第5話 支配者の逃亡
久しぶりの洞窟を抜けた先に広がっていたのは人の手が一切入らない原生林だ。盆地の中にも森や林はあるが、あそことはまた違った意味でこちらも厄介な場所だ。
なにせ倒木に倒木が重なり、岩が転がり、更にその上に雪が降り積もっている。一見すれば雪景色だがその下に何があるのかさっぱり分からない。
それでも師匠の【
「大丈夫? 久しぶりの雪だけど」
「大丈夫です! 師匠が歩きやすくしてくれてるお陰で快適です!」
「ん? 何もしてないけど」
「えっ?」
てっきりいつものように霧氷雨で発生させた氷霧を雪の中に浸透させて足の下を凍らせて歩きやすくしてくれていると思ったんだが……試しにグッと強く踏み込んでみるとズボッと足が雪に埋もれた。
「ほら、してないでしょ」
「してないですね……」
「修行の成果だね。体が自然に雪の上を歩く際に最適な重心移動をしているんだ」
「なるほど……!」
埋まらず滑らず。それをこの体は勝手にやってくれているそうだ。
できれば意識してやりたいところだが、それはまだ僕の認識が追い付いていないだけだろう。
修行を続ければ、きっとそれもできるようになるはずだ。
この1年で沢山できることが増えた。もっともっと修行をすれば、もっともっとできることが増える。……が、あまりゆっくりもしていられない。
何故ならば時々師匠が持って帰ってきてくれる情報には、勇者ラインハルトの話もあったからだ。
彼は今、ここより西の大陸にある【聖法国ハルドナ】と呼ばれる宗教国家にいるらしい。
あそこは聖職者ミラの出身地だ。ミラは聖法国でも聖女隊と呼ばれる選りすぐりのエリート部門に所属している人間で、彼女の言葉一つで勇者には色んな支援が行われる。
その結果、どうなるかと言うと魔王討伐のコマを進めることができるようになる。
それはこちらとしても拙い話になってくる。修行をしたい気持ちもあるが、復讐の温度は一切下がっていない。むしろモチベーションとして温度は上昇し続けているまである。
噂を聞いて暫く経っているし、もしかしたらもう、魔王が住むと呼ばれる大陸に移動しているかもしれない。
噂が流れてくる時間差から考えてもその可能性はゼロとは言い切れなかった。
「考え事してるね」
「勇者のことを考えてました。もう魔王倒してるんじゃないかって心配で」
「その功績を掻っ攫うのが目的で修行してる訳だしね。しかしそうだな……シーザーのことを鍛えるのは目的じゃなくて手段だからね。そろそろ出発することも視野に入れないと駄目だね」
「出発っていうと、盆地から出るってことですか?」
まだ鍛えたいという気持ちと、早く出発したいという気持ちが揺れ動く。
「まだ修行が足りないって顔してる」
「そりゃそうですよ。たった1年ですし」
「そうは言うけれど、1年もあの場所で生きてるなんて凄いことだよ。それに修行は旅をしながらでも出来るからね」
確かにそうだ。どんな内容であれ、別にあの場所にこだわる必要はない。
あの場所で始まった修行だったからと思い込んでいたが、そうだよな……相手に不足はあるかもしれないが、そこはそれ、僕側で調整すればいいだけの話だ。
ハンデなんてなんぼあってもいいですからね。
「今日の情報次第では出発することも考えようか。君の復讐の旅ではあるけれど、私も魔王とは戦ってみたいと常々思っていた。競争だな?」
「師匠が出張ったら勝てないですよ……」
「んー? 君の復讐の炎はその程度の気持ちだったのかな?」
「まさか! アイツにだけは負けませんよ……師匠にだって負けません」
グッと握る拳には血が滲む程の努力が詰まっている。この血の滾りは例え師匠の【霧氷雨】でも凍ることは無いだろう。
「なら良いね」
「はい!」
師匠と意思確認も取れた。多分だけど近い内に旅に出ることになるだろう。今日の息抜きお買い物はそれも視野に入れて買う物を決めるとしよう。
□ □ □ □
町にやってきて自分の格好がとてもみすぼらしいことを自覚してしまった僕は、まず服屋へ駆け込んだ。
お金は師匠から狩猟に見合った給金を貰っていたので、それで支払った。
素材は何でも良かったしサイズさえ合えばと思っていたので店員さんにオススメしてもらってさっさと着替えた。
「こちらの服はどうされますか?」
「あー、捨て……いや、持って帰ります」
「わかりました」
これまでずっと着てきた服だ。ボロボロだしもう着ることはないとは思うが、捨てるのはなんだか違うなって思ってしまった。
その場で袋も買って今まで着ていた服をそれに入れて店を出た。
「しかし辺境の村って感じだったのに1年でだいぶ発展したなぁ……」
僕が一悶着起こした時は家もまばらだったし、寂れた感じの開拓村って感じだった。思えば村の範囲と共に周囲を囲んでいた森も開拓されている。その分だけ家が増えた感じか。
しかし開拓と発展の先にあの盆地が見つかるのは問題だ。別に師匠の領地でもないので何の権利もないが純粋にモンスターのレベルが高すぎる。
自分で言うのも何だがあれは一般人には相手できない領域だ。盆地が崩されてあそこが解放されたら災害規模のえらいことになるだろうなぁ。
人は困難があれば立ち向かうように出来ている。あの場のモンスターがどれだけ脅威的だとしても、必ず乗り越えようとするだろう。
