第6話

 第三ゲート広場、ロビー端のラウンジエリア。


 ごろーは寝ていた。


 ログアウト不能という話が出てきたあたりで、あ、これなら明日の仕事は行けないなぁ、ラッキー、と深刻な考えに至り、仕方ないのでひと眠りすることにしたのだ。因みに睡眠状態にある場合は例の「激痛」は発生しなかったようだ。


 そして、テーブルに突っ伏したまま微睡んでいたのだが、妙な気配がして目を覚ます。


「んぁ?」


 口元から零れるよだれを袖口で拭きつつ、こんな機能あったっけなぁ、なんて考えようによっては重要なことを考えつつもやっぱりどうでもいいや、と顔を上げる。


 ごろーが顔を上げると目の前にはテーブルをはさんで少女が二人、にらみ合っていた。

 お互いにそれぞれ椅子に手をかけて半ば引いた状態である。


 ちらり、と目をやれば赤い髪の印象的な、活発そうな格好をした少女が居て、その対面に目をやれば金髪ツインテールに赤ゴスを着たやたら目立つ格好をした少女が居た。

 

 偶々同じ席に同じタイミングで座ろうとしたんだろうなぁ、とごろーは察した。

 というか僕が先に座ってたのに……と心の中でぼやく。


「すわれば?」


 なので助け舟を出すことにした。

 二人はその一言で初めてごろーの存在に気が付いたらしい、気まずそうにごろーを見てから互いに様子を探りつつもどちらともなく椅子に腰を下ろした。


 気まずい空気が流れる。


 誰もしゃべらず、笑いもせず、ピクリともしない。


(なにこれ)


 ごろーは心内で唸った。

 おっかしーなぁ、助け舟出したからには何かしらこう、和ませるような会話あってもいいよね? そんなことを考える。


 そんなわけで二人の少女を観察してみることにした。


 赤髪ロングの少女は、タイトなTシャツにホットパンツ、ニーハイソックスとまぁ活発そうな格好である。

 若干顔を伏せて居るが、チラチラと向かいの少女の様子を伺っていることから興味はあるらしい。


 もう一人、金髪ツインテの少女、人目を引く赤いゴスロリである。なんというか、いかにもテンプレっぽい恰好だな、とごろーは思った。

 勝ち気な瞳が印象的で、しかしどこか縮こまっているようにも見えた。


 ごろーは観察しつつ、二人の少女の表情の変化に気が付いてしまった。

 なんと、二人とも頬を染めもじもじし始めてしまったのだ。

 ごろーは内心焦った。


(目と目が合う瞬間好きだと気が付くのか!?)


 驚愕が脳を揺らす。


 お互いに上目遣いで様子をうかがっている。

 その視線は時折ごろーにも向けられていたのだが、それには気が付かない。

 ただ、ごろーの頭の中は、ここに塔が建ってしまうのか、というよくわからない思考が支配していた。


 そんなことを目の前に同席した人物が考えているとも知らず、赤髪の少女、シスコは焦っていた。


 デスゲーム始まるよ、という運営からの爆弾発言の後、慌てて妹の様子を見に戻ったシスコであったが、妹とその仲間たちの輪の中に入っていく勇気もなく、しっかりと安全を確認したんだし大丈夫、と自分に言い聞かせ、ひと仕事した気分になってひと心地付こうとしたのが十五分ほど前。

 ぼんやりとした思考のまま、人込みをかいくぐりながらラウンジのテーブル席にたどり着き、間の悪いことに目の前には同じテーブル席に着こうとしていたらしい金髪ツインテールの少女が居て、引くべきか座るべきかの選択を迫られたのが数分前。

 そして迷っているうちに第三者の声。


 既にこの席に座っていた人物がいたのだ。


 それに気が付かない程現状に動揺していたのだ。

 促されるまま気まずいままに椅子に座ったのだが……経過はどうあれ向かいの少女、イブも似たような感じである。


(こんなの聞いてないぞ)


シスコはぐ、と内またに力を籠め膝の上で手を握りしめる。

彼女、もとい、彼は戦っていたのだ。


下腹部あたりを圧迫する脅威と。


それは目の前に座り、時折シスコの様子を窺うように視線を上げてくる金髪ツインテールの少女も同じらしい、とシスコは思った。

何かに耐えるような口元に頬には若干の赤みがさしている。


きっと自分も同じような顔をしているのだろうとシスコは考えて、意を決して声を掛けようとしたと同時、ロビーのモニターの画像が再び切り替わる。


画面には先ほどデスゲーム開始を通告したローブの男。

相変わらずの不遜な態度でプレイヤーを見下ろし、


『上の方からもう少し情報を出してやれと言われてな』


咳ばらいを一つ。


『一つは代謝が行われるようになる。食事などが必須になるし、同時に排泄などの生理現象も起こるので留意してくれ。ついてはトイレがロビーに実装された。間違っても壁際や柱の陰でするなよ。詳しいことは公式サイトを見ろ』


