第5話

 ロビーの天井から吊り下げられた幾つものモニター、どのモニターも映し出すのは一人の人物。

 古臭いよれよれのローブを身に纏い、見るものに神秘的な印象を与える身の丈を超す杖を持つ。

 男はどのような光景を見ているのか、ぐるりと足元を見るように顔を巡らせる。

 すべての視線が自分に向いていることを確認すると満足げに口元を歪めた。


『調子はどうだね? クエスト攻略は順調? 理想の能力は組めたかね?』


 その問いに答える声はない。

 代わりに疑問や不安がさざ波となって場を満たす。

 画面の男はそんなプレイヤーの反応を意に介した様子はない。


『アイテム収集に精を出している? 立ち回りのテンプレ化も進んでいる? 大いに結構。一部のプレイヤーは既に最上位クエストの攻略方法をある程度割り出しているそうだな。熱心なことで頭が下がる思いだ』


 男は独り言をするようにただ語り、一度言葉を区切る。

 男に呼応するようにロビー内の声が収まる。

 否、男はロビー内が静まるのを待って、それから再び話を切り出した。


『喜びたまえ、そんな諸君らに我々運営からプレゼントだ。……とはいえ形あるものではないのが心苦しいが。我々がプレゼントするのは環境だ。デスゲームと言う名の環境。それを贈ろう』


 デスゲーム、その言葉にロビーは騒然となる。

 しかし、その言葉に懐疑的なものも含まれている。

 当たり前だ。

 だが、それを見越したかのように男はまくしたてる。


『死だ! 死ぬまでゲーム三昧、良い事ではないか。くくく、目ざとい者たちは気が付いた様子。そう、ログアウトボタンは削除させていただいた。せっかく用意した舞台だ、楽しんでもらわなくてはな。おっと拍手はまだ取っておいてくれ、感動のフィナーレはスタンディングオベーションで迎えたいからなぁ!』


 同時、あちらこちらから湧き上がる悲鳴、嗚咽、怒り。

 男は哄笑を上げ、ひとしきり笑ったのち再びプレイヤーを見下ろす。


『とはいえ、ふむ、運営からのサプライズは良いとして……』


 男は口元を歪める。


『私個人からもぜひ、プレゼントを贈りたい。“アバター変更権”だ。受け取ってくれるかな?』


 嫌らしい笑みだった。

 同時に、それを見上げていた一部のプレイヤーは嫌な予感を覚えた。


 その中の一人、イブはまさか、と小さく息をのむ。


『見かけをいじるのはゲームだし、そりゃ好きにすればいい。だけど、性別まで偽るのってどうかなぁ。私はそういうの良くないと思うんだ、精神衛生上ね。ククク……、せっかくだし、偽りの者たちよ、このアバター変更権で君らの親しんだ見た目にしてあげよう』


 男の笑みは更に深まる。

 そして、


『ハッハァー、苦痛と共に身バレしなぁ!』


 男は楽しそうに深くゆがんだ笑みで指を鳴らす。

 同時、あたりから悲鳴が上がる。

 

 男が指を鳴らした瞬間、


「んぅ……!」


 イブは唇をかんだ。

 全身は電流が流れるような焼かれるような痛みに襲われる。

 膝を折るわけにはいかなかった。

 目の前にはPTの仲間がいるからだ。

 しかし、その反応はおもっくそ顔に出ていた。

 鼻水とよだれと涙と、とにかく顔は苦痛でぐちゃぐちゃに歪んでいた。


 誰が見ても明らかだったのだがイブは運がよかった。

 なぜなら、


「あぁああああっあーーーーーー!」


 すぐそばで数人の女性プレイヤー、否女性アバターのプレイヤーが痙攣するように地面へと崩れ落ちたからだ。

 それだけではない。

 あちらこちらで似たような光景が繰り広げられる。


「何だってんだ一体! おい、あんたら大丈夫か」


ジョゼは慌てて駆け寄り、倒れたプレイヤーを介抱する。

 レオも周囲のプレイヤーもそれに続くが、反応はそれだけではない。

 自然と周囲の視線は頽れたプレイヤー達へと向かう。


「え、嘘だろ……お前もしかして……」


 一人の青年風のアバター。

 銀髪褐色肌のいかにも女受けしそうな外見の男が一人の女性アバターを見下ろしていた。


「うぅ……、お願い助けて……た、すけろ……よ」


 苦しそうにもがく。


「お前、今まで俺の事だましてたのかよ……」

 

