第19話
白を基調とした半球状のドームの端の方、ラウンジエリアのテーブルセットの一角、楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。目を向ければ、椅子に座ってテーブルに体を預けた小柄な人物が、鼻歌に合わせて癖のある淡い水色をした髪を右左に揺らしているのが見て取れるだろう。
小柄な少女は手にした端末を眺めながら実に嬉しそうに、楽しそうに、かどうかは表情からは分からないが、ともかく鼻歌交じりに頭を揺らすのだ。
「あら、ごろー、用事はもういいんですの?」
そんな少女、ごろーに声を掛けるものがあった。
やたら目立つ赤ゴスに金髪のツインテールが特徴的な少女である。
「ん。いぶりーは?」
赤ゴス金髪こといぶりーは少し肩をすくめてから、
「私の方はどうも当てが外れてしまって、無駄足も良いところでしたわ」
つまらなさそうに頬杖をつく。
実際には無駄足どころか、偵察目的としては大成功の部類だろう。おかげで、いぶりーは今後しばらくは第一ゲートに立ち寄らないという方針を持つことが出来たのだから。
そんないぶりーの愚痴にごろーが反応するわけもなく、二人の間に妙な沈黙が訪れる。
当たり前のことだが、二人は出会ってまだ間もない上に、ごろーは喋るとアレな感じになってしまうので積極的に会話をしようとしない。
いぶりーの方はと言えば、
(えっと、こういう時ってどう話を切り出せばいいんですの? 服装を褒めるとか? そのフード付きのコート暑くありませんの? ってコレじゃ私が文句をつけているみたいではありませんの! これではダメですわね。えーと、何かいい話題があればいいですけど……、あーもー、こういう時にあのシスコとか言うのが居れば! こういうのはあの子の仕事ですわよ)
シスコのあずかり知らぬところで妙なクレームが発生していた。
因みに、シスコはこの時、半島エリアで妹と楽しくクエスト周回に勤しんでいる最中だったりする。
妙な空気のなか、やっとの事でいぶりーに天啓が下りてくる。
「そういえば、鳥の頭貰ってましたけど、何に使いましたの?」
これを聞けばよかったのですわ! いぶりーは声に出さずに自分の事をこれでもかとほめたたえた。苦痛に満ちた一時間半になるのはずの運命を自力で打ち破ったのだ、自画自賛も許されよう。
「ん? これ」
ごろーはほんのちょびっとだけ目元を緩めて、端末に映し出された画像をいぶりーへと見せる。
画面に映し出されていたのは、ボロボロの、羽毛が焼け落ち色々と肉のはみ出た巨鶏の頭がジャガイモのような巨大な岩の塊に乗っかっている画像だった。
いぶりーは思わず出そうになった情けない声を喉の奥に引っ込めて、努めて冷静に画像を眺めつつ褒めるべき点を必死に探す。
よっく観察してみると、鶏の頭が岩の上に乗っかっているのは、どうも猟奇的な儀式を行う為ではないらしい。鶏頭や、ジャガイモのような岩の後ろに見える背景は、いぶりーも良く知っている異能研究所の作業室で、どうやらこの画面に映っているのは邪教の祭壇ではなく、ごろーの『エイリアスシステム』に使われている素体だとわかった。
いぶりーが中々言葉を出せずにいたところ、気を利かせたのか、ごろーは画面をスワイプして、素体の全体像が映るように画像を縮小させる。
「う……」
画面に現れたのは、じゃがいものような岩に打ち付けられたリアルな人のそれに近い質感のごつい右腕と、それと対を成すようなやっつけ感半端ない左腕、の代わりらしき葉っぱ付きの太い木の枝、そして、その岩を支えるのはよくわからない獣の足である。しかも左右で種類が異なっている。
加工がかなりいい加減なのだろう、岩には適当に釘か何かで打ち付けてあり、しかも皮と岩の間からはピンク色の肉と、白い筋のような紐がはみ出てプラプラしているのだ。
(こんなん、コメントに困るっちゅーに)
いぶりーの演技は、脳内ではあるが、ここにきて限界を迎えようとしていた。しかし、ここで暴言を吐くわけには行かない、そう肚を括って、
「とっても個性的ですわね!」
無難であろう言葉を何とか言う事ができたのだ。
正直、いぶりーとしては、こんな前衛的な現代芸術に分類してもいいか分からない代物に正確な評価など無理なのだ。
だから、当たり障りない言葉でお茶を濁す。
それが限界。
「ん、ばかにしてる?」
ごろーとしてはデザインに関しては未完成だと思っていて全然満足していない。重要なのは頭が付いたということなのだが、どうも目の前の人物には理解を得られなかったらしい。眠たげな眼が少しばかり剣呑な光を宿すが、表情が乏しいためか更に眠そうになったようにしか見えない。
「そんなつもりありませんわよ!? この現代社会における食肉事情に対する民衆の意識と加工業者の認識の乖離を示したまさに現代の歪さをテーマとした表現は単なる素体のデザインに収まらない、人々に強く訴えかけるメッセージを感じましたのよ!」
いぶりーは「もうどうにでもな~ぁれ!」な心境であるのだが、
「ちがう、あたま」
ごろーは、何言ってんだコイツ、といぶりーを一瞥してから鶏の頭を指さしてから、
「ついた」
「え? ああ、そういえば以前は付いてませんでした、わね」
孤島での事をなんとなーく思い出しつついぶりーは呟く。
「ん」
やっとのことで素体の形が整ったわけなのだが、
「ちょっと待ってくださいませ。ごろー、さっきのクエスト、最後に私の近くで異能を展開してましたわよね?」
