第14話 留まる影

 ◆


 エルファルリは巧みに雪煙をあげ、ラカニシュの視界を逃れつつ地形を利用した攻撃を繰り返した。


 最初の奇襲以外に得意の大剣は使っていない。

 何故ならそれは“法”の及ぶ範囲となりうるからだ。


 連盟術師ルードヴィヒの秘術は非常に応用が利き、しかも強制力も高い。

 戦闘時においては、敵手が最も得意とするそれを封じてしまう事で圧倒的優位に立つ事が出来る。

 例えば剣士が相手なら“直接攻撃”を禁じてしまえばいい。


 だが何をもって“攻撃”と見做すのか?

 それは“害意”の有無だと生前のルードヴィヒは規定した。


 かつてラカニシュと対峙したオルド騎士団は、多大な犠牲を出しながらもその法則を見出し、エルファルリもまたそれを知っている。


 故に“意”をぶつけるのはラカニシュ本人ではなくてその周辺の大地だ。


 エルファルリが強烈な踏み込みを大地へ叩き付けると、それにより砕かれた大地が飛礫となる。

 そして大小の飛礫がラカニシュの骨体を削り、砕いていく。


 もっとも砕かれた骨片は直ぐに修復されてしまうが。それでもラカニシュの魔力…ひいては再生力を削っている事には違いがない。


「これで終わりとは言うまいね、骨野郎ッ!」


 言葉とは裏腹に、エルファルリの内心は意気揚々とは行かなかった。


 確かに種を知らなければラカニシュが扱う術は厄介だ。

 しかし知ってしまえば充分に対応出来る。

 とは言え、かつてラカニシュと対峙した身としてはこれで終わるなどとは思って居なかった。


 エルファルリの懸念は正しい。

 むしろ戦闘はこれから激化するのだ。


 はっとエルファルリは突然表情を変え、強く地面を蹴り、高く飛びあがる。

 同時に前方から剣山のように骨の槍が突き出してきていた。


 それはさながら波だった。

 骨槍の波がラカニシュを中心に広がっていく。

 だが既に戦闘不能となった魔軍の者達を刺し貫く様な事は無かった。


 ラカニシュは別に害意をもっているわけでは無いのだ。

 エルファルリの事をも幸せにしてやりたいと思っているし、既に幸せになった者達の肉体を無駄に傷つけたいわけでもない。


 善意を伴う行為を善と呼ぶのならば、ラカニシュは確かに善意の人だった。


 ◆


「避けろ!!!」


 ヌラが絶叫した。

 骨槍の波が凄まじい速度で大地を伝播し、魔軍に向かい合うヌラ達の後背から迫ってきたからだ。

 ラカニシュはその場にいる全ての“不幸せの中に在る者達”を刺し貫く積もりだった。


「アレを消す!邪魔するなよ人間!」


 ヒルダが大剣を一思いに横薙ぎに振り切る。

 ヌラはそれを隙と見做して攻撃する事も出来たが、今回に限っては見逃すことを選択した。


 するとヒルダの大剣の剣先から先立ってラカニシュを攻撃した氷の波濤が発生し、骨槍の波とぶつかり合い、そして相殺していく。


 ヌラは怪訝そうな表情でヒルダを見た。

 彼女の行動は明らかにヌラ達を助ける類のものだったからだ。

 一々声をかけてきた事は利敵行為にならないだろうか?


 そんな疑問を察したか、ヒルダは冷たい視線をヌラに向けて言う。


「あれは我々をも飲み込む攻撃だった。だが貴様に妨害されてしまっては迎撃が失敗する恐れもあった。あの骨の魔術師もそして貴様等人間も我々の敵だ。故に両方死んでもらうが、どちらかの肩を持てというのならば貴様等を選ぶ」


