第13話 同胞を想う
◆
金等級冒険者『踊る影の』のヌラの本質は逃避である。
それは責任からの逃避であったり、期待からの逃避であったり。
彼がエルファルリの一党を抜けて冒険者を辞める切っ掛けとなったのは、一党への新入りを死なせてしまった事が直接的な原因だ。
当時はエルファルリもその他の者も、“あれは事故だ”という様な言葉をヌラに掛けた。
そこに同情や憐れみの様なモノが無かったとは言えないが、しかし事実として事故でしかなかったのだ。
ヌラは新入りの青年を誠実に教導してきた。青年の死は自身の若さゆえの無謀、勢いが招いたものだ。
だがヌラは彼自身には抱えきれない程の見えない何かの重みを感じてしまった。
その何かとは責任である。
要するにヌラは責任感が強すぎて逃避癖がついてしまったタイプの者だった。
この責任感の強さは何処から来ているのかといえば、それは彼の育ちに起因するものだった。
◆
ヌラは育ちがいい。
30代半ば、鼻が大きく全体的にずんぐりとしている外見はお世辞にも容色優れたるとは言えないが、これで居て騎士家の出だ。
彼の父も母も騎士家の嫡男としてヌラが大成する事を期待していた。
なぜならヌラは幼少期から才を示してきたからだ。
剣を振ればそこそこに振れるし、術を使わせればそこそこに使えた。どんな事でもそこそこに出来た。
それはともすれば中途半端だと見做されかねないが、ヌラの場合は違う。
ヌラの長所、それは欠点がない事であった。
ある意味でそれが原因だったのだろうか。
ヌラもまた両親の期待に応えようとしたが、最初は小さい期待が次第に大きくなり、時にヌラは両親の期待に応えられない事も増えてきた。
それは彼の精神に小さい傷を少しずつ、少しずつ与えてきたのだ。
ヌラは少し真面目が過ぎた。
両親からの期待等は全てマトモに受け止めようとはせず、しんどいなと思う部分については受け流しても構わないのだ。
親の期待というのはとかく大きくなりがちだし、何もかもを真正面から受けていたらキリがない。
親からの期待に限った話ではないが、そういうものをどこまで受け止め、どこから受け流すか等というものは生きていれば自然と感得するものだが、ヌラにはそれが出来なかった。
何でもそつなくこなせる程度の器用さ、その程度の器用さで何でもかんでも抱えようとする不器用さ。
いつかヌラの心がその矛盾に耐えられなくなるのは自明であった。
◆
ある日ヌラは逃げた。
家から、騎士家の嫡男としての責任も何もかも放り出して逃げ出したのだ。
ヌラは日々の稼ぎを得る為に冒険者となる。
元々小器用な彼には冒険者として多くの選択肢があったが、結局斥候の道を選んだ。
そして頭角を現していった。
その速度は才ある冒険者の成り上がりと比しても早すぎた。
彼の才がその成り上がりの一助となったのだろうし、有形無形からの逃避という経験が彼に一種の奇妙な嗅覚を齎したからという理由もあるだろう。
やがて名を成した彼はエルファルリと出会い、その一党に加わった。
理由は過去放り捨てた責任を拾い上げ、抱え直すためだ。
ヌラが家から逃げ出したのは怠惰ゆえ、無責任さゆえではなく、自身の容量を超えて満たされていく期待という名の不可視の液体に溺れそうになったからである。
冒険者としての仕事を通じて、ヌラは自身の器が大きく深くなった事を感得し、自身の成長を実感していった。
このまま長じれば胸を張って家に帰れるとその時のヌラは思っていた。
ヌラは責任から、期待から逃げたのであって、両親を厭うて逃げたわけではないからだ。
寧ろ彼は両親を愛していた。
家に帰ってから、父母に謝罪をしてから自身の第二の人生が始まるのだ、とヌラは思っていた。
結果何があったか。
ヌラは30を過ぎて、冒険者を引退し、そして貴族家の冴えない門番に身を窶している。
◆
自分が情けなくなければ、自分がもっと自分に自信を持てれば、周囲の期待を力へ転換できるほどに器が大きければ。
自分が自分の様な存在でなければ。
仮に自分が全く別の人生を歩む事になったらならば、上手く歩む事が出来るだろうか?