 その瞳には心配ではなく嫌悪と侮蔑が浮かぶ。

 そんな反応をするのも半数は居るのだ。


 イブは、ヤベェ、そう直感した。

 自身もいつまでも痛みに耐えられるとは思えない。

 そしてどのタイミングで姿が変わるかも……。

 早く逃げ出さなくては、できるだけ目立たぬよう周囲を観察する。

 ゲートまでの安全なルートを、と。

 しかし、騒然としつつも人の視線を躱せるほどの状況でもない。

 どうにかしなければリアルの自分を晒してしまう、そうなればこの先どんな運命が待っているか。

 焦りばかりが募っていく。

 

 だが、痛みはあれどもその兆候はない。

 一分ほど経過したのだが、誰一人として外見の変化が起こることはなかった。


『ん、あれ、変化起こらんのだが……』


 画面の男は困惑していた。

 そんな画面端、白いフリップボードが移り込む。

 男はそれに顔を近づけ、


『マジか……、技術の人は出来るって言ってたんだけど仕方ないか』


 画面の向こう側でローブの男は残念そうに首を左右に揺らして、再び指を鳴らす。すると、一部のプレイヤーを襲っていた激しい痛みは嘘のように引いている。

 同時にプレイヤー間にあったデスゲームへの恐怖もどこかに行ってしまった様子である。一旦は落ち着き始めたロビーの中に、再びさざ波のように話し声が広がり始めていた。先ほどの騒動の影響かデスゲームに関する恐怖ではなく、この状況にたいする困惑の色が強く表れていた。


『あー……、痛い思いだけをさせてしまって本当に申し訳ない。だが、中には偽った性別にかこつけて姫プとかしていた者もいるようだし、ちょっとした罰だとでも思ってくれ』


 男は何事もなかったかのように他人事のように言って、


『さて、ここからデスゲーム開始となるが、大まかな変更点がある。まずプレイヤーにはライフが三点与えられ、これがゼロになれば本当の死が待っている。それと同時にこれまではクエスト中に死んでも何度もやり直せていたが、死亡イコールクエスト失敗になる。PTの場合は異なり、メンバーの誰かがクリアすれば大丈夫だが消費したライフは戻らない。後はまぁ、重要なところと言えば、痛覚変換機能の廃止くらいかな』


 男は思いだすように顎に手をやり視線を彷徨わせる。


『うん、こんなところか、せいぜい足掻いてくれ』


 男は口元に嗜虐的な笑みを浮かべると同時、画面は暗転し、再びロビーに静寂が訪れた。




 ロビーの雰囲気は暗い。

 そしてイブの表情も暗い。

 イブは冷や汗をかきながら辺りを警戒していた。

 

 誰かが、痛みをこらえる自分の姿を見ていたかもしれない。

 そう思うと不安で仕方なかった。

 できるだけ早くこの場を離れたかった。

 

「おい、大丈夫か? 顔色悪いぞ」


 心配そうにジョゼが声を掛ける。

 大抵はレオの仕事なのだが、今はナフルとラシーヌの相手で手が離せない様子。

 こわいこわい、と抱き着く二人をあやすのに手いっぱいなのだが、イブにとって今はその状況がありがたかった。

 このタイミングでこちらに来られたら困るからだ。


「何だか、色々と頭が追いつかなくて……」


 実際それは間違っていない。

 レオに捕まってしまえば、押し付けの善意で行動を共にさせられてしまう。

 思案する振りをして周囲を伺う。イブには近くにいる通行人や、無関係の居合わせたプレイヤーの視線がすべて自分を疑っているように思えて仕方がない。

 いつばらされるかわからないという恐怖心。


 何せ、イブはこれまでレオから幾つかアイテムをタダで譲ってもらっているし、レオのパーティーに入る前も別のパーティーで男性プレイヤーから「善意の贈り物」として幾つものアイテムを貰っていた。

