第11話 旧オルド騎士、エルファルリ
◆
(恐らく、奴は反撃の魔術と骨の魔術、それらを同時に使えないのだ)
ヒルダの思案は正鵠を射ていた。
部下達は数多く犠牲になったものの、支払った犠牲分だけの価値はあったとヒルダは思う。
ラカニシュの空洞となった眼窩から冷たい視線が放たれている。その冷ややかさは敵意や害意ゆえのものではなく、無知を責める種のものだった。
なぜ苦痛に満ちる現世に在り続けるのか。
まさか自分から敢えて苦しみを享受していると言うのか。
或いは何者かから強要されているのか?
声にならぬラカニシュの念がヒルダに浴びせかけられ、ラカニシュの意を知った彼女の相貌が嫌悪感で歪んだ。それは理解しがたい、許容出来ない感性、文化に触れた時に感じる生理的な忌避感情だ。
ヒルダの視線が地面から突き出された骨の槍に全身を串刺しにされ、それでもなお笑顔らしきものを浮かべながら死ねないでいる部下達を捉えた。
(奴は“アレ”を悪意なく、害意なく出来る。むしろあれを一種の救済だと考えている。奴と言葉を交わしたわけではないが、奴から発される魔力が私に奴の意を伝える)
ヒルダは人間達が奴を封じるわけだ、と苦笑を浮かべ、だがどうする、と自問した。
真っ当に考えるならば一度封印を施されていたのだから、再度施す事は理屈では可能だ。
(しかし封印といってもな)
物は試しとヒルダは大剣を地面に突き立て、両の手の人差し指同士と親指同士が触れるように構え、手指で形作った円にラカニシュを捉えて…
――ארון קבורה(棺)
ラカニシュの周囲の大気に含まれる水分がにわかに凝固していく。
その速度は余りに急速で、ラカニシュを氷の棺に捉える為に要した時間は瞬きする程度の時間にも満たないものだった。
起動と同時に発現されるこの速度は、魔術で実現しようとするならば余程の大魔術師が余程の大魔術を行使しなければ為し得ないであろう。
ヒルダはこれを“物は試し”程度の感覚で行使している。
魔法が魔術に比べて優れている点の一つだ。
求めている事象の規模に関わらずその場で発現するというのは、魔術ではありえない。
更にもう一点あげるとすれば、力ある言葉に対する知識と魔力がありさえすればその辺の芋虫にですら魔法が使えるという点である。
ただ起動に際しては膨大な量の魔力を必要とするという欠点があるが。
ポイントとなるのは“起動に際しては”という部分だ。
魔法を起動させる事により消費される魔力は、魔術よりは多いが起動に要する量のそれと比べれば大した事はない。
魔法で引き起こせる事象の規模の大小は、術者の魔力量に依存する。
これは世界に対して“自分はこれだけの魔力を持つ存在であるから、これこれこういう事象を引き起こす資格を有する”と宣言している様なものだ。
よく魔族と人間を比べて生物としての格が違うと評するものが居るが、これは魔力量の差を指して言っていると思って良い。
◆
ラカニシュは先ほどのように法を敷くが、これが機能しない。
それはヒルダがラカニシュ本人ではなく、その周囲に大気を対象として魔法を行使したからである。
本来の術者であるならば拡大解釈によって法を機能させる事ができるが、簒奪した術では所詮はこんなものだ。
ヒルダの魔法が発現してラカニシュが氷の棺に閉じ込められた瞬間、魔族の尖兵たちが駆け出す。
彼らは人間ではない多種族の戦士で、大鬼や犬鬼、小鬼など様々な種族がいる。彼らの強さは個体差があり、中には下位の魔将を凌駕する個体も極々少数だがいない訳では無い。
ともあれそういう差もある事から全員が足並み揃えてとはいかないが、意気は軒昂、そして皆が怒りに満ちている。尖兵達の放つ赫怒が熱を帯び、足元の雪を溶かしている。
彼等にも無残な姿に変えられた仲間を悼む気持ちや、それを為した敵への憎しみというものがあるのだ。
殺到する尖兵や犬達の中から、一人の小鬼が飛び出した。
