第10話
広々とした海の真ん中に、ぽつりと小さな島がある。
不出来なジャガイモを思い起こさせるその島は東側に砂浜が広がり、そこ以外は岩肌むき出しの崖ばかり。
例外があるとするならば、一か所だけ。砂浜から然程離れていない、湾になっている場所には人工的な施設、埠頭と無人の灯台、そして山の中腹には白く輝く箱型の、そこそこ背の高い建物を緑の木々の合間から見ることが出来る。
「と、とりあえず、さっさとこのクエスト終わらせますわよ!」
乱れた呼吸を整えつついぶりーはシスコとごろーを見る。
「だねー」
だらけた調子で砂浜に仰向けになっていたシスコは、よっ、と上体を起こす。
「んー」
ごろーはと言うと、ぺたんと座ったままうつらうつら船をこぎ始めている。
「ちょっと、聞いてますの!?」
「んー」
いぶりーは声を荒げるが、ごろーは生返事である。
「まぁまぁ、いざとなったらおれ背負ってくからさ」
「もう、仕方ありませんわね」
いぶりーはやれやれとばかりにため息を漏らす。
「では、最初にわたくし達の現状とクエストの目的を確認しますわよ」
いぶりーは何故か偉そうに言って、スマホ型端末を取り出すとクエスト情報を呼び出す。
そう、端末では現在のクエストの進行度合いなどを確認できるのだ。
ハイテクである。ハイテクではあるけれど、便利なARインターフェイスは実装されていなかったりする。何ともちぐはぐである。
「おっけー」
シスコは応えつつ自分の端末でもクエスト情報を確認してみる。
『旧前線基地保守・上位』
基地施設の状態を確認し問題があれば解決すること。
進行:15%
こんな感じで表示されている。
「15%って一応クエスト進んでるんだ」
シスコは感心したように言うが、
「当然ですわ!」
いぶりー、ふふんと鼻を鳴らし胸をそらす。
というのも、いぶりーは薪を集めるついでに施設の近くまで下見に行っていたのだ。
なんというか、プレイヤースキルに自信がないわりに迂闊な行動である。
そのおかげでバーベキューで使った金網を手に入れられているので結果オーライではあるのだが。
「ふぅん、じゃぁ施設見つけてそれだけ進んだってことは割かし早く片付きそうだね」
シスコはよっこいしょ、と立ち上がるとお尻の砂をはたいて落とす。
「それは目標の魔獣次第ですわね。魚類なんかが討伐対象になれば厄介ですけど、鹿や兎程度なら簡単ですわ」
「そんなもんなんだ。ほら、ごろーも立って」
シスコはそれでも何とかなるだろうと考えてごろーの後ろに立つと脇の下に手を入れて何とか立たせようとする。
「ん」
ごろーはよろよろと立ち上がるととろんとして降りてきた瞼を小さな手でこする。
その仕草は、アバターの見た目相応である。
ごろーの容姿と相まって非常にあざと可愛い。
「ほら、ごろー今日の宿に行くよ」
「んー」
シスコは立ち上がったごろーの手を握る。
というか、シスコの中では施設で一晩泊ることは決定事項であるらしい。
そこらで野宿したり、ロビーに戻って硬い床で寝転がることを考えたらこれ以外考えられないという選択肢である。
「行きますわよ」
そしていぶりーは二人を先導するように先頭に立って森の中の施設へと歩き出すのだった。
砂浜のある海岸から歩くこと30分ほどで今回の舞台となる施設へと辿り着く。
施設の周囲は胸のあたりまである雑草に覆われ、野生動物の侵入を防ぐために張り巡らされた鉄条網が草の海の中に浮いていた。
正面のゲートには警備小屋がセットになっているが、小屋のガラスは割れ、扉も開けっ放しになっている。
三人が施設に立ち入って、島の電源施設の状態を調べて、それから鉄条網に破れがないか見て回って、問題ないと判断するのにさほど時間はかからなかった。
ぶっちゃけると、施設に立ち入ったタイミングで端末にチェック項目リストがダウンロードされ、それを使って施設内を歩き回るだけでよかった。壊れた場所があっても案内に従って倉庫からアイテムを持ってきて素人仕事ながら補修すればクリア扱いになるのだ。