かつて未熟だった自身は、経験を積む事により成長した。今の器量ならば周囲の期待に応える事が出来るだろうか?
――やり直したい、やり直す事が出来れば
そんな思いがヌラに些細な、それでいて特殊な能力を齎す。
それは自分自身ではない、他者の人生への羨望。
もし自身が自分ではない別の者であったなら、という仄かな願いが形を為したモノ。
◆
――ここさ
背後に確かな気配を感じたヒルダは後背に剣を振るい、しかし手応えはない。
だがヌラの囁きが耳の後ろから聞こえ、同時に雪原に蒼血が舞った。
ヌラが短剣で斬り付けたのだ。
肩口を切り裂かれたヒルダは険しい視線でヌラを睨みつける。
ヒルダの総身は魔力で満ちており、皮膚は薄い鉄板ほどの強度を持っていた。
短刀程度ではとても切り裂けるものではなく、だと言うのに難なく切り裂いたヌラに対してのヒルダの警戒心は否応無しに高まる。
(だが、問題は私の守りを抜いた事ではない。確かに背後に気配を感じた。勘違いではない)
・
・
・
ヌラは自身の気配、存在感を他者の影に投影する。余程鈍い者であっても、“なんだか近くに誰かが居る気がする”という気持ち悪さを拭えない。鋭い者なら尚更だ。ヌラを知覚している者になら投影できる数に制限は無い。
極論になるが、もし世界中の全ての生物がヌラを知覚したならば、ヌラは世界中の全ての生物に業を仕掛ける事が出来る。
これは尋常な事ではなく、尋常ではない事が出来るからこその金等級であった。
この違和感は戦場と言う場では致命的な隙を作る為の起点となりうる。
ヌラの全身からぬるりとした気配が漏れ出し、大気に滲む。この時ヒルダはヌラの足元の影が妖しく揺らめくのを見た。
「奇襲だ!内に入り込まれたぞ…!?」
――何かを仕掛けられた
ヒルダがそう思うと同時に、彼女が率いていた尖兵、“犬”らが動揺・困惑する。
彼等もまた自身のすぐ傍に誰かが居る気がしたのだ。
ヌラと対峙する者は自分の影が踊り、そして害そうとするのではないかという不穏な気配に神経をかき乱される。
その隙を調査隊の者達、特にエルファルリの一党の、特に業前優れた者達が見逃さず切り込む。
エルファルリの一党の者達は銀等級でも上澄みばかりだ。隙をついての撹乱程度なら魔軍相手でもそこそこにはやれる。
銀等級と一口に言っても実力は千差万別で、その上澄みと底辺の実力差は、戦闘能力に限って言っても大人と幼児ほどにもある場合も多い。
竜殺しの銀等級も居れば、数頭の野犬相手に手傷を負う銀等級も居るのだ。
とは言え、人間と魔族の尖兵、犬らの戦力が真の意味で拮抗する事はまずなく、ヌラ等の善戦はそう長くは続かないだろう。
ともあれ、戦場は3つの勢力が入り乱れる乱戦となった。
◆
ポーはゆっくりと歩を進めていった。
急いで戦場に向かうべきというのは正論ではあるが、彼にとってこの光景を目に焼き付ける事は、正しく術を使う為の必要な手順であった。
彼の眼前では多くの命が煌いている。
戦いが終われば、この命の煌きの大部分が消えてしまうのだろうと思うと、ポーは少し悲しくなった。
だが命の煌きを自身で燃やし続ける分には良いのだ、とポーは思う。
「でも」
ポーの視線が骨で引き裂かれた魔軍の者達を捉えると、彼はまるで心の表面を爪で引っかかれたかのような痛みを覚えた。
だがそれよりなにより、ポーを悲しませるのは二人の連盟術師の無念の波動である。
理不尽に生を奪われ、拠り所を簒奪され、道具と成り下がってしまった家族の事を思うと、ポーの胸を1人の少女の姿が過ぎった。
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