 居丈高な振る舞いに、モニターに向けられるのは「ふざけるな」「さっさと解放しろ」「通報したからな!」という罵声ばかりである。


 当たり前である。


『気まぐれで音声を拾ってみたが、まったく騒がしい猿共だ。少しは落ち着きを持て』


 ローブの男はやれやれ、と疲れたようにため息を漏らし、モニターから姿を消した。その態度にモニターに向けてヤジを飛ばしていた連中は更にヒートアップするのだが、それも仕方のないことだろう。


 さて、そんなローブ男の映像はシスコに衝撃と確信を与えた。

 自分が堪えているのがまごうことなき尿意であること、そして、それは同時に人生観を破壊しかねない程の威力を秘めた爆弾であることも。


 しかし、かといって自ら席を立ってトイレに駆け込む勇気はなかった。

 何せシスコはネカマ。

 一人で女性トイレに行くような勇気はない。

 一部プレイヤーは嬉々としてトイレに向かっている中、実に良心的な意識を持ち合わせているプレイヤーである。


 そしてそれは向かいの金髪ツインテールの少女も同じ様子だ。

 しかし、その思考はシスコのものとは若干違う。


(え、女子トイレって、おしっこってどうすんの?)


 というその先を心配して足が動かないでいたのだ。

 かといってこの時限爆弾、抱え落ちして処理に失敗すればこの先の計画に支障が出る。

 金髪ツインテールの少女、イブは第一ロビーのほとぼりが冷めるまでは第三ロビーを拠点に適当なパーティーに寄生して姫プレイで楽をしようと企んでいたのだ。

 大勢の前で粗相をしてしまえば活動どころではないだろう。

 自然と顔が歪んでしまう。


「なんだ、つらそうじゃん」


 それを見て、赤髪の少女、シスコが声を掛ける。

 その声には多分に焦燥が含まれていたが、余裕がないのはイブも同じである。気が付かない。


「べ、別に何でもないです」


 言うものの、早く立て、便乗できないだろ、と他人任せなことを考えている。なにせ女子トイレに入るなど人生における一大イベントである。道連れは多いに越したことはない。


「無理すんなよ」


 言うが、シスコも考えることは一緒である。

 はよ、はよ、決壊しちゃうって、内心焦りまくりである。


 横合いから見守るのはごろーである。


 互いに引きつった笑顔で牽制する二人を冷静に見れば、先ほどの運営からの話とすり合わせれば正解へとたどり着く。


 だからこそごろーは不思議でならない。

 トイレくらい行けばいいのに、と。


 正論である。


 正論であるが、二人の感情がそれを許さないのだ。

 互いの安いプライドは思いの外強固である。

 結構限界に近いはずが譲る様子もない。


 なんだかなぁ、と見守るごろーにも同様にその時はやって来る。

 ぶるり、と震えが一つ。

 

「んしょ」


 ごろーはテーブルを押して椅子をずらすとすっくと立ちあがる。

 その動きにシスコとイブは顔を向ける。

 視線を受けてごろーはこてんと首を傾げる。

 なんだこいつら、ということである。


「「えっと、どちらに?」」


 シスコとイブの言葉が重なる。

 数年来連れ添った夫婦のごとき見事なハーモニー。


「といれ」


 ごろーは初対面に聞く事かなぁー、なんて思いつつも二人に背を向ける。

 答える方もどうかと思うのだがともかくとしてシスコ、イブの二人には正に福音。


「な、それは大変。お供いたします」


 イブは慌てて立ち上がり、


「ははは、二人だけじゃ心配だなぁ、わたしも一緒に行くぜ」


 シスコもワザとらしく大きめの声を上げて勢いよく立ち上がると、輝かんばかりの笑顔でイブとごろーの肩を叩いた。



 三人が端末に表示された地図を見ながらトイレへと辿り着けば、まだあまり人は来ていない様子で空いていた。


 ただ、


「ご、ごめんなさいー!」


 男子トイレから顔を真っ赤にした美少女が飛び出せば、


「悪気はないんです、違うんです」


 女子トイレからは青い顔をしたイケメンが飛び出してくる。

 実にカオスな光景が繰り広げられていた。


「だいさんじ……」


 ごろーは唸る。


「まったく、少し落ち着けばわかりそうなのに情けないですねぇ」


 イブはそんなことを言いながらごろーと並んでトイレへと進んでいく。


「いやいやいや、君らどこ入ろうとしてんだよ」


 慌てて、先を行く二人の襟首を掴むのはシスコである。

 ごろーとイブ、二人が顔を上げれば入り口の上には男子トイレの青いマークが掲げられていた。

 瞬間、イブの顔が真っ赤に染まる。


「ち、違う! そう、これは道に迷っただけで……!」


 少し前の丁寧な口調はそこにはない。

 シスコの目が細められる。


「しゃかいかけんがく、だし」


 ごろーは目を合わせようともしない。


「いいんだけどさ」


 シスコは呆れ調子で二人を隣の女性トイレへと二人を誘導するのだった。

 