 否、貢がせていたのだ。レオに関しては女性を甘やかすのが当たり前みたいな脳みそなのでそこまで意識してはいなかっただろうが……。

 ネカマとばれてしまえば、悪評が広がり最悪な方向でさらされるに決まっている。

 ナフルとラシーヌの二人であれば嬉々としてイブの悪評を垂れ流すだろう。なんだかんだあの二人の腹黒さは知っていたし、レオに甘やかされることであの二人が嫉妬するさまを楽しんでいたのだから、相応に怒りを買っていただろう。


 ここまで書いてなんだが、イブってろくでもない奴である。 


 とにかく、今はここを離れるのが先決。


 イブはそう結論付けた。

  

「ジョゼさん、あの、実は友達が別のロビーにいて……心配なので会って来たいんです」


「ん、そうなのか? らしいぞ、レオ」


「そうなんです。もしかしたら暫く戻ってこれないかもしれません」


 イブは申し訳なさそうに言う。


「ああ、わかったよ。困ったことがあったらいつでも僕らを頼ってくれ。何ならその友達も連れてきていいからさ」


 レオは笑顔で言う。

 

「はい、じゃぁ、あの、失礼します」


 イブは深く頭を下げると

 回れ右をしてロビー間をつなぐゲートに向かった。


 そんなイブの後姿を見て、ナフルとラシーヌは安堵したとかしなかったとか。


 イブはゲートを潜る直前、仲間に振り返って会釈をする。

 ジョゼとレオは行ってこいとばかりに手を上げて応えた。

 中々に良い奴らである。




数分後、第三ロビーに赤ゴス金髪ツインテの少女の姿はあった。

イブである。

表情は実に爽やか、安堵に満ちていた。

 

 今しがた仲間と別れてきたばかりなのに、悲しみなんてコイツの中にはなかった。

 むしろ、ネカマだとばれる危機から逃れられて清々しい気分ですらあった。

 足取りは実に軽やか、鼻歌なんかも歌ってしまう。


(暫くはここを拠点に楽しませてもらおうなかなぁ)


 なんて碌でもないことを考えていた。

 第三ロビーのゲート前広場を横切るようにステップを踏む。

 そんなイブは浮かれていたのか、前からくる人物に気が付かない。

 普段なら避けられるのだが、それだけイブは舞い上がっていたのだ。


 目の前に現れた少女に顔からぶつかる。

当然身構えていたわけでもないし、予想したわけでもない、反動で無様にしりもちをついてしまう。


「ァいたたた……ちょっと、どこに目を……」


 したたかにぶつけた鼻をさすり、ぶつかった人物に目をやれば亜麻色の髪をしたふんわりとした雰囲気の十代半ばを回ったくらいの少女の姿があった。

 あまりにも穏やかな表情をした少女にイブは言葉を飲み込む。


「ごめんね、だいじょうぶ?」


 少女はしゃがむとイブに視線を合わせ顔を覗き込む。

 悪意のない純粋な目、とでもいうのだろうか、そんな目を向けられてイブは若干鼻白む。


「大丈夫、です」


 気恥ずかし気に返しつつ、少女の差し出した手に引き上げられる。


 結構な勢いで顔をぶつけたのに、あまり痛くなかったのはあれのおかげか、イブは丁度視線の高さあたりにある、二つの丘を見た。丘というか山であるのだが……。


「お姉ちゃんも気を付けてね」


 少女はそういうと鼻歌を交じりにクエスト受注端末の置いてあるエリアへと歩いていく。


 デスゲーム開始早々、あんな楽しそうにクエストに行くなんて、きっと凄いプレイヤーなんだろうなぁ、とそんなことを考えつつ、一息つくためにイブはラウンジを目指すのだが、


「……お姉ちゃん?」


 首を傾げて近くのガラス張りの窓を見る。

 反射で映り込むそれは、どう見ても十代前半、良くて中学生になったばかりの外見の少女である。


 イブは再度首を傾げるが、気にしても仕方ない、ラウンジを目指すのだった。

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