ただの小鬼ではない。
第三次人魔大戦を生き残った歴戦の猛者だ。
狩り取った人間の首は20や30では利かない。
この小鬼はヒルダと同様に特殊な装備を身につけていた。
それは足元を僅かな時間固めるというものだ。
この効果は脚働きをする者にとってはありがたいもので、足元が不如意な場所でもしっかりと地に足を着けて飛んだり跳ねたり走ったりできる。
「ホー!ホー!足が汚れりゃ血で拭い、手が汚れりゃ涙で拭い、口慰めはァァ…アンタの骨ェッ!ケェーーーッ!おい!お前!アタシをアイツに投げなァッ!」
被る頭巾を人間の鮮血で染めている事から、人類勢力からは『赤頭巾』と恐れられる小鬼族の老婆、その名をガビィという。
ガビィは後ろを振り返り、大鬼の一人に自身を投げつけるように命令を出した。
彼女の位階はこの集団では上から数えたほうが早い。
故に大鬼も彼女の命令に素直に従い、満身の力を込めてガビィを掴み、ラカニシュへと投げつけた。
ラカニシュの眼窩がガビィを捉えた。
一思いに“楽に”してやろうという慈愛の心をラカニシュは感得し、そしてガビィの体内の骨を体外へ解放させようとした。
魔力の励起を察知したガビィはしかしニヤリと悪辣に笑う。
宙空を吹き飛んだガビィはラカニシュの正面付近まで来ると宙を蹴り、側面にまわったかと思えば再び宙を蹴り、それを繰り返す事で高速度の立体機動を繰り返した。
これは空気を足場と見做して一瞬固めている為に出来る芸当である。
ラカニシュは視界からガビィを見失い、骨の術は不発に終わった。
魔法も魔術も対象を取らないで行使する事は可能だが、結局はどういう術を使うかによる。
体内の骨を体外へ無理繰りに露出させようという術などは、当然のように対象を視界に収めていなければならない。
ガビィは第三次人魔大戦で散々な数の人間を殺害してきた。
ゆえに術師の殺し方なんぞはよくよく知っている。
「ひゅうひゅうと!吹き荒ぶ空っ風よォッ!気付けばぱっくり、ヒヒヒ!紅い花咲ァいたァ!」
ガビィの魔術が起動し、手元の短刀に風が収束していく。
手持ちの武器に風を纏わせ、切れ味を高め、そして射程を延ばす。
これは協会式の魔術でも連盟式の魔術でもなく、勿論法術でもない。
世界は様々な術体系が存在しており、ガビィのそれもその1つというだけである。
これはガビィの氏族に伝わる…言ってしまえば“おまじない”程度のものなのだが、それも使い手次第だ。
ガビィが周囲を高速で飛び回り、そして得物を振り回す。
歴戦の小鬼老婆による“殺し間”は瞬時にラカニシュの五体を氷ごとバラバラにしてしまった。
その場に飛び散るラカニシュの手、脚、胴、頭…
老婆は目と口元に邪悪な弧を描き、そして驚愕した。
宙に飛んだラカニシュの頭部と眼が合ったのだ。
その間隙にガビィは自身に迫る無残な運命の足音を聞いた。
――ッ!!
“掻骨の契り”
連盟術師だった青年は骨を人の本質として想い慕った。
その愛情は骨に伝わり、その愛に打たれた骨は胸を掻き毟るほどの恋情に焦がれるのだ。
焦がれに焦がれた骨は青年の愛を受け取る為に体外へ飛び出す。
声にならぬ絶叫を遺し、ガビィの体内から骨が体外へ飛び出し、彼女は見るも無残な姿となってその場に倒れた。
だが生きてはいる。
しかし彼女は夢の世界に行ってしまった。
今頃は第三次人魔大戦で戦死した夫と狩りでもしているのだろう。
ラカニシュのバラバラになった骨は再び寄り集まり、元の姿を再構築した。
ガビィ程の殺手であってもこれか、とヒルダの表情が険しくなり…
その場の誰もが想定していなかった天頂よりの奇襲。
大剣による唐竹割りが再構築したラカニシュを真っ二つに叩き割った。
雪煙をあげて着地したのは、エルファルリ。
旧オルドの老騎士。
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