第3話 師匠の家へ

 足取りが軽いかと聞かれれば、そんなことは一切ないと答えよう。靴に絡みつく雪も、不明瞭な視界も不安要素でしかない。地面よりも高い位置に積もった雪の中を進むというのは思っていた以上にきついものだ。


 しかし進みが悪いかと聞かれれば、そんなことは一切ないと答えよう。淀みはあっても止まることなく進めるのは偏に師匠のお陰だ。

 積もったままの雪は師匠の【霧氷雨きりひめ】で適度に凍り、滑らない程度にザクっと埋まるようになった。

 浸透した霧が更に足より下の雪を凍らせているから靴もそれ程埋まらない。深夜の登山。霧深い視界、出現するモンスターに不安を覚えることはあるが、慣れさえすれば実に快適な登山だった。


「もう少ししたらモンスター出てくるからね」

「りょ、了解です」

「今の君には難しいから、私に任せていいよ」


 実に心強い言葉だった。そして実際にモンスターが現れたが、局地的豪雨によって瞬間冷凍され、害にもならない。ちょっとあまりにも強過ぎる。

 ただ、進んでいくとそれでも抵抗してくる奴が増えてきた。それでもやっぱり師匠の手に掛かれば瞬殺だ。

 あの時、ラインハルトの攻撃を防いだ剣……シヴァが持つ名剣【アパラージタ】なら、この程度のモンスターなど紙切れだろう。


 暫く進むと岩壁にぶち当たった。これを垂直に上り越えられる奴なんかいないってくらい真っ直ぐにそそり立っている。


「こっち」


 言われた方向は完全に獣道だ。というかこれまでも獣道だった。またしばらく進むと次に見えてきたのは洞窟だ。

 縦に裂けたような亀裂から中へ入り、狭っ苦しい道を進む。なんだかだんだん両側の壁が狭まってきているような感覚に陥り始めた頃、ようやく向こう側が見えた。


「ここが私の家のある場所だ。誰も知らない秘密の場所」

「嘘みたいな光景ですね……」


 これまで通ってきたのは険しい雪道だった。

 しかし洞窟の先に広がってたのは草原だ。雪一つ無い爽やかな草原は着ていた防寒着が暑苦しいくらいだ。

 脱ぐととても涼しく過ごしやすい風が服の隙間を通り抜けていく。


 見上げた空は星空。周囲をぐるっと山に囲まれた光景は馴染みがないから不思議な感覚だ。遠くにある山は夜の闇に紛れて黒い影にしか見えない。


「まぁ、その内バレるとは思うけれど、あの壁を越えようとする人はなかなかいないと思う。それに入れたとしてもモンスターにやられてしまうだろうね」

「そんなに危険なんですか? 僕には平和そのものに見えるんですが……」

「ううん、むしろ外より危険だね」


 なるほどと信じるのは難しかった。が、そんな話をしていると上空で悲鳴が聞こえた。ギェェエエみたいな、どちらかというと断末魔。


 その直後、目の前に落ちてきたのは傷だらけの巨大な鷹だ。翼も足も折れた血塗れの鷹の、更に上から巨大な白いドラゴンが鷹を踏みつけるように着地した。


 二度響き渡る地響きに僕はすっかり縮み上がっていた。あの巨大な鷹は見間違いじゃなければ討伐難易度がハイクラスのギガントホークだ。

 誰よりも上空を、誰よりも速く飛ぶから姿を見ることすらなかなか叶わない希少なモンスターだ。


 そしてそれをボロボロにして地面に叩きつけたあの白竜……。あれは、見た事がない生き物だった。

 だがドラゴンというだけで神話レベルの生き物であることは理解できる。モンスターという枠組みから外れた伝説の生き物。


「アラン、というドラゴンだ。この盆地を支配する生き物の1匹だよ」

「名前があるんですか……?」

「勝手に名付けた。何回かケンカした仲だしね」

「ド、ドラゴンとケンカですか……はは……」


 笑うしかなかった。あのラインハルトでさえドラゴンとケンカしろと言われたらキレ散らかしながら回れ右するだろう。


 アランと呼ばれたドラゴンはこちらを睨みながらも争うつもりはないのか、ギガントホークの首元を噛んで持ち上げ、羽ばたいてどこかへ行ってしまった。

 助かった、と心から思った。へなへなと腰から下の感覚が抜けて、その場に座り込んでしまった。


「さ、行こうか」

「はぃ……」

「大丈夫? これくらいで驚いていたらやっていけないよ」