強いモンスターから取れる素材や、難事を乗り越えた先の名誉を求めて、多くの命を投げ捨てるのだろう。
「それで得るものなんて何もないのにな……まぁ、僕の知ったことじゃない。僕が得ようとしているものだって、何の価値もないのだから」
復讐の先にあるものは、ない。それを分かった上で、尚この炎は燃え続ける。成し遂げた先に広がっているのが無だとしても、僕はそれをこの炎に焚べ続けるのだ。
自嘲気味に口の端を歪める。何をしてるんだろうなって思う冷静な部分もあるが、それを含めて僕なのだ。
「そういえば聞いたか?」
耳に届いた言葉は僕に宛てたものではなかった。振り返ったところにいたのは木製のジョッキを手に、背の高いテーブルに寄りかかる2人の男だった。
「聞いたって、何を?」
「モンスターだよ。とんでもない強さのモンスターが出たらしい」
「ほーん。まぁ森の奥はやべぇのが沢山いるって冒険者達も言ってたが、そいつら浅い所に出てきただけなんじゃないのか?」
「それが誰も見た事がないモンスターが現れたらしいんだ」
その言葉の次をどうしても聞きたかった僕は聞き耳を立てた。研ぎ澄まされた聴力が雑音を省いた男の言葉だけを聞き取る。
「顔の半分が削れた二足歩行の爬虫類モンスターだって話だぜ」
それは僕と師匠が探しているモンスターの特徴とまったく一緒だった。
顔が半分削れた爬虫類とはあの盆地から姿を消したオオトカゲのモンスター、タイラントドラゴンだ。
あの盆地を支配するモンスターの1匹で、名を【フューガー】という。特徴的な顔は師匠が削った後だ。
致命傷を負いながらも姿を消したことで長い間探していたのだが、まさか盆地の外にまで逃げていたとは考えもしなかった。
「そんなやばいモンスター、さっさと冒険者に倒してもらわないとな」
「それが手も足も出ないって話だぜ。町にまで来たらマジで終わるかもな……おーこわ!」
話題が変わったことでそれ以上の情報を引き出せそうになかったのでその場を後にし、師匠と決めていた合流地点を目指した。冒険者ギルドだ。
初めて来た頃と違って見た目も内装も綺麗になったギルドは人で溢れていた。
酒場が併設されているようで中を覗くと、いかにも柄の悪そうな人間が集まっていた。
冒険者ってこうなりがちだよねってスタイルの奴等がそれぞれのテーブルで酒と食事を楽しんでいるようだったが、意識は別の事に向いているようで会話内容も中身がなく、生返事ばかりだった。
その原因は言わずもがなだろう。
「師匠」
「見違えたね」
酒場の端の席に座る師匠の美貌に気を取られている以外になかった。整った顔立ちと色素のない銀髪。引き締まった体は芸術と言える。
そんな美女が1人で飲んでたら気になるに決まっている。が、溢れんばかりの強者の圧が何人たりとも近寄らせなかった。
そんな中、僕が普通に話し掛けたから場がざわついた。しかしそれよりも大事な報告があった。
「師匠、フューガーの行方が分かりました」
「なに?」
「フューガーは盆地から逃げ出したようです」
「なるほど……だからいくら探しても見つからなかったのか」
僕の報告を聞いた師匠はスッと椅子から立ち上がる。その動作一つでどよめいていた酒場は水を打ったように静まり返った。
「あの場から逃げ出すようじゃ支配者の資格はないな」
「……」
「殺すか」
そう言った師匠の目は残酷な程に冷たかった。しかしその奥には失望の色が見えた。
あの領域の支配者の1匹として認めていた相手が腑抜けてしまったことへの失意だろう。
僕は何度も師匠がフューガーと戦っている場面を見ていたから分かる。フューガーはどういう気持ちで戦っていたのかは分からない。
自分より小さい生き物が自分の縄張りで好き勝手に生きているのが気に食わなかったからなのか、師匠を強者と認めて戦っていたかは定かではない。
それでもフューガーにとっては生きる上で必要な衝突だったはずだ。
師匠はフューガーを強敵と認識して挑んでいた。一切の手心を加えず、全力で挑んでいた。ちゃんと尊敬の念を抱きながら剣を振っていた。
だからこその失望だった。これまでは一騎打ちという誇りのぶつかり合いだったが、これから行われるのは戦いではない。
駆除だ。
「了解です」
「すぐ戻るぞ」
言うや否や歩き出した師匠の後ろを慌てて追い掛ける。置いて行かれないようにと小走りになっていたから、急に立ち止まる師匠の背中に思わずぶつかりそうになって急停止した。
何事かと顔を上げると、師匠は先程までの怒気なんてどこへ隠したのか、普段の乏しい表情なんてどこへ売り飛ばしたのか、まるで覚えたてのような小さな柔らかい笑みを浮かべて僕を見た。
「その服、似合ってるよ」
「あっ、ありがとうございます……」
「帰る前にもうちょっと色々買って行こうか」
「師匠、お買い物してる場合じゃなです」
「いいや、買ってる場合だ。優先順位は高いよ。さぁ行こう」
すぐ戻るぞとは何だったのか。結局師匠に引きずられて先程の店まで行くことになってしまった。
買い物をして店を出たはずの僕が戻ってきたことにクレームか何かと勘違いしたのか、店主の顔も強張っていたが、更に追加で服を買ったことで最後は蕩けてなくなるんじゃないかって程に笑顔だった。
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