 そんなヒルダの言葉にヌラや他の冒険者達は奇遇だな、と思った。

 なぜなら彼等もまたラカニシュ、魔軍の両者に滅びてもらう積もりだが、敢えて手を組むとしたらラカニシュではなく魔族達がいいなと思っていたからだ。


 とはいえ…


「俺達も多分アンタと同じ気持ちだ。ただそれはそれとして、お前達にはここで死んでもらう」


 ヌラの声は何か面白がる調子だった。

 それを聞いたヒルダは口元に酷薄な笑みを浮かべ、同感だな、と呟いた。


 周囲の尖兵達もその人外の瞳にちょっとした好奇心と多大なる殺意を浮かべる。


 かかれというヒルダの号令が雪原に木霊し、魔軍が目の色を変えて冒険者達に殺到した。


 ◆


「…私には姉と妹がいてな。姉は厳しくてね、嫌いだったよ。しかし強かった。だがその姉も人間に殺された。…人間、お前は私が相手をしよう。私は人間を甘く見ていない」


 パキパキと。

 ヒルダの肉体を氷が覆っていく。

 その形はまるで全身鎧の様でいて。

 美麗な顔立ちはフルフェイスの騎士鎧へ隠され、携えていた大剣は剣身が砕け散り、鎧へ溶け込んでいく。


「ヌラ!ぼさっと見てるんじゃないわよ!」


 エルファルリの一党の女剣士が一気呵成に切り込んだ。ヒルダの変容はいかにも剣呑だ。

 女剣士がヒルダを放置出来ないと判断したのは無理ない話だった。


 女剣士の得物は片刃の奇妙な形をしている。

 極東では一般的ではあるが、西域ではやや希少なカタナと呼ばれる切断に優れた武器だ。

 女剣士はこれを十全に扱う事が出来る。

 単純な剣の腕だけで言うならば、彼女は一党で最も優れている。


 カタナから繰り出される鋭い斬撃、そして軽装ゆえの機動力もあり、彼女は一党の切り込み隊長だ。強気で、酒が入ると途端に涙上戸になる彼女はエルファルリを母親の様に慕っている。


 ――やめろ…


 ヌラは警告を発しようとしたが声が出ない。

 いつの間にか周辺の気温低下が異常域に達していた。空気が凍り、喉にへばりつく。


 ゛今は近寄るな゛


 そんなヌラの斥候としての危機感知能力が大警報を鳴らし、両の足を縛りつけた。


 そんなヌラを見た女剣士はそれでよい、と思った。なぜなら切り込みは剣士の華だし、成功すればそれはよし、だが失敗してもそれを糧として作戦を練る事が出来るからだ。


 切り込み隊長というのは真っ先に敵を殺すか、あるいは真っ先に殺されて敵の手を暴く事が仕事だ。女剣士もそれは承知の上だった。


「え」


 女剣士は剣を振りかざし、極端に動きが鈍くなる。ヒルダの放つ絶対零度の凍風が女剣士の肉体を急激に冷やし、動きを鈍らせた。


 例え絶対零度下でも人体はそんな簡単に凍結したりはしないが、動きを極端に鈍らせる事は出来る。

 そして女剣士に近寄ったヒルダはその頬に手を当てた。


 凍結が凄まじい速度で進行していく。

 女剣士の周囲の空気ごと、彼女を巻き込んで。


 しかし女剣士の意気は挫けない。

 氷か、或いは肉体が割れる音を立てながら、両の手で柄を握りこみ、渾身の突きを放つ。


 そしてカタナの切っ先はヒルダの氷鎧へ埋まり、剣士の命でもある腕が2本とも折れて大地へ転がった。


 それを見た女剣士は何だか泣きそうな表情を浮かべながら、全身を氷に包まれて死んだ。


 ヌラの表情が歪む。

 女剣士…ケイを殺したのはヒルダではあるが、ある意味でヌラでもある。

 魔軍に一当てしようと決めたのは彼だからだ。


(あの時、ラカニシュと魔軍が当たるのを傍観していればよかったのだろうか?だが、元より、だ)


 ある程度折込み済みとはいえ、弱気がヌラの意気を軋ませる。難敵とあたる時、犠牲は織り込んで然るべきではあるが、犠牲が出ないに越した事はないのだ。


「いや。仕方ないね。私も同意見だよ。あの骨の魔術師…ラカニシュとかれらがやり合うに任せていたら、何か取り返しがつかない事になっていった気がする。もう少しやりようはあったような気がしないでもないけど、時間が無かったからね。ま、いいさ。少し温めよう。冷えるからね。後は頼んだよ」


