第8話 シュバイン・バリスカ伯爵

 ◆


 十全とは言わないまでもラカニシュは自身の魂に取り込んだ連盟術師の根源術を使用出来る。


 それは卑劣で恐るべき簒奪だ。


 古今の連盟術師は皆それぞれユニークな術を扱う為、その術同士を比べる事、ひいては連盟術師の実力の多寡を比較する事に一切の意味は無い。

 青という色と赤という色のどちらがより優れた色か、という問いの愚劣さを考えれば分かるだろう。


 それでもあえて序列をつけるとするならば、3人分の連盟術師の力を有するラカニシュこそが最強であろうか。


 当然、ラカニシュがやった簒奪行為は都合が良い面ばかりを持つわけではないのだが…


「整ィィィィ列ッッ!!」


 野太い声が蒼空にこだまする。

 号令主はシュバイン・バリスカ伯爵その人であった。


 彼は帝国への忠義厚く、こういった場面ではことさらに前面に出たがるのだ。



 レグナム西域帝国、旧オルド王国領周辺はシュバイン・バリスカが統治しているが、こういった上位の者がでしゃばるというのは色々と支障が出るのではないだろうか、と思う者も少なくは無い。


 だが問題はない。

 この旧オルド領を含む北方一帯を治める北方総督と言うのは別におり、シュバイン・バリスカ伯爵の北方における権限は実の所この北方総督に帰属するからだ。


 北方総督リ・リーは政戦両略に長ける齢70にも達する老婆である。


 彼女は先代皇帝が西域のみならず東域にもその野心の矛先を向けていた時代、周辺諸国の領土を大いに切り取った功績を持つ。


 その来歴も一癖あり、彼女は中域に存在するとある大国の皇帝に侍る寵姫であったが、正妃の勘気を受けて命を狙われ、命からがら西域へ逃げ延びた。


 そして西域で春をひさいで日々の糧を得ていた所、とある帝国貴族に見初められる。


 若かりし頃の彼女の美貌は帝国全土になり響く程で、ついには先代皇帝の目にとまった彼女は…と、まるで成り上がり物語の主人公のような人生を歩んできたのだ。


 皇帝が代わってもリーは帝国へ尽くし続けた。

 だがその忠が帝国や当代皇帝サチコにあるわけではない。


 彼女の忠はあくまで亡き先代皇帝個人へ向けられている。リーは決して語る事は無いが、先代皇帝とリーの間には甘いロマンスがあり、切ないドラマがあったのだ。


 よってサチコの広域術式はリーには作用せず、これを佳しとした帝国宰相ゲルラッハは彼女を北方総督のままとした。


 愛廟帝サチコの術式は帝国臣民の愛国心を凶猛に刺激し、その出力が最大にまで達した時は帝国に、ひいてはサチコ帝に忠誠を誓う帝国臣民の1人残らず死兵と化すであろう。


 だがその先に待っているのは国土の荒廃である。

 国の根幹は人であり、その観点から見ればサチコの術はある意味で密閉空間で燃え盛る炎に空気を送り込むようなものであった。


 炎が燃え盛るのはそこに酸素…空気があるからである。もし無ければ火はたちまちに消えてしまうだろう。


 サチコの術が十全に作用すれば帝国臣民という炎の寿命は大幅に消費されてしまう。


 ただでさえ中域に面しており、更にはラカニシュという不安要素も眠っている北方領域であるからして、その領域を治める者がリ・リーというのは非常に都合が良い。


 仮に北方総督が生粋の愛国者であるならば、ちょっとした有事の際にも膨大な犠牲を強いる用軍を以って、然る後にあっというまに人材は枯渇するであろう。


 帝国宰相ゲルラッハはその辺もよく考えて各地へ人を配していた。


 ◆


 シュバイン・バリスカ伯爵の前には黒い革鎧を着込んだ者達が丁度500名、整然と並んでいた。


「帝ィィ国が誇る恐るべき死神諸君!いつでも出撃できる様に準備を整えておけィ!かの地の方角を見よ!あれは尋常の雲ではない!諸君らならば感得できるはずだ!冒険者達が先行し、これを調査する!その後報告を待ち、危難とあれば我々が対応する!その際は如何なる邪悪、如何なる魔が居ようと全て撃滅せよ!帝国を害するものは悉く誅するべし!」


『黒猪剛角雪原遊撃連隊』というバリスカ伯爵が帝国に届出も無しに名付けた連隊は、その名称のナンセンスさは兎も角として実力は確かなものである。


 例えばこの500名を以ってすれば、武器をもった貧農3名を1人で殺せる野盗、それが5000人いたとしても軽傷のみで皆殺しに出来るであろう。


 なおこういった戦闘部隊に命名をする際はその理由と名称を添えて帝国に申請しなければならない。これを破ると隊名は取り消し、そして罰金なのだが、バリスカ伯爵は忠誠心こそ厚いくせに頻繁に無断で隊に名前を付けてしまうという悪癖がある。


 それはともかく、バリスカ伯爵は彼等をいつでも封印の地へ差し向けることが出来るように隊を編成していた。


 今は待機だ。

 まずは冒険者達で構成された調査隊が向かう事になっている。


 なぜならば帝国兵を動かすというのならば相応の理由が必要で、“なんだかよくわからないけれど封印の地の上空に黒い雲があって、特に根拠はないけどかなりヤバい気がする!勘がヤバイヤバイっていってる!”では流石に兵を動かす理由には足りないのだ。


 ならば帝国兵を調査に派遣すればいいのかもしれないが、仮に本当にまずい状況であるならば、その調査された兵が犠牲になってしまうかもしれない。


 それに冒険者といういつどこでくたばっても構わない捨て駒…人材がいるのならば、それを使わない手はない…そういう事である。


 冒険者ギルド側としてもその辺りの帝国側の思惑は百も承知しているが、平時は好き勝手やらせてもらっているのだからと鉱山のカナリア扱いに対して否やはない。


 ゆえにバリスカ伯爵は冒険者達の調査隊の帰還を待っている。

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