすこ、め!」


「ごろーまで……でも、内容ループするの3回目なんだけど?」


「だから、め!」


 余計なことを言えばいぶりーの説教に熱が入る。ごろーが窘めるのはつまるところ、説教なんかさっさと終わらせてゆっくりしたいのだ。

 なにせ、


「聞き捨てなりませんわね! シスコッ! 反省が足りませんわよ」


 また最初から説教が始まるのだ。

 そんな状況にごろーは頭を抱える。どうしたらこの面倒臭い空間から解放されるのか、と。


 結局、説教は日が沈む直前まで行われた。三人が気が付いた時には日が落ちかけていて、慌ててそこらで手に入れた枯れ枝を使って浜辺で焚火を用意する羽目になったのだ。


「まったく、こんな場所で夜を明かすなんて、冗談じゃありませんわ!」


 いぶりーは文句を言いつつも、近場で手に入れた海魚の塩焼きにかぶりつく。いぶりーもそうだが、三人は完全にいつもの調子に戻っていた。


「いってもさー、あんなん初見じゃどうしようもないって。それより、明日どうしよっか。一応この辺りには危険な魔獣とかいないし、もしかしたら何とか……」


 シスコの言葉に、


「ならない」


 ごろーの端的な言葉が突き刺さる。


「ですわよねぇ」


 いぶりーは肩を落とした。




 翌朝、


「なんにせよ、黒龍の情報って必要だしちょっと探してみようと思う」


 シスコは起き抜けに二人にそう提案した。

 いぶりーは、


「はぁ? 寝ぼけてますの?」


 半ギレ気味でシスコを睨むが、ごろーとしては死にたくないし最悪このエリアで住環境を整えれば別にデスゲーム解放までのんびりだらだら過ごせればいいや、と思い至ってからは特に文句も言わなかった。

 問題はこのクエストが特殊なせいで、誰かがクエストを受けている際は他のプレイヤーが受注できないという点なのだが、ごろーはそれに気が付いていない。なんならこのクエストがクリアされないとデスゲームも終わらないのだ。


「別にいぶりー達は付いてこなくても大丈夫だよ。ちょろっと見てくるだけだし」


 言いつつ、熾火に薪をくべて昨夜とっておいた魚のあまりを火にかける。


「見てくるだけって……」


「もしかしたら勝てる相手かもしれないじゃん」


「勝てるって、あなた、本気で言ってますの?」


「だからそれを見てくるんだってば。勝てそうになければその時にどうするか決めよう」


 いぶりーとしては、怖いのも痛いのも嫌なのである。大体、中身がいい大人だとしても、人間の常識の範疇外にある大型魔獣なんかは下位に出てくる雑魚ですら気を抜けば恐怖心が沸き上がってくるのだ。

 今は強気なお嬢様的ロールプレイのおかげでやり過ごしているが。


「わ、私はここに残りますわよ!」


 ね、ごろー。とばかりにごろーに視線を送るが、


「ん、いっしょいく」


 ごろーはいつもの調子でシスコの隣に立つ。それを見た瞬間、いぶりーの表情が抜け落ちる。


「何言ってますの? ごろー、お留守番ですわよ? ステイ、ステイですわ!」


 が、ごろーはふるふると頭を横に振ってシスコの方から動こうとしない。


「なんですって裏切るつもりですの!?」


 今度は顔を真っ赤にしてごろーに掴みかかる。実に忙しいヤツである。そして別にいぶりーとごろーは何の協定も結んでいない。思い込みである。


「まぁ、この辺なら近くに大型魔獣の痕跡ないし一人でも大丈夫だって。昼前には戻るし」


「そういう問題ではありませんわ! こんな危険な場所にか弱い乙女一人置いていくとか信じられませんわよ!」


 ぷんすか怒るいぶりーであるが、


「おとめ?」


 その疑問は正しい。


「ごろー、首をかしげない! ともかく現状ただでさえ危険ですのに、さらに危険に身を晒すのは下策ですわ!」


 と、それっぽい主張をして保身を隠そうともしないのは清々しいものだ。が、言っていること自体は間違っていないのが質が悪い。


「って言われても、おれ死にたくないから危険なことする気ないし。とにかく、ちょっと見てくるよ。もしかしたら温泉も見つかるかもしれないし」


 いぶりーの言い分も理解しているが、シスコとしても偵察は自身の本分だ。倒すべき目標である黒龍に見つかるようなヘマをする気は元からない。


「え? お、温泉……?」


 いぶりーの思考は一瞬とまる。確かに当初の目的は温泉である。どうせクエストに失敗するなら温泉に入ってからの方がよいのではないか、心が揺らがないわけがない。

 暫しの沈黙ののち、


「し、仕方ありませんわね。行ってくるといいですわ」


 仁王立ちのままシスコに背を向けて言い放つ。ちょっと反発しているっぽい感じになってしまったが、だが、いぶりーはここまで反対してしまった立場というものがある。今ここで、温泉という娯楽によって緩みきった顔を見せるわけにはいかないのだ。


「じゃぁ、行ってくるよ。遅くても昼過ぎくらいには一旦戻ってくるから」


 シスコはそんないぶりーの背中に声を掛けて離れていく。



 それから、シスコの足音が聞こえなくなったころ、頃合いだといぶりーは満面の笑みで振り返る。


「んっふっふ、ごろー、温泉ですわよ! 温泉!」


 そこにごろーの姿はなかった。

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