「ん!」
大きく頷く。
「それって、あの時周りが見えてなかった、ってことですわよね?」
いぶりーの攻める言葉に、ごろーはさっと視線を逸らす。
(頭部の搭載されていない素体とシンクロした時点で外部の情報を素体を通して手に入れるため、ごろーには当時周囲が視覚的に把握できていなかったのだ)
「ちょっとこっち見なさい! ねぇ、あの時ちゃんと正確に狙いを付けられていましたの!? ねぇ!」
ごろーの細い肩を掴んで、まくしたてる。
「い、いちおぼえてたし……」
「やっぱり! 見えてないのに全力で攻撃してましたわね!」
いぶりーが無理やりごろーの顔を自分の方に向けようと奮闘していた時だった、
「こんなところで喧嘩なんて良くないよ」
年若い男の声がやんわりと二人を注意した。
声のした方へ二人が顔を向ければ、優し気な風貌で如何にも女性受けしそうな甘いマスクと、どこかミステリアスな雰囲気を纏っている青年が気配も感じさせず、かといって不自然さも感じさせずにそこに佇んでいた。
柔らかな金糸のような髪に彫像のような日焼け一つない白い肌、まるで常夏のリゾートの海を思わせる透き通ったエメラルドグリーンの瞳、某ネズミのマスコットが有名な映画会社の作ったアニメ映画に出てきそうな王子様を体現したような青年である。
「なんですの? ごろーのお知合いですの?」
「んーん、しらない」
二人は胡乱気な目で青年を見るのだが、このあまりにもリアルなVRゲーを遊ぶ女性プレイヤーならきっとラブロマンス的な展開を期待してしまうような状況である。二人に期待するようなものではないが……。
青年の方はそんな視線に慣れていると言わんばかりの涼し気な顔だ。
「君たちに話があってね。何か困っていることとかないかな? こんな状況だし急に環境が変わって大変だよね。もし、よかったらウチのクランに来ないかい?」
柔らかな口調で言うのだが、ごろーといぶりーの反応は悪い。
「君たちみたいに今の状況に戸惑ってる子達に声を掛けて回ってるんだよ。もし怪しい勧誘だって思うなら大丈夫。ウチには女の子も多いし心配ないから、ね?」
青年はいかにも心配そうに二人の格好、様子を具に見て目を細める。
「別に必要ありませんわよ」
いぶりーは、余計なお世話と鼻を鳴らす。
「そんな事言わずにさ、ちょっと雰囲気知るために見学だけでもいいし、どうかな?」
いぶりーの態度に気にした様子もなく青年は続ける。
「人の話聞いてますの? 必要ないと言っているんですわよ!」
声を荒げるが、
「もしかして警戒しちゃってるのかな、だったら話だけでもいいからさ」
やんわりと躱しつつ一歩踏み出す。
「だから、必要ありませんわ。いま友達と待ち合わせしているところですので、お引き取り下さいませ!」
「そんなこと言わずにさ、困ったときはお互い様だよ?」」
青年が笑みを浮かべ、もう一歩踏み出そうとした時、ベチッ、と生乾きのような音がラウンジに響いた。
「うるさい」
歪む視界、ぼやける聴覚、そして波間に浮かぶ小舟に乗ったように揺れる足元。青年は突如襲った五感を揺るがす出来事に何が起こったのか理解するのに十数秒も必要だった。
「な、にが……?」
青年は呟くにつれ左頬をじくじくとした痛みが嫌増してゆき、それが殴打された故に生じたのだと理解する。
「あっち、いって」
ごろーは限界だった。ようやく完成した素体を自慢できると思っていたのに、しつこいよくわからん輩に絡まれたのだ。
手が出てしまっても仕方がない。仕方がないのだ。
青年は頬を抑えてごろーを見る、が、ごろーは何事もなかったかのように無表情でじっと青年を見上げる。
「あー、えっと、うん、君たちは大丈夫そうだね……」
青年は視線を床にやってから肩を落として二人に背を向けとぼとぼとロビー間移動ポータルへと向かってゆく。
「一体なんなんでしたの?」
「わかんない」
二人は奇妙な青年の去り行く姿をどうでも良さそうに眺め、
「そ、そうですわ!」
何かに思い至ったいぶりーが弾かれたように声を上げる。
「ん?」
「考えてみれば、ここに美少女が二人いるのですわ!」
アバターの出来はAIによる補正も相まって超絶美少女なのは間違いない。見た目だけは間違いない。見た目だけは。
「つまり、なんぱッ!」
ごろーは眠たげな瞳を若干開く。
「ですわ! あの男、爽やかなフリをして実に嫌らしい。むかし、友達の妹が親切そうな男にほだされて体を許した挙句にヤリ捨てされてしまったのを思い出してしまいましたわ。胸糞ですわ!!」
いぶりーの心はいつの間にか義信に心を燃やす武士の如く、悪漢である立ち去る男の後姿を睨みつける。次にその男を見つけた時には容赦はしない、と青年の知らぬところで脈絡のない恨みと怒りを募らせる。
「ろりこん、ゆるすまじ!」
立ち居並ぶごろーの心も怒りによって激しく震えていた。何せ、二人のアバターは少なくとも十代前半である。少なくともごろーは自身のアバターがロリであることを自覚しているのだ。そんな自分たちにナンパを仕掛けるあの青年は、幼気な未成年者を口先で誑し込み、良い思いをしようとしている変質者と同じである、と判断を下していた。
ごろーは誓う。あのような溝に流れる汚泥の如き、唾棄すべき奴腹は見つけ次第容赦なく叩き潰す、と。
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