第2話 天手虹花と三栄飛鳥の邂逅

 中学一年生のとき、三栄飛鳥を同じ人間として扱う生徒はいなかった。

 教師陣も三栄家の威光に目がくらんでいた。

 本当の彼女を知ろうとするものは誰もいない。


 明るく人当たりのよいお嬢様。

 もう少し普通であれば当たり前のように人気者だっただろう。

 けれどその卓越した運動神経と知能を目の当たりにして、気軽に接することなどできるわけがない。

 どの部活動でも彼女が一番だった。先輩や経験者の肩書に意味はない。誰も彼女に勝てないのだから。

 学問では彼女が答えだ。教師の足りない知識さえ面白おかしく補完していく。

 教えることがなにもない。

 誰もどう扱えばいいのかわからない。

 極めつけは金髪碧眼の可憐な容姿だ。


 妖精。


 自然と誰かがそう呼んだ。

 そして三栄飛鳥は人間として扱われなくなっていた。

 誰からも特別として扱われ、誰からも理解されない。

 全てに恵まれた存在ゆえに孤高で孤独だった。



 中学一年生のとき、天手虹花は腫れ物扱いされていた。

 事実として腫れ物であった。

 日常生活に支障をきたすほどの敏感な肌は、当然のように学校生活に支障をきたしたからだ。


 両手には常に白手袋。

 外では日傘をさして、体育は全て見学。もちろん塩素の強いプールにも入ったことはない。

 誰とも触れ合えず、肩が接触しただけで悲鳴をあげる。

 正しく腫れ物だ。

 そのうえ容姿も整っている。

 人形を彷彿とさせるきめ細やかい滑らかな肌。

 母子家庭だが、母親がエステティシャンだったため、美容品が身近にあった。

 敏感すぎる肌は市販品で荒れてしまう。

 幼い頃から天然由来の上質な美容品でケアし続けてきた結果だ。


 精巧で美しい人形。


 どうせ誰も触れることができないのだ。

 美しい置物として眺めればいい。

 そこに悪意はなく、自然とそう扱われるようになった。

 美しいだけの欠陥品は誰からも触れられることなく孤立し孤独だった。



 このときの二人は別クラス。

 同じ中学校の同級生以外の接点はない。

 互いに有名人なので名前は知っていた。

 存在を意識していた。

 でも関わる気はなかった。

 優れすぎたモノと欠陥品。

 同じ孤独でも性質が正反対だ。

 二人共遠くで眺める分には美しい。お互いを目で追うことが多かった。


 そんな二人の運命が重なり合うのは夏の暑い日だった。


 天手虹花は体調を崩して保健室で寝ていた。

 手汗と湿気が原因だ。

 薄っすらと湿ったため白手袋の保護機能が薄らいでいた。鋭敏すぎる感覚が刺激されてしまい、文字を書くことすらできない状態に陥ったのだ。

 昼までは頑張って教室で授業を受けていた。でも顔色の悪さは明らかで、周囲に促されて保健室行きになったのである。


 すでに放課後の下校時間を迎えている。

 もう体調は改善しているが、わざわざラッシュ時に帰る必要はない。

 それに現在、保健室の先生が職員室に呼ばれている。保健室にいるのは虹花だけ。施錠もせずに保健室を無人にしていいのかわからなかった。

 そんなわけで保健室の先生が帰ってくるまでベッドで寝ていることにしたのだが。

 そこに慌ただしく女子生徒が駆け込んできた。


 ――ガラララ、バンッ!


「失礼します!」


 勢いよく全開にされたスライドドア。

 挨拶こそ透き通ったきれいな声だったが、いつになく荒々しい。

 ベッドのカーテンに遮られて姿は見えないが、虹花は声に聞き覚えがあった。

 三栄飛鳥だ。

 いつも優雅で冷静沈着な飛鳥が焦っている。

 誰かが大怪我でもしたのかもしれない。

 その危機感から虹花も上体を起こして、声をかけようとした。

 だがその動きは続いた飛鳥の呟きにより止まることになる。


「誰もいない。ふむ……養護教諭の不在は好都合だな。今日は不運かと思いきや。やはり天はこの三栄飛鳥を見放さないらしい」


 誰だこいつ。

 頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 やたらと芝居がかった男勝りな口調。

 聞いたことがある声なのに、聞いたことのない言語を話しているような違和感。

 普段とキャラが違いすぎて脳が拒否反応を起こしている。


 清楚で可憐なお嬢様。

 浮世離れした妖精。

 さすがに「おほほ」や「ですわ」などのお嬢様言葉を飛鳥本人の口から聞いたことはない。

 しかし美しい姿勢で「ごきげんよう」と挨拶している姿は虹花も目撃したことがあった。

 完全無欠な深窓のご令嬢。

 それが三栄飛鳥なのに。


 だが飛鳥の奇妙な言動は止まらない。


「クソ。まさか終業直後に剥がれるなんて。授業中に落ちるよりマシだけど。朝に付け方失敗したかな。やっぱり間に汗が入りこんでる。凹凸のない自分の身体が憎い。少しは引っかかってよ。全部、この異常な暑さのせいだ」


 話している内容を虹花は理解できていない。

 ただカーテンの向こう側で、虹花が制服のブラウスの前をはだけて、なにかを確認しているのはわかった。

 そして誰もいないものと勘違いして、虹花の寝ているベッドに歩み寄って来ているのも。


 隠れているつもりはない。

 純粋に関わりたくない。

 存在を察知されないように息を潜めていた虹花は、ベッドのカーテンに手をかける飛鳥を制止できなかった。


 そしてついに二人は運命の出会いを果たす。


「………………」


「………………」


 予想外の事態に二人は沈黙したまま固まった。

 もしも虹花が寝たふりでもできていれば、飛鳥は逃げることができただろう。

 でも虹花は上体を起こしたままだった。

 交差する視線は目まぐるしく動き、状況を理解しようとする。


 飛鳥はブラウスの前を完全にはだけている。下着もたくしあげていた。

 オシャレで大人っぽいブラジャーのイメージだったが、つけているのはライトグリーンのジュニアブラ。

 可愛らしさアピールで好感度アップ。

 ……ではなく完全に胸を露出している。

 虹花の視界には乳首が四つ見えていた。

 膨らみのかけらもない真っ平らな胸板に二つ。

 そして飛鳥が両手で大事そうに抱えている女性らしい丸みを帯びたシリコンのつけ胸で二つ。

 どちらが本物かは一目瞭然。

 まだ中学一年生。発育が遅れていても恥ずかしくはない。けれど全く丸みがないのは少し奇妙で。


 運動できないため本を読むことが多い虹花は豆知識が豊富だった。

 古き家の因習。

 幼き男児を厄除けのために女児として育てることがあるという。

 そんな出典不明の謎知識が頭をよぎり、つい口から出てしまった。


「あの三栄飛鳥さんが……男の子?」


 デシと鈍い音が鳴った。

 飛鳥の両手から偽胸が滑り落ちたのだ。

 俯いてわなわなと震える飛鳥。

 そして涙目でこう叫んだ。


「誰が男の娘じゃーーーーーい!」


 ニュアンスが少し違った。

 言葉遣いが荒かった。

 妖精幻想が崩壊した。

 そこにいたのは尊厳を傷つけられた一人の少女だ。

 ただの人間で。

 虹花は盛大に喧嘩を売ってしまった。

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