初心者にも優しいつくりのクエストである。本格的なチェックをやらせていてはゲーム的な面白さが損なわれるという判断からそうなっているのだろうが、なら寧ろ限りなくリアルに寄せている現在の状況をもっとどうにかしてくれと思わずにはいられない三人であった。
因みに専門のスキル(機械修理とか大工など)を獲得していた場合、直に施設の状態を確かめることで最終的な報酬にボーナスが上乗せされるのだが、三人はそれを知らない。
「やー、なんだかんだあっという間に進行90%になってたよ」
情報画面を眺めつつシスコはホクホク顔である。
魔獣と戦ったり、色々と面倒が待ち受けていると考えていたから実にありがたい状況であるのだ。
「何をおっしゃいますの? 本番はここからですわよ」
いぶりーは憂鬱そうな顔でゲートの向こう、水平線に太陽が沈みかけているのを眺めてため息を漏らした。
そんな夕闇に沈みつつあるゲートの向こうからガラガラと音を立てつつ一人の小柄な影がやって来る。
ごろーである。
手にしているのは大きなドラム缶なのだが、かまぼこ状に真っ二つに引き裂かれている。
断面が非常に荒く、無理やりペンチで形を整えたかのように波打っている。
埠頭の近くに放置されていたものを見回りの際にごろーが見つけ、加工して確保していたのだ。
「もってきた」
「お疲れ」
シスコはねぎらいつつドラム缶を受け取ると、あらかじめ用意しておいたコンクリートブロックの土台の上に固定して薪を放り込む。
この日は晩飯も焼き肉である。
本来なら施設に残っている保存食を拝借しようとしたのだがどれも賞味期限が切れていたのだ。
ぶっちゃけ、旧施設なだけあって(設定上は)数か月に一度見回り(プレイヤー)が来て施設の傷んだところを点検して簡易補修して終わりである。
偶に魔獣を狩ったりするのだが、今回はシスコ達がその見回り役である。
割とインフラ系の設備は使えたりするのでその辺は有情である。
火を熾した後は金網を置いて十分に熱してから食事の開始である。
肉は昼食に用意したものが大量に余っていたので食べるには困らないのだ。
食事を十分に堪能した三人は、比較的状態の保たれていた仮眠室へと向かうとその日の疲れのせいかすぐに眠りに沈んでいった。
深夜の事、いぶりーは尿意を覚え、目を覚ます。
簡易ベッドの上、大きく欠伸をしつつそっと立ち上がるとスリッパを履いて廊下に出る。
幸いにこの施設、トイレはまだ使える状態で、貯水槽なんかもまだ生きている。
ただ、シャワー設備は給湯器の劣化、ホースの断裂で使える状態ではなかったのは非常に残念だった。
シャワー使えれば最高なんだが、そんなことを考えつついぶりーは用を足した後、手洗い場で手を洗っていた。男子トイレに入った挙句、小便器の前でごそごそやった後に、あ、そうだった、と大の方に入ったのは御愛嬌である。
その時、
ガラン
施設の入り口の方から何かがひっくり返り反響する音。
暗がりにどこまでも響きわたるそれにガラスの割れる音が重なる。
「……魔獣、か?」
いぶりーの喉が鳴る。
うっかり素が出たことにも気が付かない程いぶりーは緊張感に包まれていた。
やがてガラスの割れる音、何かがぶつかる音は止んでいき……、いぶりーは安堵の息を漏らす。
「行ったか……」
胸をなでおろした瞬間、ゴァンッ、一際大きな音、続いて何かがひしゃげるような音が響き、いぶりーは思わずしりもちをついてしまう。
「ぅひぃ……」
涙目になったいぶりーは暗がりの先、音のした方に恐る恐る目をやる。
通路の先、入り口の方には巨大な何かが暗がりに浮かんでいた。
星明りに照らされたそれは何かの頭部。
ぎょろりとした目玉がいぶりーをじっと見つめていた。
「———ッ!」
思わず息を止め、口元を抑える。
暗がりで見たそれは、いぶりーを視認できているわけではない。
巨大な瞳の中心、黒点をあちこちに動かして気配の主、いぶりーを探している様子だった。
いぶりーはただ息を止め、じっと動かないよう、音をたてないように必死に耐えている。
(先にトイレ行っといてよかった!)