 ヌラの後背からそんな言葉が聞こえてくる。

 花咲く野原を思わせる柔らかな声はマハリだ。

 マハリはエルファルリの一党の女術師である。


 ヌラより3つ年上だが、やや幼い顔立ちは彼女を20代の前半にも、あるいは10代の後半にも見せている。妖精の血が混じっているというのは、いつか共にした酒の席でマハリが言った事だった。


 ヌラがエルファルリの一党を抜けるに当って、一番悲しんだのはマハリだった。

 男女の間に友情などない、というのが定説ではあるが、ヌラとマハリの間には無いはずの友情があった。


 ◆


 術の起動を思わせる魔力の高まりをヌラは感じ、同時に肌が痛むほどの凍気が和らいだ。


「助かる、マハリ」


 ヌラは振り向かないまま短く答え、短刀を構えなおした。


 ヌラが振り向かなかったのは、単純に隙を見せたくないのもあったが、恐らくは息絶えているであろうマハリを見て動揺したくなかったからである。


 ヒルダの展開する絶対零度の凍結領域を、マハリは自身の生命を触媒とする事で行動可能な程度には弱めた。


 どんな魔法でも魔術でも相殺は出来る。

 天秤さえ釣り合っているならば。

 魔将の行使する魔法的な事象をか弱い人間が相殺するというのなら、その代価は魔力だけではとても足りない。


 マハリは長杖を支え棒としながら、立ったまま絶命していた。


 ◆


 ケイとマハリの死は本気を出した魔将を手の負えない恐ろしい怪物から、ギリギリで手に負える恐ろしい怪物へと引き摺り下ろすことができた。


 ヌラはふと“何の為に命を賭けて戦うのだろう“と思い、理由を探ってみた。


 命の奪い合いという場でなんとも呑気な事だが、優れた斥候としての勘が今考えておかないともう機会はないぞと告げている。


 かつてヌラが色々なものから逃げ出した時、彼の中にはただただ空虚さがあった。


 ヌラは責任から解放され、自由となる事を望み、それは確かに手に入ったものの、自分が余り幸せではなかったことにここへ来て気付いた。


「空っぽの箱に自由と書いて、それを後生大事にしていたわけか。まあでもよい。ここにきて、案外俺も色々持っているんだなって気付いたわけだし。俺は、これまで逃げてきたものにやっと正面から向かいあえる気がしてるんだ」


 ヌラは苦笑した。


 ヒルダは黙って彼を見つめている。

 彼女が何故ヌラに仕掛けないのかはヌラには分からないし、ヒルダ本人にも分からない。


 他の冒険者達と魔軍の戦闘の音が、ヌラにはやけに遠くに聞こえ、視界が澄んできた。


「アンタらには実は恨みはないんだ。でも放って置くと街は滅びちまう」


 ヌラが言うと、ヒルダが頷いて言った。


「そうだな。我々はお前達を滅ぼすよ」


「うん。そしてそれはあの骨野郎も一緒だ。俺は…俺たちは街に守りたいものをのこしてきているんだ。だからお前達はここで始末したい。本当は帝国軍に任せたいけど、いくら帝国軍でも万全のアンタら相手は厳しいだろう。残るべきは俺達か、帝国軍か。道中でリーダーと話したんだけどな。帝国軍じゃあんたらに勝てそうにないなってなってね。バリスカのおっさんは勇猛だけど、少し馬鹿なんだ」


 ヒルダはやや険しい口調で言い返した。


「だから捨て駒になるというのか?」


 身を捨ててこそ浮かぶ瀬も確かにあるだろうが、最初から死兵として臨むというのはヒルダにはいまいち理解が出来なかった。


 その言葉にヌラは薄い笑みで“捨てたら誰かが拾ってくれるかもしれないだろ?”と答えた。


 ◆


 少し離れた所でポーが戦況を見ている。

 ただ見ているだけではなく、彼にもやるべきことがあり、ポーは彼の役目を十全に果たそうとしていた。

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