 師匠に腕を掴まれ、無理矢理立たされる。ふにゃふにゃの足をもつれさせながら何とか師匠の後をついていく。

 離れたら死だ。離れたら死だと頭の中で繰り返しながら必死で追い掛けた。


 そして辿り着いたのは何もない平原だった。右を見ても左を見ても何もない。


「ここが私の家だ。見えないけど」

「見えないですね……」

「そういう道具を使ってるからね。こっちだ」


 何もない場所へまっすぐ進むと師匠の姿がいきなり消えた。離れたら死だ! 慌てて後を追い掛けると突如現れた師匠の金属鎧の背中に思いっきり顔をぶつけてしまった。

 無論、師匠は微動だにしない。転んだ僕は痛む顔を抑えながら目を開く。するとそこには丸太を組んで作られた立派なログハウスが建てられていた。


「す、凄い……どうやってこんな場所に建てたんですか?」

「エルダートレントというモンスターがいてね。そいつらを使って建てた」


 確かにモンスターを素材に何かを作ることはあるが、まさか家まで建てるとは……。あまりにも規格外過ぎる。


「ほら、荷物を下ろして。寝る前に少し運動しよう」

「あ、はいっ」


 早速修行だ。こんな夜中に登山もした上でまだ運動とは……登山は運動ではなかったらしい。


 言われるがままに家の中に荷物を下ろす。ちょっと見ただけだが内装もとても素敵だった。

 モンスター由来だから生命力に満ちているのかは分からないが瑞々しい葉っぱが垂れさがっていて、なんというかボタニカルな雰囲気だった。


 外で待っていた師匠の指示に従い、準備運動を少しして、手渡された剣を握ってみる。重みを感じる。

 多分、【食欲の王】の身体能力向上効果のお陰で持てているが、普通の人ならかなり重い部類に入るだろう。

 しかしこの太った体が邪魔だ。シンプルに邪魔。でも食べないとスキルが発動しないのだからどうしようもない。


 この二律背反を抱えながら強くなれるのだろうか?


「うん、上手だね」

「見てるばかりだったので初めて持ちました」

「よく見てたってことだね。偉いよ」


 褒められ慣れていないので気恥ずかしい。口元をもにょもにょさせながらギュッと剣を握り直した。


「じゃあ軽く振ってみようか」

「はいっ」


 振り上げ、振り下ろす。振り上げ、振り下ろす。振り上げ、振り下ろす。


 3回繰り返したところでストップがかかった。


「良い感じだね」

「そうですか?」

「うん。その重い剣を真っ直ぐに同じ軌道を描いて振れるのは素晴らしいよ。あれだけ歩いてそれが出来るのは才能だよ」

「あっ、ありがとうございます! 頑張ります!」

「いや今日はもう寝るんだけどね」

「あっ、はい」


 やはりあの登山は運動だったようだ。師匠がそう言うのだから結構な行軍だったのだろう。

 【霧氷雨】のお陰で歩きやすかったくらいだったが、それでもこうして褒められたのはとても嬉しかった。


 剣を返してログハウスに戻ると師匠が魔道具を操作してお風呂を用意してくれた。有難くそれに入って汗を流し、出てくると食事まで用意してあった。

 至れり尽くせりだが、これからこれをするのは僕の役目だ。


 それをやってみせてくれたのだと思うと本当に人に教えるのが上手な人なんだなって改めて思った。

 消費したカロリーを摂取しながら舌鼓を打つ。お腹いっぱいになる頃には眠気が襲ってきていた。

 食器を洗う師匠の後ろ姿を見ながら舟を漕ぐ自分を情けなく思いつつ、明日から始まる修行の日々に思いを馳せた。


「君の部屋はここね」

「ありがとうございます。じゃあおやすみなさい。明日からよろしくお願いします」

「うん、一緒に頑張ろうね」


 差し出された師匠の手を握る。力強い手だった。この人に褒めてもらえるようにいっぱい頑張ろう。修行以外も。


 一礼して部屋に入り、ベッドに転がる。天井から垂れるランタンはこれも魔道具だ。起き上がり、つまみを調節して光量を落として再び枕に頭を乗せた。

 すると待ってましたと言わんばかりに鎌首をもたげた睡魔に、僕は一瞬で丸飲みにされるのだった。

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