若干パンツにシミを作っているのだが盛大に水たまりを作ることを考えたら誤差のうちである。
やがてその瞳は獲物を探すのを諦めたのか不満そうに甲高い声でひと鳴きすると姿を消した。
いぶりーは暫く茫然と何もなくなった暗闇を見ていたが、そのうち我に返り、足音を消して仮眠室へと戻った。
それなりに騒々しい一幕だったにもかかわらず、二人が目を覚ました気配はない。
そんな二人を横目にいぶりーは布団を被る。
が、眠れない。
先刻見た瞳を思い出して体の芯から震えてしまうのだ。
まぁ、見た目相応だし、と心の中で言い訳しつつ。
「……」
上体を起こし、あれほどの音の中眠り続けていたシスコとごろーを見て恨めしい気持ちが沸き起こる。
暫くシスコとごろーを見て、それから、もぞりと布団から抜け出して……。
翌朝、シスコは暑苦しい感覚と、のしかかってくる重さに不快感を覚えて目を覚ました。
「んぁ……?」
薄っすら目を開けると胸の上にはゴローが乗っかっていて気持ちよさそうに寝息を立てている。
その手は、シスコのアバターの外見年齢から推察するに、育っている最中の胸を包み込んでいたりするし、口元からはよだれが垂れていたりするのだが、気にしたら負けだ、とシスコは無視することにした。
そして、顔を横に目をやれば、こちらも気持ちよさそうに寝息を立てるいぶりーの姿があった。
「どうなってんの、コレ」
気持ちよさそうに眠る二人の顔を眺めつつ一向に起きる気配のない二人にシスコはため息を漏らす。
戸口から入り込む光は既に朝が来たことを示している。
「ほら、二人とも起きてよ。朝だよ」
何というか、手がかかる。
実はこの二人見た目相応の中身なのかもしれない。
シスコは手始めにごろーの肩に手をかけて揺するのだった。
大きな窓は陽光をエントランスへと取り込み、そこから覗く島に自生する南国の植物たちはさわさわと風に揺られて青空の元で光り輝いているように見える。
外からは小鳥の囀る声が聞こえてきて、実に清々しい朝である。
そんな施設での早朝、エントランスを臨む通路の半ばでシスコ、ごろー、いぶりーの三人は立ち尽くす。
入り口の扉は破壊され、天井も大きく引き裂かれ骨材が痛々しく飛び出していた。
当然、食事の為に用意したドラム缶を加工したグリルも破壊され、朝食用にと調味料(醤油と島に自生していたニンニクモドキ)に付け込んでおいた肉もなくなっていた。
「……ナニコレ」
シスコは荒らされた現場に呆然と立ち尽くす。
「昨晩、来たのですわ」
「来たって、魔獣が?」
「そう、ですわ」
いぶりーはその時を思い出して身震いする。
「……もしかして今朝おれの寝床に入ってきたのって」
じとっといぶりーを見る。
「寝相ですわ! わたくし、寝相が少しばかり悪いのですわ!」
「ん!」
二人は力強く頷いた。
なぜかごろーも反応するが、気にしない方が良いだろう。
「そんなことよりも、こうなってしまっては悠長にしていられませんわね。早々に魔獣を倒すべきですわ」
いぶりーは誤魔化すように力強く握りこぶしを作った。
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