 入り口をくぐれば幾つもの個室が並ぶ。

 高速道路のサービスエリアにあるような大型のトイレくらいの広さはありそうである。

 しかも床も壁も新築のように清潔で、かすかに甘い芳香剤の香りが漂っている。


「すぅ~、はぁ~……」


 ごろーは大きく鼻から息を吸って吐き出した。

 特に意味はない、はずである。

 隣に立つイブは、ゴクリ、喉を鳴らす。

 シスコは特に何か気にした様子もなくさっさと近くの個室に入ってしまう。

 ここまでくれば、ということなのだろう。現金なやつである。


 出遅れたごろーとイブは互いに顔を見合わせると無言のまま適当な個室に入るのだった。



「あ~、しんどかったぁ」


 ぼやきながら便座に座るのはシスコである。

 トイレにさえたどり着いてしまえば特に何をするわけでもなくすんなりとそこに至るのだ。

 アバターの衣装をスカートでなくズボンにしておいたのもポイントが高い。

 そもそもスカートってトイレの時にどうしたらいいかなんてシスコにはわからない。


 そういう意味ではイブは非常にピンチであった。


「え、スカートって脱ぐの? まくるの? どっちだ? どっちにしてもちょっと、これどうやって腰緩めるんだ? まずいこのままじゃ……!」


 ピンチであった。


 ごろーは、割とそこらへん拘らずスカートをたくし上げ、パンツの紐に指を掛けるまでは行ったのだが……、


「まずい……」


 指が動かなかった。

 長い人生において培った常識が、アバターとはいえ女の体で用を足すことを拒んでいた。

 じりじりと迫る尿意、しかしていい年こいてお漏らしするわけにはいかない。

 常識と衝動の板挟み。

 唇をかみしめ、固く瞼を閉じる。


 そして……。



 三人が個室から出てくるころには手洗い場の前には人の列が出来上がっていた。

 どうやら第三ロビーにいるプレイヤーの殆どがトイレに詰め掛けているらしい。

 それは何とも異様な光景で、


「お待たせしました」


 一人遅れて出てきたイブは手洗い場の前より先、出入り口に立っているシスコとごろーに手を洗いつつ声を掛ける。

 二人は別に待っていたわけではない。

 間違いなく二人はトイレを出てそこからは一人で行動する腹積もりであったのだが、足を止めさせざるを得なくするような光景がそこには広がっていたのだ。


「どうかしましたか?」


 ハンカチで手を拭きつつイブはシスコとゴローに声を掛ける。

 が、二人は答えない。

 何かに呆気にとられている様子である。


 イブは二人に駆け寄ると訝し気に二人の視線の先を見、声を奪われた。


 そこには、喧騒があった。

 早くしろ、まだ進まないのか、そんな文句の声、並ぶのは数百人、千人を超えるとも思えるプレイヤーの列。それが男子トイレ、女子トイレの前からずらっと並ぶ。

 しかし、それがイブの声を奪ったわけではない。


 男子トイレの前に伸びる列。

 途中までは男性アバターなのだが、途中から女性アバターも交じってくる。

 対して女子トイレの前、女性が並んでいるかと思えば途中から男も交じり始める。

 どちらが男子トイレか女子トイレかわからない光景。


 まさに混沌。


 その日、トイレへと向かったプレイヤー達、その多くが己の入るべき入り口を間違え列に並びなおすという光景があった。

 そして、あまりにも伸びすぎたトイレ待ち、並びなおせばそれだけ時間はかかる。

 並びなおした多くの者が堪えきれずに粗相をしたという……。


 後に「おトイレ事件」と呼ばれることになるそれは、デスゲーム宣言以上にプレイヤーの運営に対するヘイトを大きくしたと言われている。


 しかしながら冷静な者も存在し、掲示板では「我慢できないなら適当にクエスト受けて野外ですればよかったのに」とのコメントもあった。

 まぁ、そういったコメントは運営の手先め、と叩かれたりしたのだが、真実は誰も知らない。


 プレイヤー達は果たしてこのデスゲームから無事、解放されるのだろうか。

 地獄の窯はまだ蓋をあけたばかりなのである。


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